夢の終わりに見えるもの

今日はある漫画を紹介します。

かれこれ10年近く前の作品です。

久しぶりに読みましたが、何というか、最初に読んだ当時と同じく金槌で頭をガン! と殴られたあとのジンジンクラクラするような読後感は健在でした。
コメントを遡ると、自分に酔ったような僕のキモいコメントも相変わらず残っていました。
今回この作品を読み直してみて、あの日から今日に至る自分の人生を今一度振り返ってみて思った事がいろいろあったものの、さすがにTwitterにダラダラ垂れ流す内容でもないなという事で、ここに書き残しておこうと思います。

僕は漫画家になりたかった

幼い頃から、僕は絵を描くのが好きでした。
それが自分の得意な分野だと自覚したのはもっと後でしたが、少なくとも絵を描く事以外は苦手で、嫌いでした。

紙芝居や絵本を経たのち、時間とともに進行する物語を表現するうえでもっとも効率的な手段だと、漫画に出会った時に思いました。
漢字もろくに読めずストーリーは分からないし少年誌特有のえっちな描写も意味不明でしたが、誌面いっぱいにところ狭しと活躍するキャラクターを見て心が踊ったものです。

気が付けば、誰に教えられるともなく、ひとりでに漫画を描いていました。
小学校に入っても、休み時間は一人で黙々と自由帳にかじりついていました。

そんな少年だったからか、自然と周りから声がかかるようになりました。

「絵が上手だね」
「将来は漫画家だね」

夢が芽生えたのはその時だったと思います。
そして、本当に疑うべくもなく当たり前に、それを目指す資格が自分にあると思いましたし、なれるという根拠の無い確信が僕にはありました。若さ故の万能感と言ってしまえばそれまでですが。

とにかく、その辺りまでは割と順風満帆な人生だったわけです。

遊んでいた棒切れが身を守る武器になる

それ以降の人生には、周りが当たり前に出来る事が出来ない人間としての苦しみが待っていました。

例えば体育の授業。

TLに流れて来たこの方の漫画から「運動が出来ず体育の授業が苦手だった故の挫折や疎外感」を読み取り、過剰反応の末に色々思い出して吐き出たゲロが以下のツイート群です(ゲロが大量だったため抜粋)。
ゲロを精査すると分かりますが、根底にあるのは「自分に対する差別への嫌悪感」です。

当時(今も?)の僕は如何せん鈍臭く、自分を周りの人間と比較する程度の自意識が芽生えた頃には既に

「どうして皆が普通に出来る事が自分は出来ないのだろう?」

という疑問で頭が満たされていました。
この時代に植え付けられた劣等感には、今も潜在的に悩まされています。

そして何より、「皆と同じ事が出来ない人間」に対する周囲からの意識的・無意識的な差別に苦しみました。
周りと同じでないだけで、どうしてこれほどの差別を受けなければならないのか、理不尽過ぎて訳が分かりませんでした。
配慮の根源が「自分を理解してくれた上での優しさ」であると分かるからこそ「特別扱いさせて要らない手間をかけさせてしまった」という惨めさに余計に苛まれるのです。

運動だけでなく勉強もあまり得意ではなく。
となれば、何も出来ない自分が唯一人並みに出来る事……と考え、ほぼ自然に得意な絵をそれとなくアピールするようになりました。

わざと人前で絵を描いたり、見せびらかしたり。
当時流行っていたポケモンの絵を家で練習し、休み時間に黒板に得意げに描いて話しかけられるのを待ってみたり。
学級掲示物や行事のしおりの絵などの「公的事業」に自ら率先して参画したり。
地域の写生大会に出て入選し、全校朝会で表彰を受けたり。

ただ好きなだけだった絵を、自分の存在を誇示し防衛する為の武器として強かに用い始めました。
その効果は確かなもので、友達も増え、クラスに居場所──ポジション的なものが生まれました。
しかし。

交流の無かった別のクラスの女子など、自分より画力が数段上(少女漫画源流の彼女達に比べ当時僕は人間が描けなかった)だった事を知りながら、敢えて知らないふりをしていました。
せっかく築き上げた自分の価値、存在意義を上書きしてしまう上位互換の存在を認める訳にはいかなかったのです(つくづくTwitterやpixivが存在していなくて良かったです)。
そうして、狭い世界に閉じこもりました。

ただ、悩み多き暗い少年期だったかと言えば別にそうでもなくて。

当時の僕はとにかく創作意欲が欲求の最前線を席巻しており、悩む前に描くというか、悩む事含め描く以外の行動をあまり真面目にやらない傾向にありました。
創作によって得られる万能感が承認欲求を凌駕し、現実世界で得られる感情は鈍麻し、要するに麻薬漬けみたいになっていたんだと思います。
その自分だけにあつらえた創作世界を初めて他人に公開するのはかなり後の事になりますが(機会があればそのエピソードもまた書きます)、それまでは基本的に一日中頭の中で世界やキャラクターが勝手気ままに動いていて、物語が溢れ出し、だからこそそれを表現するため自分は漫画家になるのだという精神的支柱があったし、それ以外は上の空でした。

夢という名の欺瞞と逃避

一時期ゲームにハマってゲームクリエイターを目指すも、基本的にチームプレーで自分の好きなように表現出来る場では無いと思い、将来や進路を決める時期には再び漫画家志望を自称していました。
まぁこの当時は編集(出版社=広告業界)の意向を強く受ける故それほど自由でもない事や締切やアシの存在を知らなかったので、いきなり売れっ子作家みたいにワンマンに振る舞えると思い込んでいたのは今思えばおかしいですけど。

この時点で漫画家の事を詳しく調べなかったあたりもそうですが、僕の良くなかったところは、漫画家志望をある種人生を怠惰にスルーするための言い訳にしていた面が否定出来ない事ですね。

周りにそれとなく言われてその気になり、自分は放っておいても自動的に漫画家になる。
だから学校の勉強は必要ないし、絵をうまくうまくなりさえすれば、きっといつか誰かが認めてくれる……

そういった甘えが自覚は無いなりにあったような気がします。
周りが将来を真剣に考え、必死に悩んでいたその時期に、僕は鼻くそほじって絵ばかり描いていました。アホですね。
この時期にもっとちゃんと将来について考えていれば、その後の人生も今より多少マシになっていたかもしれないのに──

そして、幼少から植え付けられた「自分は周りとは違う」を文字通りの意味で斜め上に受け取ってしまったのも残念な点です。
逆差別意識というか、自分は一種の選ばれし者で、奇才故に周りとの軋轢が生まれているだけなのだ、自分は悪くない! という傲慢不遜な誤った自己肯定感が醸成されてしまいました。
所謂「拗らせた」ってやつです。
思春期には誰しもよくある事ではあるのですが、人と深く関わらず自分の世界に閉じ籠り、ろくに本も読まず浅い知識だけに依存していた当時の僕は、恥ずかしながらそんな自分を客観視出来なかったのです。
しかも、それにより無意識に人を見下すようになっていったのはクズの極みでしょう。この時期、恐らく傍から見れば並程度に陰気なだけの少年だったと自分でも思いますが、実は夜な夜な攻撃衝動を「裏の自分」的二重人格としてアウトプットし、家族や周囲の人間、或いは社会への恨みつらみを乱雑に原稿用紙に書き殴る「闇レター」という形で発散するという風習をやっていた事があります(黒歴史すぎるので流石に後で捨てましたが)。
クズなのは自分だという認識を受け入れられず逃れるために裏で他者をクズ扱いする弱い人間……

この時点で肥大化した妙なプライドを棄て、漫画家になるための方法を積極的に調べて恐れず持ち込みや賞への応募をしたり、そこまでいかなくともせめて「上位互換」と認知していた女子に対し肩肘張らず敢えて教えを乞うて技術交流を図るとかしていれば、また違った展望も見えていた──と言うのは流石に後だしが過ぎるので酷かもしれません。
ただいずれにしても、あらゆる意味で「待ち」だったのは良くなかったのでしょう。

地獄からの出所か、或いは執行か。
あの頃の僕にとって将来とは、ただ待つ事以外に他ならなかったのです。
罪を知らなければ更正も出来ず、模範囚としての早期出所も叶わない。
「漫画家になって早くここから出たいなぁ」で意識が止まっていたのでした。
好きな絵を描いているだけでおまんまにありつける夢のような日々、そういう甘えや逃げ、幻想を漫画家という職業に抱いていたのでした。

執行猶予

結局大学は美術系を志願。第一志望に落ちたりといったところで躓きはありましたが、本質は時間稼ぎなので今からすれば大した差はなかったのかもしれません。

それまでコソコソやっていた漫画制作をたっぷりある時間で堂々出来る……気が付けば高校生活も終わりかけていて周りに急かされて選んだに過ぎない進路なのに、大学進学をあたかも自分の確固たる意思の結果だと信じてやまなかった当時の僕は、ここでようやく将来と向き合う事になります。

漫画が描けない……

勉強しても勉強しても、うまく描けない。描く気が起きない。
あれだけ描きたいものがあったのに……

周りに流されたりサークル活動に浮気したり(ただここでの経験も楽しかったのでまた書きます)、でも一方でバイトはろくにやらなかったり、全く筋の通らない行き当たりばったりの大学生活。

そもそも漫画家になるために大学卒業は必要無いだろう? みたいな疑念と戦う日々。

この辺りから本格的に、というかようやく「人生ミスったな」という気付きが始まりました。

自分の存在は無価値であるという幼少期の精神状態に逆戻りしつつ、しかし一方であの頃の中毒レベルの創作意欲は失われ、「いつか描いてやる」というプロットや設定だけがゴミみたいに降り積もっていきます。
しかも当時は目が曇ったまま、何がいけなかったのかもこれからどうすればいいのかも分からず、悶々としながらも誰にも相談出来ずにいました。

親の脛を噛りながら、来る処刑を待つのみの日々。

確かに、技術的には向上しました。方法論としての知識も増えたし画力も上がったと思います。
ただ、それが全てではないという事に気付けませんでした。周りが夢を掴むか否かの瀬戸際に立っているのに、僕はようやく訪れた自己の表面上の成長に酔いしれていて、完全に周回遅れになっていました。

プロット構成に始まり、デッサン、パース、構図にコマ割り──
それらは漫画において、あくまで表現をより効果的にするための道具でしかない。
もっと言えば、漫画そのものが、作者から読者へ何かを伝えるための手段でしかない、という事に、僕はついに思い至らなかった。
言ってしまえばおしまいですが、それらの知識や手段はやる気さえあれば何もわざわざ大学へ行かずとも学べる事だったのです。
今更のようにそれを学んで、将来に向かって頑張っている感をようやく噛み締める。必死で夢へと邁進しているフリをする。それだけのために高い学費と仕送りを親に払わせたのでしょうか?
こうして書いていても申し訳なさすぎて死にたくなります……
実際に体験しそれを見極められたからこそ、こうして内省的文章を書ける、という意味はありましたが、コスパが悪すぎる。

結局ろくに漫画を描かないまま、執行猶予にも終焉が訪れます。

「伝えたいもの」は何だ?

ついに迎えた卒業制作。
全てを自由に描きたいように描ける最後のチャンスに、僕は思い悩ました。
そうして僕がやっとの思いでひり出したのは、幼少から頭の中に思い描いていた世界でも、ヒット作を研究して作り上げた成果でもなく、
【自殺に追い込まれたいじめられっこの小さな復讐譚】
でした。

見返すのも恥ずかしい拙い作品ですが、これ、僕にとっては今ネットで読める完結した唯一の漫画作品です。
漫画家志望が聞いて呆れますね。
世間のサラリーマン同人作家様の方がよっぽど数こなしてます。

これをひり出すために味わった産みの苦しみも含め、これを描き終えた時、僕は悟りました。

「ああ、そうか。
僕はこの作品に、社会に対する憎しみを込めていたんだ」

漫画家になって何を描くのかなど、最初から何も無かったのだと。
僕はただ、散々吹聴してきた野望を成し遂げ、自分を馬鹿にし見下げてきた周りの連中の鼻を明かしてやりたいだけだったのだ。
読者の事など、考えもしない。
人を楽しませようだなんて、思いもつかない。
ただ、僕の味わった苦しみや惨めさを拡散し、生まれと世界を呪いたいだけだった。
主人公の復讐譚ではない。僕自身の復讐譚だったのだ。

それに気付いて、どうにも言い訳も出来ず……
結局何一つ変える事の出来ないまま、僕の夢は挫折しました。
それをしたところで何になる? 現在も含めて人生が報われるか? ひょっとして途轍もなくバカらしい事をしてたのでは?
そう思えば思うほど……
怒りや憎しみという情動は醒めてしまえばひたすら脆く、あとはなし崩し的に遅すぎた就活を失意のうちにテキトーに終え(人生からビジョンが喪失していたので志望動機等でめちゃくちゃ躓くはめに)……
気付けばあれほど「なるまい」と思っていたサラリーマンをもう無為に8年近くダラダラやっています。
夢、破れたり……

そんな僕だから、最初に紹介した漫画は当時本当に心に突き刺さったのです。
本当に自分の事のように心が抉られて、何一つ否定出来ず、涙が止まりませんでした。

それと前後して、こんな事もありました。

志を共にして朝まで語り明かした事もあった学友が夢を叶えて上京していたので、会いに行って作った作品を見せてもらった事があったのですが、あまりの自分の情けなさ、不甲斐なさに男泣きしてしまいました。

かつては同じ場所にいたはずなのに。いや、もしかしたら、自分の方が上だと思っていたかもしれない。でも、結果はこれだ。彼は努力し、僕はしなかった。その差があまりにも歴然でどうしようにも埋められない気がして。
作品に感動しそれが引き金になったとはいえ、すごく独り善がりな涙なので二重に恥ずかしい思い出になりました。
彼は今もクリエイターとして一線で活躍しています。
かたや、僕は夢を語っていたあの頃の見る影もありません。
しかも、僕は仕事論を語れるほどサラリーマンも真面目にやっておらず、もう何も誇れません。

傷心の中、少しずつ絵を描いてネットに上げる日々でした。

インターネットお絵描きおじさんになって

その後も何度か転職の機会が訪れるたびに心が傾いたりしたものの、僕は結局クリエイターになる事を諦めてしまいました。
単純に労働そのものが嫌いなクズ故、その労働と唯一好きな絵を結びつけてしまったら、好きな事を仕事にした事で好きを一切失うのではないか、という恐怖は今もあります。
しかしやはり、自分や自分の作るものには価値など無いという気持ちが今でも大きいです。
こういう行きすぎた謙遜的な事を言うと「それは遠回しに応援してくれているファンを蔑ろにする失礼な言動だ」と言われる方がいます。
そのつもりは勿論ありませんが、結果としてそう捉えられても仕方ないとも思います。人の期待に応えられるような大層な人間ではない、未熟なのです。

プロでなくても、有名でなくとも、応援してくれている人を楽しませ、喜ばせ、期待に応える事がエンターテイナーであり、クリエイターの条件だと僕は考えます。
その意味では、やはり僕はそうはなれません。
何故なら、最後に残ったのは、それでも絵を描くのが好きで、描いている時の自分もそれなりに好きという内向きな気持ちでしかなかったからです。
それでもこのまま何も成さずに墓場直行も流石に不憫と思い至り、最初に戻って、ひとり勝手に教室の黒板に絵を描いているだけです。
相変わらず自分からは「描いたから見てちょうだい」とうまくアピール出来ませんし、誉めてもらってもうまくリアクションは出来ません。あくまで勝手に描いているというスタンスを崩せないのもそういう理由です。

僕は、僕を少しでも好きなままでいたいから、僕のために絵を描いています。かつて頭の中で見た景色を、いつか自分の目で見られるように。

ですが、最初はネットに絵を上げる事すら億劫でした。
真に自分が無価値な存在である事が数字によって言い逃れようもない程に決定付けられてしまうのではないか、隣のクラスの絵のうまい女子みたいな未だ見ぬ猛者がわんさとひしめいているこの世界で戦い、勝ち抜き、果たして生き残れるのか、と。

結論から言えば、それは杞憂でした。
勝ち負けではないと、分かったからです。
いや、僕の場合はある意味既に負けているが故にこれ以上殴られても殴っても判定は覆らないのです。

多かれ少なかれ、様々な人が気ままに好きなものを描いている世界がありました。

「自分を認めさせ、自信を勝ち取る。そのためにはプロクリエイターになるしかない」……視野の狭かった昔の僕が出した結論が、早計であった事にようやく気付いたのでした。なんだ、死にさえしなければ、誰だって絵は描けるじゃないか……
もちろんそこにだって序列のようなものはありましたが、だからといって昔のように己を誇示し絵で他者を殴り、武器を血に染める必要はない。
たったそれだけの事が、絵を描く楽しさと脳内麻薬の旨味を思い出させてくれました。

そんな自分を、とても絵師などと呼ぶ気にはなれません。
仕事(=義務)にしたくないから有償依頼も受け付けていません。
確かに評価されれば嬉しいし絵がバズれば愉快にもなる。
しかしそれはモチベーションを保つためのエッセンスに過ぎず、僕にとって絵を描く理由にはなりません。
承認欲求は満たされても、根源的な欲求不満は満たせないのです。

というか、そもそも狙った場所に撃って当てられるスキルが本当に僕にあるなら今からでもプロを目指します。

適当に撃ったまぐれ弾が当たったり、じっくり狙ったのにガク引きしたり横風にさらわれたりしてレンジ外に着弾したりもそれはそれで一興。
銃を愛する人が皆スプリーキラーでないように、射撃を楽しむだけなら人を撃ち殺す技術は必要無いはずです。
……何の話か分からなくなりましたが。
いずれにしても、双方向性もあまりなく、創造性も有限故に、発展性は望むべくもありません。でもそれでいいか、と思えるようになりました。

人によっては「金にならない絵を描く時間で副業でもした方が有意義」と言う人もいるでしょう。
ですが、僕はこのまま自分自身も気付かぬうちに墓場に入っても「明日は何を描こうかな?」と棺桶の中でワクワクしていたいのです。

それが今も、インターネットお絵描きおじさんとして絵を描き続ける理由です。

とおい昔に「漫画家になってやる!」と大言壮語を吐いてしまった人たちには今更顔を合わせにくく、あれだけ無理を言っても(表面上は反対せず)応援してくれた親からはすっかり期待されなくなり、客観的に考えれば惨めな人生ですが、それでもインターネットの隅っこで絵を描いて「いいね!」がついたり「分かります!」とリプが付いたりすれば小躍りする、そんな細やかな幸せと共に送る人生も悪くないような気がしています。

勿論この人生が行き当たりばったりのままいつまで続くかは分かりません。

でも、夢を諦めたとしても、絵を描く事を、生きる事を途中で諦めなくて良かったと、今では思っています。


……そうですね、次はもうちょっと読んでいただいた人のためになる事を書けたらいいなと思っています。

最後に一つだけ。こんな人間になっちゃダメですよ。

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