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金沢ピープルファイル003: 原田英二③

どんな町にもたいていひとつは気のおけない食堂があります。竹内紙器製作所のある幸浦で言えば「メルヘン」がそう。これからするのはそのメルヘンをめぐる、ある家族についての物語。あらかじめおことわりしておきたいのはすべて本当の話だということ。

第3回 世界放浪と奥さんのこと

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18歳のときに海外へ飛び出して20歳まで世界を一周していたんだけど、食うためにいろいろなことをしたよ。日本から持っていったお金はスリにあってあっという間になくなっちゃったから。ブラジルではコーヒー豆も担いだし、グリーンカードが貰えるっていうから軍隊にも入った。銃創もあるよ。

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アルゼンチンにも長くいて洗濯屋をやった。チントラリアっていう町でいちばん蔑まれている仕事なの。洗濯棒を担いで洗濯物をぶら下げて配って歩くんだ。

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いちばん長くやったのは大工だったな。おかげで港南台バーズの店もお客から見えるところなんかは自分で作ったりしたよ。飲食店をやっていながらフライパンを振ったこともないんだけど、店を作るのは好き。だから1年に2軒出店したこともあったし、これまでに作ったのは全部で26軒かな。

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最初の就職をする頃、ぼくには今の奥さんとは別の婚約者がいたんだけど、おふくろには結婚したら勘当するって反対されていたんだ。まだ高校1年生だった奥さんとおふくろがたまたま出会って、なんだか気に入ったんだろうね。

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横浜のアルテリーベで就職祝いをすることになったんだけど、おふくろはその婚約者ではなくて奥さんを連れて来いって言うものだから兄が連れてきちゃったんだ。この人と結婚しなきゃ勘当するって言ってぜったい譲らなかった。でも結婚したらしたで大事にはしてもらえなかった(笑)。

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保母さんになる夢を持って短大に通っていたのに、商人の嫁になったんだから学校なんか行かなくてもいいと言われて店を手伝わされて、朝から晩までケチョンケチョンに扱き使われた(笑)。

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