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時間は存在しない、という境地

朝目覚めると、今日のミッションがどっと頭に押し寄せる。やれやれ。それを一旦別の引き出しにしまって、今朝も淡々と太陽礼拝から始まった。

体が伸びる、縮む、を繰り返す。ゆっくりゆっくり5回。背骨の一つ一つがいろんな形になる。筋肉が動いている。三半規管がバランスを取ろうとする瞬間を感じる。じわーっと汗が出てきて、ふとしたポーズの中で自分の体から立ち上る体臭をかぐ。と、次の瞬間はシャワーで石鹸の香りに埋もれる欲求を想像する頭がある。

自分の体と向き合う永遠のような時間。しかし、この瞬間も私は死にむかって疾走している。天体が運行する中、一瞬でこの世から去る。

インドで先住民を巻き込みながらアートプロジェクトやコミュニティ作りのプロジェクトをスタートして11年がたった。インドの中でも経済的に貧しい州とされるビハール州の、川を二つ超えた奥地にある村で、遠藤一郎さんというアーティストがインスタレーションをした。凧一枚一枚に夢を描いてもらって、連凧にして、つまり夢をつなげて空にあげるというパフォーマンスだ。年配の女性にも夢を書いてもらったのだけど、彼女は文字を書けないので絵を描き、その隣に、文字をかける人にコメントを代筆してもらった。彼女の夢は「ポリスになる」だった。

えっ? と思った。

彼女の年齢で警察官になる夢を持っている不思議。その場では疑問を飲み込んだものの、ずっと心に引っかかり続けた。彼女の時間軸にとても興味が沸いた。文字と時間軸は関係しているのか。時間というものと無関係に生きる人が存在するということに初めて気づいたあの日。

神話の時代をへて、神とたもとをわかつ形で人々は自分たちの存在を模索し始めたけれど。

私たちが過ごす上でなくてはならないと思っている時間とは一体なんなのか。時間は本当に存在するのだろうか。

イタリアの物理学者カルロ・ヴェッリの著書『時間は存在しない』は手元にあるだけで、一向にページは開かれていないのだけど、朝のヨガで少しずつ時間というものが遠のいていくのがわかる。

永遠とも思える一瞬があり、一瞬で終わる一生がある。

とは言え、抱えている原稿の締め切りがのしかかっていることは確かであり、確実に時間はあるのだ。それは間違いないのだけれど、敢えて「時間はない」と声に出してみる。都合のいい解釈だろうか。とにかく今日のミッションを淡々とこなしていこう。


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