見出し画像

「弱さの情報公開」ができる世界

11/19(月)に、soarさんとLITALICOさんの共同主催イベントに参加し、
そこでべてるの家の向谷地生良さんのお話を伺うことがありました。

べてるの家とは、1984年(昭和59年)に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。当事者研究という取り組みを始めたことでも知られています。

(以下、参考リンク。べてるの家と当事者研究について)


さて、向谷地さんのお話の中で、「弱さの情報公開」というキーワードが何度か出てきました。

ぼくの中ではこれがとても印象に残り、
また、#soar_event を見ていると、他の参加者の方にとっても、これがポイントになった、
あるいはもう少し踏み込んでいうと、救いになった、希望になったのではないかと感じました。

「弱さの情報公開」とは、お互いの弱さや苦労を公開し合うことで、つながることができる、弱さは分かち合うべき共有財産だという考え方です。

今日はこの「弱さの情報公開」について、向谷地さんのお話をまとめながら、ぼくが思ったことを書いていきたいと思います。


目次
▽「弱さの情報公開」を分解してみた
▽「弱さの情報公開」に必要な大前提ー対話ー
▽自分/他人の弱さを受け入れるためには
▽「弱さの情報公開」をしたあとー前に踏み出すことー
▽みんなでこういう世界作ろうよ、と思う


▽「弱さの情報公開」を分解してみた

「弱さの情報公開」を実現するには、大きく3つのフェーズに分けられます。

1.自分の弱さを知る、受け入れる
2.相手に自分の弱さを伝える
3.相手の弱さを知る、受け入れる

この3つのステップのうち、ここで注目したいのは、当然1と3です。
少し考えればわかることですが、1と3で行っていることは、ほとんど同じです。

自分の弱さも相手の弱さも、それにはなかなか気づけないし、
受け入れることはとても難しいです。

自分や他人の弱さを受け入れるために必要なことは、
のちに考えていきます。
一旦ここでは、3つのステップに切り分けるところまで。


▽「弱さの情報公開」に必要な大前提ー対話ー

以上に述べた3つのステップのいずれにおいても必要な大前提が、
対話です。

自分の弱さを知る際にも、それを伝える際にも、相手の弱さを受け入れるためにも、
対話は重要なツールとなります。

対話、という言葉は、向谷地さんのお話の中で何度も出てきました。
べてるの標語の一つに、「三度の飯よりミーティング」というものがあるそうですが、
これも対話を大事にしている価値観が現れています。

さて、ここで大事にされている対話ですが(対話とは?という疑問はあると思うし、ぼくも思うのですが、一旦ここでは保留)
対話って、めっちゃ大変ですよね。シンプルに時間的・体力的にコストが結構かかる。

同時に、対話という営みは、とても人間的であると言えます。
直感でしかないですが、AIとのコミュニケーションを対話と呼ぶ人は、まだ多くはないのでしょうか。

これは結構脱線なのですが、コストがとてもかかる対話を人間がやっていくためにも、
そうじゃない部分はテクノロジーに任せていけるのではないか、という感想を抱きました。

「対話する」「弱さを見せ合う、認め合う」みたいなことは人間が人間として行い、
テクノロジーができる部分はテクノロジーに任せていく、みたいな生き方が可能なのではないか。
むしろそれが可能だからこそ、近年「対話」「多様性」みたいなことがキーワードになっているように思えました。

人に優しいテクノロジーのあり方は、こんなことを手掛かりにしながら、考えうるのではないかと思いました。

(書いた後で読んだのですが、この部分は、斎藤環先生が介護の未来について書いたこの記事ともつながりがあるような気がします。)


▽自分/他人の弱さを受け入れるためには

少し脱線してしまいましたが、「弱さの情報公開」の本題に戻ります。
自分/他人の弱さを受け入れることがポイントだと話しましたが、
それってどうやったらできるの?と思いました。

そのヒントになるような、向谷地さんのお話を、いくつか並べます。

・「問題は何かを解消しようとするために起きている」という発想
例えば精神疾患という問題は、例えば忙しすぎるとかストレスが過剰にかかっているとか、
そういった何かを解消しようとするために起こっていると捉える発想です。

なので、その問題は何を解消しようとしているのかを探求することが大切です。
問題は敵ではなく、友達なのです。

・「大事なものは、準備とか計画の外にある」という発想
人間が意識して頭の中で考えられることなんて、たかが知れています。

その外側を楽しむこと、外側に余白を作っておく生き方をすることで、
自分や他人の弱さも、すっと受け入れることができるようになるのではないでしょうか。

・誰かの弱さを、笑って受け入れること
べてるの家では、統合失調症に伴って起きる幻覚や幻聴に対して、
年に1回のべてる祭りの中で、「幻覚・幻聴大会」を行い、切れ味のいい幻覚や幻聴を表彰しています。
毎年、表彰式は笑いの連続だそうです。

そんな風に、自分の弱さも他人の弱さも笑って受け入れる空気があるからこそ、情報公開ができる。

そしてその笑いは、揶揄することや、バカにすることとは決定的に違っているように感じます。
その違いがなんなのかは、まだよくわかっていないので、またの機会に。。。


▽「弱さの情報公開」をしたあとー前に踏み出すことー

さて、ここまで「弱さの情報公開」について考えてきましたが、
情報公開したあとについても考えてみたいです。

弱さを共有したあとは、(なんとなくですが)みんなで前に進んで行くことができると、良いのではないかと感じました。
ここでの「前」は必ずしも、世の中で「前」とされていることである必要はないと思うのですが、
何か一歩踏み出してみることができると、なんだか良さそう。

そして、「前に踏み出す」際にも、いろんな踏み出し方があります。

・例えば、べてるは今、90人の社員を抱える事業所になっているそうです。
これはべてるのインパクトを示しているものでもあるし、
同時に、統合失調症の人は、「健康」な人と同じように働くことができないので、同じことをするためにも、力を合わせる必要があったとも考えられるのではないでしょうか。

こんな風に、精神疾患の人たち、マイノリティの人たちが集まって力を合わせることもいいし、
一方で「普通」の人たちに受け入れられながら、一緒に働くこともいいなと思います。
どっちも素敵な形です。

・統合失調症を抱えた方(潔さん)が、昆布を販売している際のエピソードです。
普段は素晴らしいセールストークを見せる潔さんが、体調を崩してしまったとき、
潔さんファンの主婦の方がたくさん手伝ってくれて、いつもよりも早く昆布が完売したそうです。

これは潔さんが、「病気だから、できたこと」です。

この 「病気だから、できる」もとても素敵です。自分の「弱さ」を強さに変えることができています。

でも一方で、病気(あるいは「弱さ」、マイノリティ性)を武器にしなくてもいい、とも感じます。
そこは個人の選択に委ねられているので、
弱さとはまったく違うところを強みにしていくことも、大事です。

同じような構文でいうと、「病気でも、できる」とか、あるいは、「病気である。そして、できる」みたいな感覚。
どちらも素敵な、一歩の踏み出し方だと思います。

(この部分はこの記事を参考にしました。以下引用)
太田:そうなんだよね。もちろんマイノリティ性を個性に、強みにしたい人はいるし、それはいいんだけど、したい人ばかりじゃないからさ。


▽みんなでこういう世界作ろうよ、と思う

ここで考えてきた「弱さを出せる世界」「弱さの情報公開によって成り立つ世界」は、
べてるの家のものだけではないし、精神疾患を抱えた人とか、何かわかりやすい生きづらさを持っている人や、今社会にあるラベルを貼られた人たちだけのものではない、
特別なものではないと思います。

たぶんほとんどの人が持っている(持ってない人いるのかな)、どの生きづらさにも適用できるし、
みんなが生きやすくなるコツが詰まっています。

だから、こっちの世界にみんなでおいでよ、と思いました。
あるいは、ぼくがその世界の住人になれているかはわからないので、
こういう世界、みんなで作ろうよ、と思いました。

でも。
それって人の思想をコントロールしていることになるのかな。
そしてそれは、ある種選民思想的なのかな。
という悩みを同時に抱えたことも、書き留めておきます。

サポートでいただいたお金は、今後もよりよいnoteを書き続けていくために、サウナに行ったり美味しいもの食べたり本を買ったりと、ぼくのQOLアップに使わせていただきます。いつもnoteを読んでくださって、本当にありがとうございます。