すだち酎

 何の前触れもなく息子が帰って来た。息子は三十になっていたはずだった。ずいぶん太っていて、無精ひげが生えている。しかし小さな二重の目は変わっていない。スポーツバッグを手に持って、二階に上がっていく。一週間で帰ると言った。しかし一週間経っても帰る気配はなかった。
 何故家に戻って来たか。何があったのか。いろいろ訊ねても息子は「疲れている」と言って具体的なことは答えなかった。私は心療内科の受診を勧めたが、息子は首を縦に振らなかった。
 妻は二年前に他界した。葬儀に来るように息子に何度も電話をしたのだが、結局一度も出ず、葬儀にも顔を出さなかった。本来なら喪主を務めるはずの息子が帰って来なかったためか、しばらく近所から白い目で見られていた。私ももう七十になる。そろそろ息子と近い将来のことを話したいのだが、息子はその大きな身体全体で拒否していた。
「車、借りていい?」
家に来て二週間後の朝、息子はそう言った。私は「いいよ」と言い、車の鍵を渡した。息子はそれ以上何も言わずに外に出た。その日は夕方まで帰って来なかった。
 私は昔、飲食店でバイトをしていたこともあり、料理は得意だ。妻が他界してからいつも自炊をするようになった。息子は美味いとも不味いとも言わずに、食べ終わると食器を流しに運んで部屋に戻る。部屋着にしているプーマのジャージは、膝のところに大きな穴が開いている。私が「繕うよ」と言っても、「別にいい」と小さな声で拒絶する。
 今日も息子は早朝からどこかに出かけた。車の中の灰皿には煙草の吸い殻がぎゅうぎゅうに詰まっていた。いつからか息子は煙草を吸うようになり、部屋もヤニ臭かった。私は息子がいつから帰ってきていないのかを思い出そうとしたが、よく覚えていなかった。大学進学で家を離れてから、成人式も、大学卒業の時も、お盆も正月も息子は帰ってきていない。連絡があるとすれば無心のメールぐらいで、それ以外はほとんど連絡してくることはなかった。「お母さんが入院したよ」と伝えても「ふうん」ぐらいの反応だった。
 息子が車でどこに行っているのかはよく分からない。しかしある夏の日に、息子はビニール袋に何かを入れて戻って来た。がさがさと音がするので、何かと訊ねた。
「トカゲだよ。山で見つけた」
息子は昔金魚を飼っていた水槽を物置から持って来て、土やら土管やらを水槽に入れ、一番日当たりのいい場所にそれを置いた。息子は水槽の中をせわしなく動き回るトカゲを興味深げに眺めていた。
 週に二回、私はゴミを回収するため息子の部屋に入る。その日、息子はまだ寝ていて、毛深い脛毛がタオルケットから覗いている。煙草のにおいが充満し、ゴミもそこらじゅうに転がっている。吸い殻やペットボトルをゴミ袋に入れていく。部屋の隅に「すだち酎」と書かれた空き瓶が落ちていたので、それも拾ってゴミ袋に入れた。ゴミを持って外に出ると、もう夏の日差しが照りつけていて、汗が滲む。朝ごはんを作っていると、息子が下りてきた。居間に入るなり、息子は叫んだ。
「すだちの瓶、どこにやった?」
私は「捨てたよ」と答えた。
「あれは大学の卒業式で飲んだ時の記念の瓶なんだよ! 勝手に捨てるな!」
「適当に置いておくからだ。ゴミと間違えたじゃないか」私も反論した。
息子は「早くとって来い!」と怒鳴ったが、私はそれを無視した。息子は「もういい! 俺が行く!」と玄関を飛び出た。しばらくして息子は瓶を持って現れた。私は、ここで暮らすならもっと持って来るものがあっただろうに、そんなかさばるものを何故持って来たのか分からなかったが、訊ねることはしなかった。息子は何かを抱えている。私はいずれそれに向き合ってやらねばならない。
 それからはすだち酎の瓶には触れないようにした。息子は相変わらず車でどこかに出かける。お金はどこから出ているのだろうか、まったく分からない。職安に行っているわけでもなさそうだし、息子はこの先どうするつもりなのだろう。
 息子はよく酒を飲む。車で出かける時に買ってくるのだろうが、焼酎の空き瓶がゴミ箱の前に並んでいる。ある時、そこにすだち酎の空き瓶があった。私は捨てるかどうか迷ったが、捨てないことにした。もしかしたら息子の記念品の瓶も混じっているかもしれないので、触らぬ神に祟りなしの精神で放っておいた。その内すだち酎の空き瓶が何本も並んでいる状態になった。息子もゴミや衣服が散乱している部屋にいるせいか、「捨てろ」と咎めるようなことはしなかった。
 朝出かけていった息子の部屋に入ってみた。興味本位だった。相変わらず汚く、においもひどい。ふと水槽の方に目がいった。土の上でトカゲが干からびていて、何かの珍味のような形をしている。私は息子に電話をした。トカゲ、死んでたぞ。すると息子は「知ってるよ」とだけ答えて電話を切った。どこか大勢の人がいる場所にいるらしく、周囲の声のようなものが電話越しに聞こえていた。夕方、私は家に戻ってきた息子に命の大事さを説こうと居間に座らせた。息子は昔から飽きっぽい性格で、通信簿にも「集中力がありません」と書かれていた。金魚だって最初こそ喜んで餌をやっていたが、次第に何もしなくなり、結局妻が餌やりやら水替えやらをすることになったのだ。
「いいか? お前は飽きっぽい。仕事も辞めてきたんだろう? 何をやっても長続きしなかったよな? そういう人間が生き物を飼っちゃいけない。お父さんはお前が今何をして過ごしているのかは分からない。ただいつまでもこのままじゃいけないと思うんだ。仕事をしろとは言わない。何か打ち込めるものを見つけてくれたらそれでいい。明日はその反省の意味を込めてトカゲを見つけた山まで行くぞ。そこにトカゲの死骸を埋めよう」
息子は黙っていた。時折頭をかいて、ずっと下を向いている。「それでそのトカゲを見つけた山というのはどこだ?」「大麻山の方」「分かった。じゃあ死骸をちゃんと持っていこう。明日は早起きするんだぞ」
 翌日は青空がどこまでも続いていて、ジワジワジワと蝉が鳴いていた。私は朝から弁当を作っていた。大麻山までならちょうど昼どきに到着する。そこで何か話をして、息子の抱えているものを楽にできればいい。息子はすだち酎の空き瓶を手にぶら下げて居間にやって来た。「ティッシュとかなかったからこれに入れてきた」見ると確かに底の方に黒くなったトカゲの死骸が見えた。「まあ、いいか」私は笑顔を作った。
 私の運転で大麻山に向かった。息子はぼんやりと外を眺めて、ひんぱんに煙草に火を点ける。私は自分の子供ながら謎の多い息子に訊ねた。
「お母さんが死んだ時、どうしてたんだ?」
「忘れた」
「お母さん、悲しかったと思うぞ」
「死んだ人の気持ちを勝手に代弁しないでよ。おこがましいよ。ほら、ちゃんと前見て」
息子は窓の外に煙草の灰を落とした。
 その後、息子に何を訊ねても「忘れた」「別に」と返された。ただ答えるのが面倒なのか、それとも本当に忘れてしまっているのか。濁った暗い目をした息子を見て、私は話しかけることができず、車内はラジオの音だけが流れていた。
 大麻山に着いた時、灰皿はすでにぎゅうぎゅうの状態だった。十分おきくらいに吸うから無理もない。私は駐車場に車を停めて、息子の指示通りに歩いていった。「弥山神社」と書かれた鳥居をくぐる。蝉の声が一層響く。眼前には急な石段が延々と続いている。息子はサンダル履きで、明らかにだるそうだ。
「あ、マムシだ」
息子の足元からわずか十センチほどの距離をマムシが悠々と身体をくねらせて進んでいく。赤っぽい斑点の浮いた身体はどこか神々しい。
「マムシ酒でも造るか?」
私は冗談で言ったのだが、息子は「やめてよ」と不機嫌そうに呟いた。マムシは何事もなかったように藪の中へ消えた。
 「この辺でいいか」山の中腹の辺りで、私は息子からすだち酎の瓶を受け取り、持って来たシャベルで穴を掘った。トカゲの死骸を取り出そうとするが、内側が濡れているせいでなかなか飲み口まで落ちてこない。底の方をバンバン叩いたがだめだった。落ちていた木の枝を使ってなんとか死骸は飲み口の方まで落ちてきた。しかし息子はどうやって入れたのか、ぜんぜん死骸は取り出せない。木の枝で取り出そうとするが、どうやっても飲み口から出てこない。
「瓶ごと埋めたら?」
私が戸惑っているのを見て息子がぽつりと言った。
「そういう問題じゃないだろう? 何のためにここまで来たと思ってるんだ!」
私は悠然と煙草を吸う息子を睨んだ。息子の足元には吸い殻が数本落ちている。なんとか尻尾の部分が出てきた。尻尾を引っ張ると、後ろ足が折れてしまった。からん、と音がしてトカゲの死骸は土の上に落ちた。尻尾や前足もばらばらになっていた。
「さあ、手を合わせて」
私はばらばらになったトカゲの死骸に土を被せた。息子はしゃがんで十秒ほど手を合わせた。
「じゃあ、弁当持って来たからもうすこし上ろう」息の上がる中、私はさらに石段を上っていった。パカパカという息子のサンダルの音が後ろからした。
 見晴らしのいいベンチで弁当を広げた。遠くには吉野川も見える。玉子焼きやウインナー、ハンバーグなど、息子の好きなものを詰め込んだ。息子は無言のままそれを食べた。
「今日は天気がいいから気持ちいいだろ?」
私はそう言ったが、息子は「別に」と煙草をふかした。まだ弁当は三分の一ほど残っている。
「もういいのか?」
「うん」
「じゃあお父さん食べるぞ」
「どうぞ」
 結局息子とちゃんと向き合えるような空気ではなく、帰ることになった。山道を上ったせいか足がじりじりと痛む。キーを回してエンジンをかける。がくん、と車が大きく揺れた。どうやらギアを入れ間違えて縁石に乗り上げてしまったらしい。「あーあー」と息子は外に出た。「擦っちゃってるわ。帰りは俺が運転するよ」私はなんだか情けない思いで助手席に座った。息子は山道を猛スピードで駆け抜ける。窓を開けて煙草を持った右腕を出し、急なカーブでも減速をしない。
「もうちょっと安全運転できないか?」
すると息子は不機嫌そうに言った。
「お父さんが運転した方がよっぽど危ないよ。そろそろ免許返納も考えないと」
私はふと、この先息子に介護されている自分を想像した。まるでトカゲに餌を与えるように、箸やスプーンではなくピンセットで食事を運ぶ。糞尿は垂れ流され、股間の周りは不快な蒸れで紫色にただれていく。窓は常に遮光カーテンが閉められて、ろくに陽の光も当たらない。ただ一日天井を見つめるだけの日々が続く。やがて介護に飽きた息子は私を置いてどこかに行ってしまう。腹がへっても身動きがとれないのだからじっとしているしかない。徐々に意識が朦朧としてくる。視界が濁っていく。依然として垂れ流される糞尿は、介護用ベッドを腐食するようにどす黒く広がっていく。飲まず食わずなのに何故排泄物が出るのだろう? 分からないままやがて迎える死期の幻覚が天井を曇らせる。独り死んでいく恐怖に絶叫こそしないまでも、本来なら叫びだしたくなるような悲惨な末路だ。まぶたが重くなる。呼吸もすくなくなる。しゅう、と息を吐いて私は死ぬ。腐敗が進み、どこからともなくやってきた蠅が濛々と身体にたかり、米粒のような大量の蛆虫が私の顔を這う。近所の住人から異臭がすると市役所に苦情が入る。警察の手によって司法解剖された私は小さな骨壺に納まる。息子はのこのことやってきて、私の骨を何の感情もないまま墓に入れる。そして二度と訪れない。簡単に想像しうる未来に、私は具合が悪くなってきてビニール袋に嘔吐した。「大丈夫?」と声をかける息子に私は言った。
「一生懸命育てたのにな」
息子は何を言われたのか分かっていないようで「何? トカゲのこと?」と言った。悲しいとか寂しいのとも違う、何か不穏な感情が私の中にある。息子が道中言ったように、骨になってなお自分という意識があるかを想像するのはおこがましい気がした。死んだらそれで終わり。どうしてそういう感情になれないのだろう。どこまでいってもたどり着けない場所を目指して私は不穏な感情のまま歩き続けている。そこへはたった一人で向かわなければならない。たどり着けない場所なのだから途中で力尽きるはずで、しかし誰も私がそこを目指して歩いていたというのを知らない。誰かには分かって欲しい気もするが、仕方がない。私は顎に垂れた酸っぱい吐瀉物をティッシュで拭った。息子はしかめっ面で窓を開けた。
 一か月後、息子は何事もなかったように家を出た。息子の部屋の片づけをしていると、すだち酎の瓶が落ちていた。私は捨てるか迷って結局部屋の隅に置いておいた。それから奇妙なことが起きた。すだち酎の瓶が家の中を徘徊し始めたのだ。翌日は居間に転がっていた。その翌日には階段にあった。三十分ほどで姿を消したり、数日経っても居座り続けることもある。その内になんだか息子が小さい頃を思い出して、瓶に話しかけたり、タオルで表面を拭いたりしている。瓶の裏にはマジックで「祝・卒業」と書かれている。執着心というものがまるでない息子が怒鳴ってまで守った瓶だ。家族になれずに見殺しにされたトカゲの霊でも宿っているのかもしれない。いつかまた息子が帰ってきたら、瓶が徘徊していることを伝えたいと思う。信じてもらえるかは分からないが。案外息子よりも瓶の方がうまく付き合えるのではないかと思うこともある。私よりも息子よりも、この瓶の方がいつまでも家族の一員のようにこの家にいる気がしてなんだかオカシクなる。

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