You should live a modest life.

私の座右の銘は「遠慮して生きていこう」だ。タトゥーとして入れても何の後悔もない、自分の中で変わらない言葉だ。
しかし本当にそれでいいのかと思うことも最近ある。
私は目立つ外見をしている。体が大きいし、目つきも悪く、「怖い人だと思ってた」と言われることが多い。
しかし内面は小心者で争いを好まない優しい人間だと思っている。
それ故性格が分かるくらい仲良くなった人からはイジられる。
でも内心は傷ついている。出来ればイジられたくはないし、それによって生じる笑いも好きではない。
もちろんイジる側は私が本気で怒らないことを知っていてそうしているのだし、ある種の信頼関係があればこその言動なのだろう。
でも最近はそれが嫌でたまらない。
遠慮して生きてきた結果なのだろうが、町ゆく人たちがあまりに自己中心的に見えてくる。道を譲らない。傘を横にしてぶんぶん腕を降って歩く。店員さんに横柄な態度をとる。
たぶんそういう人たちに私が何を言っても自分の行動をただすことはしない。むしろ逆上するだろう。
「みんな忙しい」とか「みんな苦労してるんだよ」と主張する人たちがいるが、その「みんな」の中に私は含まれていない。
たぶんだが、そういうことを言う人はそれを受け入れてくれる仲間がいる。
まあ、ひがんでるのかもしれない。自己主張して何かしら反応があれば嬉しいから。小説然り絵然り。
しかし、それが「わがまま」なのかもしれないこともある。当たり前に助けてくれる仲間がいるのはありがたいが、その人たちを大切に思えば思うほど「助けてほしい」と言い出せない自分がいる。
優しいのは美徳とされるが、優しいだけではいけないと思う(モテる人は人を心配にさせても大して何も思ってないような気がする)(私はモテない)。
わがままは他人を何かしら変えるが、自分を変えるのは自分しかいない。嫌われてもいいから嫌なものは嫌だと言いたい。主張しないと伝わらない。主張が届いてほしい。何かそれで人に変化をもたらしたい。小説でも絵でも日常生活でも。
それでも変わる人はごくごく少数だろう。でも自分の中で、変わりたいと思う気持ちだけは変わらないでいたいなと思う。今日遭遇した自分を変える気がないお年寄りに中指を。

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