四十九日抱擁


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うどん。朝おはよう。イギリストースト。昼こんにちは。夜おやすみ。お父さんとお母さん死んだ。

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 出会いはじめまして。別れさようなら。くじら餅、リッチ、お菓子のこと。

     3

 ご愁傷様が終わって私は一人になった身体で、けいこうとうのひかりの中で、目をとじると、うすぼんやりとひかりが透けている目の裏で、まばたきの間の一瞬のこのひかりの感じで、私はお父さんお母さんのことのように一瞬だけここからいなくなる気がした。

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 今日からこれを記すと思い、言語的な日常をここに記すもの、としては、とりあえず的に数日前からのことがらの言葉を書いてみたのであって、私はひとりで食べていくから、成長していく、だろうという気がして、私は言語を記すことで、なにか後で思い考えることができ、歯軋り、咀嚼、カレーパン、大盛りのご飯や茸汁、海魚をバスで売りに来る魚屋の演歌が(祭り歌)で出ている昼があって、酒を飲んでいて、私の身体的成長は分からないだが、増えていく赤が血みたいであり、かろうじてある言葉があって、発泡酒との折り合いを愛し、お姉ちゃんと苺の乗せてあるフルーチェを食べた。

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 今日の会話や独語や言葉や話すということが、お父さんに言われた言葉が、形状記憶的な変化で、コンビニの天井ふきんにあった鏡として映りだした私は、変化してカーブしていて、どこにでもいる障害のこと、お母さんが言っていた言葉や、私の学ばなければならないことを教えられたきがして、消える前に記すので、あたたかな日差しや、亀がとうみんから起きるので明日は水槽で、それは準備ということで水や細かな石であって死んでいなければいいと思う。

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 学ぶのはできるが、耳語ではだめで、見て覚えることを学び、愛すべきキスをする時や、瞬間のことや、悲しむ人が通り過ぎた気があるから、言葉かけてやりたかった。お姉ちゃんに言われた言葉がずいぶん思い出されて、お金の危機的な話や役所のことや、これからということや、独り言を書いておき、生きることで真っ当さや真面目さが生きてるから、あなたとしては大丈夫でも、こっちに来てもいいし、コーヒーを飲んでもいいけど、すこししかだめで、何故かというと、不眠になってしまうと思い出したからで、一般就労のことはだめで、Bのことや、Aは難しいから、とてもお金ではだめで、そのためには、いってしまったひとはお母さんとお父さんと、ずいぶんまえのおじいちゃんおばあちゃんと、とにかくのいっぱいがあって、お父さんとお母さんは車だから鉄や血の中で死んだから、だからだめで、ここ何日かの黒服のてかてかや線香の焼香の菊の遺影のなにかわからない呪文ことお経や、ハゲ糞の口や、古い方の冷蔵庫に入っているベルギーワッフルを食べていると、ふとした感じがこれはお母さんが手にしたのだから、お母さんはもう食べることができないから、でお姉ちゃんは水で顔でわーわーと水で顔だった。私は分からないから、お姉ちゃんはなんでそれができるか教えてもくれないから、ひどく疲れていて、うどんや、アジフライで、最後だと思ってこれを言語で残すことで、油の光の七色だったことや、うどんの出汁がどうすればお母さん味かお姉ちゃんは知っていないようだから、私はベルギーワッフルをおいしく食べておいしかったことを覚えておこうと思っている。今日は寒いから亀は明日にする。

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 亀はいきていて、餌のえびや固形物をやった。初七日おわりでお姉ちゃんは帰って、ありがとうで、だから、うどんを食べて、元気は出ないから、私は家にひとりで、寂しいことや辛いことなども、言葉は育っていて、私は成長していると思っているだから、日々の緑茶を飲むことや、梅の花が咲いていることや、ベルギーワッフルを食べておいしいと思うことが、ひととおりの一日があって、それは正しいことであるからと思うから、犬を遠くから見えたからや、米粒が落ちていて、犬は黒々となって私は驚いただと、犬をかっているひとはだめだといって私は難を逃れた。白色自転車は泥が錆びてあって、半年前だから買っていたものでお母さんだからお金をはらってすきなのをえらんでいいからとお父さんもいてじょうぶなものをえらんでいった。店員はパンクするのはいいが、保証されているために、パンクしないものもあるが、あまりおすすめはせずに、だからお母さんとお父さんといい白色自転車を購入してとても乗りやすくてすいすいだったから秋だった、まだ雪が降らずにあって、お父さんは車運転できるから私の古自転車をトラックではこびだして店までもってきて、ひきとってもらうことができた。私は白色自転車が完成するまで亀を見ていて、それらはいえの亀よりもちいさかった。いえの亀もここで買ったから六年いじょう生きているはずで、今は元気が出ていたけど、むかしというのは来た買ったとうじのころはすぐにくびをひっこめてあまりなじめないような感じであったので、暑くなると元気が出るようだ、私は砂利があしでかかれるようすや音がうるさいから、うるせぇといった独語を吐いたり、でもこうらがおおきくなってきて、ちからがついてくるとうれしくなった。こうらにはうすいかけらのようなものがあり、それが皮であり、おおきくなったという証明であり、脱皮である。だから亀は何センチもあるからそれは冬眠から目覚めたので、私は人間としてうれしい。

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 お母さんがお金を出した白色自転車は私を好きであるところに行けて、だから私はおもちゃの人形をかいたかったからリサイクルショップへ行って、服やつぼやふしぎなものがやすいのかはわからないねだんであって、私は人形を見て、人形はドラゴンボールやワンピースやぼくのヒーローアカデミアやそれぞれが造形であって、私を楽しませるからすきだと思うのであり、私はほしいものがたくさんあったけど、おかねがそれほどになかったから、安価もので目星であり、ドラゴンボールの悟空を買った、嬉しくあって、まちがいなく私のものになったからなおに嬉しくて、私は白色自転車で橋をわたっていくと、下に公園があって、貧しい何かの人、中学生や高校生にあって、グレーの汗のにおいがしているような、きたない髪の毛や酒を飲んでいて、いっしょになりたいが、それはだめで、何故かといっては私も貧しい何かの人と一緒にあそんだ気がしたからで、私はくさかったのをおぼえてくれました、から川がたくさんの水がすごくて、貧人から家を流されてしまって、だから死んでいるから、行方不明にあったり、いまの人たちはおばけやゾンビみたいだから、学生をうらやましくなってみているが、でもくわわってはいけなくて、それが十数秒かんの悲しみや犯罪で、私は思い出していて、あのころはおばあちゃんが私を見ているときがいろいろあっていた。おばあちゃんは私の名前やかおをだめで、おしっこうんこなどをもらしていて、お父さんはそれがまったくもってきにいらず、怒鳴ってしかって、トタンの上にその布団があって、たばこ吸うおばあちゃんが、ひとりだけ死ぬようにできていて、私はいまそれを思い出してお父さんがきらいになってきて、おばあちゃんのしろい毛や、塩飴や、セブンスターや、それを盗んだ中学生やの時代で、私は吸っていた、今でも吸うから、三十本くらい吸うから、前にお父さんの車で病院まで行って検査したのはつい前で、血をとったりレントゲンしたり目の検査心電図や、肺にはいじょうなしで、私は吸うことを許されたから、お父さんもお母さんもたばこがだめだから、外吸いであって、冬や暑い夏はいやだったし、雨の日もいやだったし、なんで家吸いはだめなのか抗議してみたりすると、悲しそうなお母さんは、だめだよと言って私は否定されてしまい、みんなは吸っている人や厳しい法律や、高い箱で、電子たばこを吸ってみて、面倒くさいと思って、貧人は吸っている人がいっぱいで、酒もあって、イギリストーストやチキンラーメンを教えてくれた。私は帰して、悟空を机のあるところにおいてみたりして、楽しんだ。風呂にはいって眠りになった。

     9

 にんげん私は亀にあたえた固形物や乾燥えびをやって、えびは食べられるから、口にいれたらとげとげで、歯にはさまったりして嫌気分だった。今日は施設の見学で、しゃきょうのやまもとさんが車でちかくのばしょに乗せていって、Bの見学で、私のようなしょうがいがあるひとたちが機械をくみたてながら生きていることがあって、みんなは黙ってやるひとや、ジャンプするひとや、ぎゃーぺぁーみたいなひとがいたりして、嫌気分で、ここですこしだけお金をもらうことや、おとに敏しょう者だから私にはイヤホンや耳栓があると効果的で、作業にすこしだけくわわって、指にゴム製のサックをつけて、機械をくみたててみたが、うるさいひとがおおくて、指紋のことがあるから、髪の毛がつくといけないから、帽子や指サックがあって、それを知ったからといって、作業はすすまずにあって、空白時間やたばこのじかんがさだめられていて、まえのひとがおならをして、はしったり、独語をさけんだり、怒鳴り声や、その他のなにか気分悪いことや、とにかく嫌気分であって、私はここではむりだとやまもとさんに言うと、やまもとさんはむりしないでもいいよ、しゅういちでもいいよ、とわらっていたが、私は来たくなかったから、いやーんいやーんとなって泣きそうになってしまい、ほかのひとたちが私を見て、でぶとか、はげとかと言われて殴りそうだから、でもそれは言ったことではなくて、私がそう聞こえた声があったから、無垢の攻撃であって、私の頭のなかでの抗争がそう聞こえたが、嫌気分は変わらずだったから、自動販売機でコカコーラを買ってのんで、げっ、とげっぷであり、やまもとさんは疲れている私を見て、すこしずつでいいから慣れようね、と言われたから、私は厳しい賛同ですと不明語句を独語してしまって、やまもとさんは笑って私の背中をたたいたから、腹が立ってきて、勝手に歩いて家着した。嫌気分は治まりないから、ベルギーワッフルを食べて、お姉ちゃんに電話をして、だめであったことを伝えてみて、お姉ちゃんも仕方がない、まだショックが大きいようなことを言って、私は内情を吐いて、お酒を飲んで、そのまま眠った。

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お父さんがお母さんをよくない方向性にしてしまっていて、それをしっている私は悲しんで、くじら餅やイギリストーストやエビフライを食べて気分落ち着かせをしていて、でもお父さんは自分の正当性に疑問ないから、お母さんは間違ったままお父さんのなかの正当性をなでるから、それは辛いので、がさがさなこえはどこにいても聞こえてきて、菊のにおいがする仏間のある方角は人生が横溢する激しさを物語得るために、私はお父さんもお母さんもすきすきであり、キスをしてあげたかったが、もうそれはできないことが理解されていて、私の精神の根底の内情が触れられる部分に二人が触れているから、その肌理というか、精神は目に見えずにあって、気色の悪い芳香が、私を後悔させ、水と油のたとえで仲良くない夫婦だったお父さんお母さんは一緒の場所、石の下に隠されてしまうから、それはよくない気がして、お姉ちゃんに連絡すると、おじいちゃんのほうの墓にお母さん入れると言って、私もそれがいいと思っていて、合意をなしたから、ふたつならんだ骨の入った箱を埋める時にあたってが、悟空は強いから大丈夫だろうと思ってお酒を飲んでみて、虚構的罪悪を消耗するから経験している激しい鉄のような、強いことをこれから行うのだ。亀は今日は寒いから、静寂して潜っている。今日はまだお姉ちゃんの余韻がそこかしこに散見され、服を継いでいる、その化粧や、においや、それがまだある。始終打ち鳴らされる何かがあって私は、いる。

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もうすこしあると骨をお母さんは常盤のほうにお父さんは近くのほうに埋めて、まさか状列の範囲で彼らが共に骨笛であり、声なき声で私を正しくさせ、お父さんの骨は太いからお母さんの骨とくらべると重いだろうと思い、亀はまだ寒いから潜っている。お姉ちゃんがまた来て、私の生活や暮らしぶりを暗慮して病院のことや生活面でのなにかや、繋ぐお金のことなどを理解させる私に苦労しているから、ただお姉ちゃんと共に生活するということはしたくないと思い、骨の行方に私の潜在意識でどちらかを選ばねばならず、常盤か近くの墓か、死ぬ時にきっとどちらかに入ることを予見され、それが一生の終の棲家であり、爆撃を感じるから、頭の懊悩がとれずに私はあーあーだった。

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 墓の中を徒歩すると、先祖累代の方々が横溢して酒を飲んだりくじら餅を食べたり、筋子の醤油を食べているから、気をつけた方がいいとお父さんにおばあちゃんがしんだときの情景がうかんではきえて、楽しかったことももうこれからはないから、お姉ちゃんを信頼して、キスをするくらいで信頼して、私は情景を思い描いていて、雨や風の強い日にお坊さんもおらずに金がないからそのまま埋めることになり、ああ不憫でしょうがないなぁ。と思い出していて、お姉ちゃんはお父さんのことがまだ嫌い気分だと感じられて、常盤に向かっている車の中で、お姉ちゃんは私を暗慮していて、働かないといけないよ、とか言って、私はBのことや、うるさかった人々の奇声のことを伝えてあげると、お姉ちゃんは、辛いね、でも頑張っていかないとと言った。徒歩して墓について重量のある石を開けた。そこにおばあちゃんやおじいちゃんの骨もあった。乾燥した骨だから、風ですこし骨片が飛びあがり、お母さんの一部はどこかにいってしまい、私はここまでのお母さんの歴史を感じて、それがあまりに可哀想で、甘いジュースやお菓子をたくさんあげたいと思った。お姉ちゃんも同じ気持ちだと感じて、おじいちゃんはお酒すきだったから一緒に飲めばいいと小さなお酒を置いた。手を合わせてもういないお母さんのことを思って、私は急に涙水の気配が目にあって延々と手を合わせて、またくるからまたくるからと何度も言った。私がそういう事態なのでお姉ちゃんも悲しくなっていっしょに涙水した。

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 やまもとさんが家に来て、Bのことを説明して、私は通うことになった。やっぱりBはうるさくて、機械の組み立てをするにはとても困難な環境で、私はお母さんやお父さんのことを考えてしまって、涙水だ。スタッフのひとが来てより静寂的な部屋に一人でいなさいと言われて、そこはとても集中ができた。十時半になって休憩がはじまって、私はたばこを吸いに外出た。外にはスタッフのひとや利用するひとが五、六人いて、話をしていて、私はまだ馴染んでいないから隅で吸った。私はまだまだある仕事を考え思い、辛い気分になっていくが、みんなそのようなことは思っていないように思え、私は慣れるということが難しいことで、そこには賃金というもので縛られた契約があって、みんなそれにぎちぎちに縛られている気がして、それがすごく嫌気分にさせられた。

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 機械の組み立てのことはとても簡単があって、だけど辛いこと、例えばいまいたくみくんやさいとうゆうすけくんがうるさいことや、独語のきじまさんがいて、部屋にいるから聞こえないのに、すこしは聞かれ、たまに入っている部屋の中は、あまり落ち着かず、入ってくるいまいたくみくんはあいさつをして、私はあいさつしたくなくて、組み立てしていると、ぎゃひぎゃひ言って作業妨害してくるので、おはようございます、というとなんとかさがって部屋を出て行くが、それがいつくるか理解が難しく、あしおとがするたびに嫌気分で、スタッフの私の担当であるわたなべさんが、機械部品をもってきて、私は訴状すると、がまんせずにすこしずつやりましょうと言うが、ねてもいいし、よこになってみても、そのぎゃひぎゃひとした笑い声絶叫というのは部屋からも聞こえていて、気に留めないと思えば考えてしまい、結果は耳をつかってさいとうゆうすけくんの言葉や独語のきじまさんが部屋のことを文句することがあり、とても嫌気分で、作業のじかんはゆううつで、たばこが吸える休憩時間でも、なにか疎外されている気がして、それはまだ作業が届いていないからで、一般のことや言語のゆがみで私の私で無さみたいなものが、届いているからで、それが辛くなって、就労やそのほかの、ひとたちとはちがうということで、私をうまくはんていできないからだとおもって、結果的に重罪的なことを想起だから、午前中にかえって、ずっとよこになっていて、ベルギーワッフルはさいごのひとつで、これがどこで販売されているのか私はしらないので、もう食べることができない

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 今日の作業はやすみなので、墓地徒歩した。まだお父さんの骨を見ることで、私の行方をただしくすることができ、またおじいちゃんやおばあちゃんの骨とまじることで、ひとつの集合体としてのじかんがうまれて、それはとてつもなくながい時間なので、私は作業のことを思い出して、あとどれぐらいしたらここにはいるかを、仕事作業がおわるのかをそうぞうして、せすじが凍り、それはしぬまでなのか、そのちょっとまえに終わるのか、まだまだおわることのないもので、だからしぬことを選ぶときに、はんだんして、なにか声が聞され、悲しくなり、それがなにものなのかがわからないが、こうして聞されることはよくないことのようにかんじて、いつからか私はヘッドホンをしていて、音楽やラジオを聴いて、それはお父さんがつかっていたものをつかっているので、おとうさんの声なのかもしれないとおもった。

     16

 米のたきかたやかたさのことでお父さんとお母さんはけんかをしたりして、私のためにあらそうので、私は悲しいし、もういないはずの二人のけはいのようなものがまだあることに驚いた。私は日曜日の朝のテレビをみて、なにをいっているかを理解しようと思って、あしたからはじまる作業のことを思って、私がテレビに映っているきがあり、それはげんじつてきではないなとは思っていたが、そう感じられているのは、私の精神がそう感じさせているからで、テレビでは私の秘匿させていることや、常人の言葉ではない気がして、私は低い声を出して、ながいあいだ出して、頭蓋にひびく餌として、言語の海底に餌をまいて、私のことを隠していき、やがてのときにいつものすずめが鳴きわめき、からすの声や、車の通る声、公民館からスピーカーの声で、私はさまざま音の只中におかれた身をこわれそうなものでつなぎとめて、いて、いまこうして記している、脳の内側の奥のことや、徹底的な音をほしくないことをつたえているし、もうほんとうにどうすればあしたの朝からはじまる、声の応酬のことがゆううつであり、やすみたいきもちがもくもくで、指サックのむれた指の感覚や、休憩時間の疎外された感じ、また会うひとたちのことをかんがえて、お母さんを思って、私は米を買いにいかなくてはならなかったから、あしたははやくおきて、やすみにして、スーパーに行って、野菜をかって、おかしをかって、牛乳をかって、料理をがんばろうとおもっている

     17

 あさに電話をして、きょうは具合悪いといって、白色自転車をつかって、橋をわたっていき、ユニバースにいき、米とにんじんや野菜をかい、冷凍のところでベルギーワッフルをみつけてうれしくなってかい、牛乳をかって、おかねをはらった。二千円くらいつかって、リサイクルショップで人形のかっこいいものをみるだけにして、かえった。帰するときに雨が降って来て、どうろのわきにある桜のはなびらがばらばらにおりて、じめんにへばりつくのがわかって、それを理解して、いつもは見過ごすときなのに、その場から動けなくなって、はなびらが花としている時間のことを素直に思って、私はいつまでも花が花じゃなくなる時を思って、辛くなっていた。そこから家に帰して、チャーハンをつくって食べた。ごま油をつかい、卵やにんじんをちいさくして切って、いた。テレビをみて、世界におこるいろいろなできごとを見て、つめたいきぶんだった。お姉ちゃんに電話をして、だいじょうぶであることを伝え、漫画本をみて、眠ろうとした。私はもう文字を文字としてみることができないので、この文章も言語もなにか絵空事のように思え、しかし記するしかなく、私はがんばって言語を記していて、それが未来につながっていく。

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 作業はどれもたいくつであり、奇声のでどころの、にんげんがさわいでいるという空間がつらく、どれぐらいの金を享受できるかなど、考えていくと思い、それはあまりたいしたお金ではないと分かっていく気がして、わたなべさんに聞いて、きのうはすみませんでしたとわびをもうしこんで、わたなべさんは特にきにしていないようすで、体調のよい日にくればいいとおしえてくれたので、私はすこしだけあんしんして作業をした。たばこも吸って午後もコンビニからごはんを買って、昼食はさわがしかったが、お父さんのヘッドホンをして食べた。この機械はなにになるのかわたなべさんにたずねると、新幹線の部品につかわれるようで、これからは新幹線をみるとうれしくもあり、またほんとうだろうかとも思い、私は中組みとよばれるものを頑張って作ったから、それがあの速い新幹線が使うものだと、確信はもてなかったが、独語も吐かずに集中をして、二時半まで作業仕事をして、家に帰した。くじら餅やリッチがたべたいが、それは車が運転しないと行けない場所にあるので、諦念のことだと思い、ベルギーワッフル食べをして、ご飯にヨーグルトと野菜を食べて、その日を暮らしていくと、にんげんじみた期末の様相で、あり、年金をはやく手に入れて、それに工賃をくわえていき、生活ができたらと思った。

     19

 いまいたくみくんが部屋にきたりして私を中傷するような、それはあいさつなのだけれども、なんだかそれが嫌気分にさせられて、私は怖い目でにらんだりすると、ぎゃひぎゃひをして、消失すると、それがやはり傷つきて、作業にしゅうちゅうできなかったので、わたなべさんが忠告しても、いまいたくみくんはそれをちゃんとうけないので、ことあるごとに部屋をあけて、部屋にはいって何秒かいて、また出て行くので、私はしいたげられている気分になってしまったから、ねころんで休み、作業をやめて、具合悪いをわたなべさんにつたえて途中で帰した。さいとうゆうすけくんがまわりでハエタタキをもってうろうろして、私をみつけると、ぎゃーと言ってさけびあげ、こちらに前進して、それがこわかったのでにげるように私は白色自転車でコンビニに行って、中華丼をかい、家にもどることがなんとかできて、それを食べて、ごみばこに入れて、酒をのんでいて、風呂にもはいって、なんだか具合をわるくするために作業をしているきぶんにあり、しばらくやすもうと思っていて、でもそのためには朝にはやく起きないといけず、作業前は昼までねむっていたことがあって、それは乱れていき、私はやまもとさんのことが思い出されて、私の就労のために苦心しているから、それをむげにできないと思ったが、体調が悪くなるのはもっと嫌なことだと思うので、すこし相談をしてみることにして、みることにした。やまもとさんに電話をして、しばらくやすみたいと思うとつたえると、来週までやすみましょうと言ってくれて、でも来週まで経てばまた作業がおこなわれることがゆううつで、でもきもちを落ち着かせるためにはそれがいいとも思って、私はそれでいいですと言った。夕飯のことはちゃわんにごはんを上にしてケチャップを、ナポリタンのソースをかけて三杯たべて、眠くなり、寝た。

     20

 家で漫画本をよんで時間を流していった。お父さんやお母さんは漫画もいっぱいもっていたのでたいくつはしないのだが、なにか悪事めいたことのようで、窓からさしこむ光や、よくはれた空を無視している気がして、でも休息をするのだから、外に出ることはできないと思い、私はテレビを観て、さまざまな情報を享受していて、やめたから、また漫画本をみて、思ったことやこの部分の巧みさや、そんなことをおもいながら、洗濯をしていて、まだ春でも今日はさむくて、ストーブをつけていて、居間の天井につるして、乾くのを待ち、またそれをたたんだりする手間のことを考え思い、どんどんとゆううつがつのりいき、私はがんばってみて、もうすぐの年金受給のことで、どうにか暮らしていくために、お姉ちゃんは私にすこしだけお金をよこすことを決めていて、本来のものよりもじゃっかんの額が享受されることで、私は生活ができ、また、一人で生活するになっているときに、こまったことや辛いときは、仏間のお父さんやお母さんの線香をあげることで、すこしのことや、元気に生きていることを伝えていき、平和にくらすことの意義を確証するのでした。

     21

 発泡酒はすきで、よく飲むけれども、それいがいの酒を飲みたくなることが今日であり、橋をこえた町に行って、焼酎をかい、水でうすめていたのを飲んだら、あまりおいしくなかったので、水をおおめにいれてなんとか飲んで、部屋のすみに置いておいて、発泡酒をまたかいに行くことにして、コンビニで漫画をよんだり、お菓子をお父さんお母さんのためにかい、発泡酒をかった。私はとてもつかれていて、なぜかはわからないけど、こうして春の日をあびることでなにか自分が罰をうけているきがしてならず、私の頭わるさがかわいていき、外気とまじりあってへんなにおいをしているきがして思えたから、とてもつらく、ちかくのコンビニからはBの施設の建物がすこしだけみえるので、私は身をかくすようににげるようにすることで帰した。発泡酒のぬるさのようなものが炭酸とまじりあっていくことが、げっぷをゆうはつされて、しみじみと、なにか昼にのむことで、やはり私の罪悪をあばくような気さえして、みんながはたらいているさなか、私だけがこうして酒を飲んでいることが、ひどくわるいことのようにおもえてならず、明日から施設の作業仕事をしようとおもい、私は施設に電話をして、明日からいきますと言って、それをうけいれてくれたので、ひとまず仏間におかしをそなえて手を合わせて、まじめにいきることや、作業仕事を頑張ることなどを、ほうこくして、お父さんとお母さんと先祖のひとたちにみまもっていただきたくおもい、私は酒をすこしのんで、また昼ご飯を食べてなく、ごはんのうえにたまごみそをのせて、食べた、ぼとぼと汁がおちて、ゆかにおちて、ティッシュでふいて、私は寝て、五時のチャイムでおきて、風呂にはいり、そろそろシャンプーがなくなり、黒板にシャンプーと書いておき、またたまごみそを食べて、酒を飲んで、薬を飲んで、漫画本をみて、そろそろ眠った。

     22

 いまいたくみくんがいて、すごく嫌気分だった今日の作業仕事のはんめんで、きじまさんがロッカーでずるしたずるしたと私にいってきて、泣きそうになりながら、今日も部屋で組み立てをしていた、十時半の休憩のときの、たばこのけむりが風がつよくて、なかなか火つけられていなくて、私が苦心していると、スタッフのひとがターボライターで火をつけてくれ、ありがとうと言って、すごくたすかったと言って、私ははんめんで嫌気分のことをまたきじまさんのずるしたがおもいおこされて、かなしくなり、泣きそうにたばこを吸っていて、そろそろ作業仕事の復帰があるからまた部屋にもどって作業仕事をした。

     23

 今日は病院で、白色自転車で風のつよさにひびいて、お父さんが車でのせていったことをおもいかえすと、つらくて、すこし汗かいて、病院のにおいや、暖房があって、私は汗がながれさせて、自動の受付機に診察券をいれて、ボタンをおして、受付ひょうと診察券を黄色ファイルにいれて四階までいった、今日はあまりこんでいなくて、はやく終わる気がして、なかにながれるオルゴールのおとを聞いて、いると、番号がよばれたので、せきをたって、診察室に向かって扉を開けて、先生のことをみて、眠れているかや、しょくよくはあるかや、さいきんのことを報告して、作業仕事のことをつたえると、先生は、むりしないようにねといって、薬のことをみて、嫌気分になることを聞いて理解して、とんぷくをよういしてくれまして、かいけいをすませたあとに、薬局でテレビをみて、まっていると、名前がよばれて、とんぷくのことについて聞いて、具合がわるいときにのんでください、といわれて、私はそれを理解して、白色自転車で途中で本屋によって、漫画本をさがして、お母さんが読んでいた漫画本の続きがあったので、かってみて、帰した時に、読んで、あまり面白いと思わなく、なりて、それから酒を焼酎を飲んで、やっぱりおいしくなくて、眠った。

     24

 夢はあって、きぼうてきなほうではなく、眠りにあるときにみるほうのほうで、私は地獄のなかで白色自転車でまわって、お父さんがいて、自転車があって、お母さんやおじいちゃんやおばあちゃんは天国かなと聞き、お父さんはマグマのなか、私にいてはいけないから自転車をつかってぬけだすようにと言って、私はそうすると言って、変速を重くして地獄の中を走っていき、光のほうをめざしていった、ことで目が覚めて、私は歯をみがいて、また眠って夢はみなかった。作業仕事のことは今日は落ち着いてでき、たばこも吸って、マーボー丼を食べたり、午後まで作業をすることができ、帰りに漫画本をかい、お茶をかい、帰するとき、ふと墓地により、重石をあげて、中の骨をみて、お父さんがどこかにいっていないかを確認して、あれは夢で、でもお母さんともお姉ちゃんとも仲直りができなくて、お父さんは地獄にいるかもしれないけど、でもいつかおいしいもの、ジュースやお菓子を食べてほしいと願って、私は思い、納得理解して、帰すり、仏間にあったお菓子をたべて、お茶をゆのみにいれて、あげて、線香をあげて、野菜や卵の料理をつくってたべて、また眠った。

     25

 本日的な作業仕事のゆくすえのことは、とどこおりなくあって、休憩時間のたばこを吸うことの問題のなさや、いまいたくみくんやさいとうゆうすけくんときじまさんの言葉は今日はなくて、こころが平穏であり、午後までむかえることができ、私のむずかしさは解決理解されてあり、また帰するときに発泡酒をかい、じゃがりこをかい、それをつまみとしてたべることができ、また仏壇用にかったお茶や焼酎をのみ、それで一日がすぎゆくことの平穏さで、私は明日がやすみでほんとうによかったと思い、それをよろこびに変換し、私はつまり今日のような春の気候のときに世界がおわるのではないかと、なにも後悔ののこらない今日のような日を、かみさまがえらんでくるしまないようにするのではないかと、うすぼんやりと思うので、私はおおくの今日がだめだったひとのことを思い、私的な世界のおわりですませようと考え、今日を死ぬ日のことに理解して、こうして記し、残し、つらかったらまた今日のことを思い返そうと考え、なにかほんとうに穏やか日であったと思う。どこか遺影のかたがたも笑っているようにかんじえるし、いいとおもった。

     26

 私は今日はでかけることをせずに、いちにちじゅうの眠りについていて、夢のよいんにひたりつづけ、目覚めてはわすれ、目覚めてはわすれをくりかえして、いろいろな夢をみて、こわい夢はなく、意味のわからないものや、しあわせな夢がおおいように感じて、なにかそれをはっきりとはおぼえておらずに、爪のさきのひっかききずのような、しくしくとした痛みのような、起きてなんとなく痛いということ、おぼえていないがたしかに見たということはおぼえていて、夢が頭を整理するように、今日のなにかのふあんていなもの、なので、私ははっきりとおぼえていない、し、今日のなんじかん寝たかや、あいまあいまに食べたチキンラーメンの脂みのことや、それを昨日のたこうかんのなかのことが夢をみさせていて、関係のないことを関係なくすることはかんたんだが、関係のあるものを私はだいじにして、夢を、しあわせな夢をみたいとせつに思い、とけるように、明日も作業仕事は休みで、また今日のようにすごすか、外出るか、迷うところではあった

     27

 外出ると、梅の花やたんぽぽや、ふきのとうや、つくしと、蜜のはながそこかしこにあり、おおきくそだってほしいとたいせつに思い、橋をこえて、リサイクルショップにいって、人形をみて、いいなとおもったものが、とても、たかくて、かえないと思い、漫画本や、イラストのかかれた本などをみて、それから買い出しにいき、チキンラーメンや納豆やキムチをかって、帰するときに蜜のはなの蜜をすって、すこしだけ出たあまみに懐かしさをおもって、かってきたものを冷蔵庫にしまって、また眠った、何時間かねむったあとに、漫画本を読んで、あたらしくかいたいものをかいた。よつばと!宇宙兄弟きまぐれオレンジロード。私はあたらしくそれらをよみたいと考え、また眠っていて、すっかりくらくなるころに目をさまして、起きてご飯を食べた。明日から作業仕事が始まり、なにかいきたくないが、おとといのようにたのしいかたちでむかえられたらいいなとは思い、漫画本を読んで眠った。

     28

 朝はちじに起きてひげをそっていた。とてものびていてなかなかうまくそることができないが、はさみをつかって、ひげをきり、なんとかそることができた、白色自転車で向かっていると、雨がぽつぽつふりだして、それがつよくなってきて、あわててはやくこいだ。わたなべさんがちがういつものではない仕事をもってきて、金属をくみあわせることをしたから、ロッカーで、きじまさんがだめだめと言われたことがあって、それがじぶんにふりかかってきて、なにか雨のにおいがあわさって、ゆううつ気分になってきて、とちゅうでよこになっていると、さいとうゆうすけくんがさぼりさぼりといってきて、たしかにさぼっているけど、あなたもさぼっているのではないかというようなことをいったら、ぎゃひーといってたたいてきて、男のスタッフの人がそれをとめて、すみませんとあやまったが、私はまだとても嫌気分であり、たたかれたかしょは青むらさきにへんしょくして、さいとうゆうすけくんは泣いていて、私も泣きたくなって、でもがまんして、なぜならばおじいちゃんが男はひとまえで泣くのはだめだといった私にきかせたからで、おじいちゃんはほんとうにないたりしないひとで、でもやさしくて、私はあこがれのことをおじいちゃんにもっていてこうなりたいとおもって生きてきたのだし、さいとうゆうすけくんにたたかれたことは悲しいし、嫌気分だけど、なかないように奥歯をぐっとしてたえたので、たばこすいのときにスタッフの人にえらいねといわれてすこし嫌気分がらくになり、ひるまで作業仕事をして、帰した。

     29

 やまもとさんが家にきて、私のことやお金のことをいい、あまりもらえないらしく、せいかつしていくにはもっと適した仕事のことや、Bでのさいとうゆうすけくんのことや、私はがんばってやまもとさんを理解させようとして、それがつうじてしばらくやすみたいとおもって、つたえて、私は施設に電話をして、やすみをもらうことになり、今日は朝から焼酎をのんで、それはみずでわったものだったが、お湯でわったほうがのみやすいかと思い、私はポットのおゆをコップにそそいでいれてのんでみると、からだぜんたいにいきわたる感じがして、冬にのめばとてもいいと思い、亀にえさをやって、亀はとてもげんきにえさをばくばくたべ、そのようすがおもしろいと思い、私は焼酎をのみながらそのありかたやうごきぶりというものを観察していて、だいぶしかいがもうろうしてきて、たのしくなるはずが、あまりたのしくならずにあって、私はきぶんがわるくなって、トイレで吐いた、まだ朝ご飯をたべてなかったので、ちゃいろときいろがまじったようなものをばしゃばしゃと吐いて、すっきりして、外出てたばこすい、まだまだいたむのどの奥のほうがたばこのけむりにひっかかれていたくかんじ、すいおわって息がくさいとかんじ、私はみずでうがいをして、ひりひりののどや舌のしろい苔をとって、しばらくみずをのんで、ぎゅうにゅうをのんで、落ち着いたから部屋にもどって亀観察をして、寝たが、なにかゆめのなかで私はほそながい犬にもねこにもみえるものと対峙していて、ポケットにそれをしのばせていると、くびがのびてきりんみたいになっていて、顔はちいさく、なにをもとめているのかふにふに泣いているためにわからずに、私はそれをおいてきて、それがいるところがだんだんお父さんのいる予想の地獄のように思え、私はがんばっても、ふにふにをどうにもできずにいて、くびはながくなるいっぽうだし、顔はどんどんちいさくなって、なにもかんがえてもいい案がうかばないので、私はなにかえさをやろうと思案して、とおくにむかってリッチをなげたが、リッチはかぞくのとくべつな日のためのお菓子であり、私がなぜそれをもっているのか、わからなくなってめがさめたときに、あしたがお父さんのたんじょうびであることに気づき、私はまだ明るいそらのなかであしたはリッチをかいにいってお父さんのためにそなえしようと思った。

     30

 朝はちじに覚めて、しばらく納豆やキムチをたべて、さらをあらって、私はマタニにむかった。マタニは橋をこえて地下道をとおり、まちなかをこいで、あるお菓子のおみせであり、まだお父さんやお母さんがいたときはここでお菓子やケーキをかって、そしてリッチをかって、いっしょになってたべるのがあって、私は白いケーキのものとリッチをかい、食パンもかって、私のことをおぼえているという店員にあって、あはははとわらい、きょうはだれかのたんじょうびなのかと聞かれ、お父さんですとこたえると、いいひになるといいですねといわれたので、うれしくなって、赤顔のかんじになって、マタニを出て、また帰したときにお父さんは地獄でよろこんでくれるだろうか、と思い考え、私はこどものころのおぼえていることを思い、それは私のたんじょうびのときにろうそくを火がお姉ちゃんにさきにけされてしまい、私はひどくかなしんで、ないて、お母さんにしかられてお姉ちゃんもないて、お父さんが写真をとっていて、そのときのことや、私がはんこうきのときの家族のなんともいえないわずらわしさや、頭が精神わるいときにかえってきて祝った私のたんじょうびのひもまた、マタニのケーキがあり、きねんのひといえばマタニで、私はお父さんのばんねんのぐあいがわるい血圧のことや、かぞくとお母さんを嫌悪するかんじというのが横溢していたひびのことがあって、でもお父さんはもう骨のなかで、じごくにおそらくいて、それでお母さんはおそらく天国でそれをみていて、仲がわるかったから、やっとあんしんして、どちらも私にはやさしいので、きっとマタニのケーキやリッチをよろこんでくれると考え思い、家についてはやく仏間にいって、お父さんのためにケーキをリッチをそなえて、手をあわせて、あまいにおいのするケーキをしばらくおいておいて、私は発泡酒をのんで、うれしくなり、どうじにさみしくもあり、ひとりにいることがなにか、この家のみらいがいつかきえていき、私の血のかよったにんげんが子供して孫していくはずがなく、私がいなくなる消失日はいつだろうかとも思って、私は発泡酒をもういっぽんのんで、気をらくにしていって、風呂にはいり、また発泡酒をのんでねむり、くらくなってからケーキにろうそくをたてて、吹いてけしてまっくらで、なんどかそれをくりかえした。ケーキもリッチもおいしかった。のこりはれいぞうこにいれた。

     31

 今日は年金の支給日であり、あさになって橋をこえてカブセンターのおかねをおろすところに向かって、たくさんのとしおいたひとがならんでいて、私ははやくしてほしいきもちをつのらせていて、なにかあせっていて、やっと私の番がやってきて、あいしょう番号をにゅうりょくして、六万円をとってさいふのなかにいれた。それからブックオフにいって漫画本をみて、人形をみて、悟空のやつをがんばってみてかって、漫画本もすこしだけかって、帰していって、私は机のうえに悟空をかざっていて、ふえていくので、とてもそれをうれしくかんじて、漫画本を酒をのみながらみて、眠くなってきたが、私は昨日のリッチを食べて、あまいと感じ、ひるごはんを食べることになり、納豆とげんたれを使ってチャーハンをつくって食べておいしいと感じた。れいとうこのベルギーワッフルを食べて、また漫画本を読んで、焼酎をお湯でわってのんでいると、ふいにこのままはたらかずにいきていけるようなあまい考え方がうかび、でも電気のおかねや水道ガスや食費などをかんがえると、年金だけではくらせていけないきがして、お母さんがそういったものをはらっていたので、でもお母さんは天国であり、聞くことはできないので、お姉ちゃんにそうだんしてみると、五万円ほどふりこんでいるといわれて、お姉ちゃんはいま結婚をぜんていとしたつきあっているひとがあって、そのひとといっしょに暮しているのですこしだけお金はつかえるらしく、私のこともきにかけてくれ、いっしょに東京でくらさないかとまでいっていて、私はなんとなく東京はいやで、ここでくらしたいとせつに願ったので、えんじょというかたちで私のせいかつをささえてくれるようであり、私もBではたらいているが、でも賃金はやまもとさんのいうとおりあまりたいした額ではないだろうし、きたいするにはお姉ちゃんの援助金のほうがたすかるだろうと考え、私はそれまで酒をのんでいて、リッチをつまみにして、ケーキもたべて、いつまでもこのままというわけにもいかないのだろうが、とりあえずぜいたくをしなければだいじょうぶであろうと思い、発泡酒よりもやすい焼酎をいっぱいかって、白色自転車につんで、すこしずつ飲んでいくことにした。あさってからまた作業仕事がはじまるので、体調をととのえてがんばろうと思ったのです。

     32

 さいふがおじいちゃんのを使っているけれども、さいきんボタンのぶぶんが摩耗してきて、しまらなくなっている。おじいちゃんはおかねもちだったので、りっぱな家にすんでいて、庭もおおきくて、池があって、そこには鯉がおおきくそだっていて、ちいさいころに私は池ばかりみて、おじいちゃんはへびもつかまえて、私はどうぶつがすきなこどもだったから、よろこんでへび観察していて、ほかのかぞくはそれをきみわるがっていた、へびのぬけがらはいまもさいふにいれていた、おじいちゃんはおかねもちなので、私はとてもそれがすきで、まだまだ貴重だったオオクワガタのつがいをかってくれたりして、私は七年間オオクワガタを飼い、そのころにはおじいちゃんはかんこうへんにかかってよわっていて、高校生の私だったは、さいごに鉄砲のたまのキーホルダーをもらって、いつもおまもりのかわりにみにつけたり、いまでも遺影のまえにまつってあり、だからさいふもそろそろかえないといけない気がして、雑貨屋さんにいって、さいふをみてみて、きいろい派手なさいふが、死亡遊戯のブルース・リーのようで気にいり、私はそれをかい、へびのぬけがらをいれて、障害者手帳などもいれて、じぶんのものとしてやっていこうと考え、私は焼酎をお湯でわって飲み、さいきん酒量がふえている気がして、けんこうてきではないし、血液検査のときも肝臓のあたいがよくなかったので、しばらくはすこしだけにしてみて、休肝日をもうけたりしないといけないと考え、最後のリッチとケーキを食べて眠った。

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 朝はちじにおきて、歯をみがいて、白色自転車に乗ってBに行ってキャップをかぶっていき、きじまさんの、やすんでばかりいて、ということばに嫌気分で、私はわたなべさんといっしょに部屋で作業仕事をしていると、いまいたくみくんが部屋をばんばん開けてきて、わたなべさんがちゅういしてもなかなか部屋のまえからはなれずにいて、手にはまるめた紙をもって、それがかたくなっているのは散見できて、あれでたたかれたらいたいと思い、無視をしてみると、ぎょひーと言って紙棒をばんばん床壁にたたいて気をちらすので、わたなべさんがうごいて、いまいたくみくんをゆうどうして、もちばにもどしたけれど、そのときのきょうふはなかなかぬぐえないので、昼になって帰することにして、わたなべさんもそれを受諾して、帰した。焼酎をのんで発泡酒ものんではやくいまいたくみくんのことを忘れそうと思い、でも忘れようとかんがえればよけいにうかび、しだいにはきけがこみあげて、トイレではいたのだが、辛く、のどがひりひりして、いつかもこうしてはいたが、酒を控えようと思案して、でもお母さんは私の酒の量をしんぱいしても、飲むなとはいわずに、一日発泡酒三本までとさだめようといってきて、私もそうして、でも焼酎とかはだめだといっていて、私はもう空の鏡月をなにか反省のことであたまがいっぱいで、いまいたくみくんのことをわすれることはできないが、なにか教訓めいたあかしとして吐くことをおぼえて、これからはちゃんと発泡酒だけをのもうと思い、おかねも馬鹿にならないから、お母さんのいいつけをまもろうとしっかり思い、私はしばらくねて、起きたらあたまが痛んで、がんがんしていて、あまり食欲もないから、牛乳をのんで、食パンを食べて、また眠った。

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 朝はちじにおきたとき、まだ頭がいたんでいて、今日はやすむことにBをして、わたなべさんが出て、おだいじにと言ってくれ、私はあんしんしてもういちど眠って天国の夢であって、おじいちゃんのことが展開されて、特にきおくはないけれど、そういう夢をみて、たぶんへびも出てきて、あたらしいさいふをかったことをつたえた気になっていて、おきたらひるで、私ははらがへっていて、納豆とげんたれでチャーハンをつくって食べ、テレビを観ながら、食べて、皿を洗い、発泡酒をてきりょうでのんで、私はなにかこれはちゅうどくではないかとも思い考え、いちどお酒やめるというかきゅうかんびをもうけたほうがいい気がして、明日はのまないようにしようといいきかせて、私はいたむ胃をさすりながらテレビをながめているうちにまたねむり、寝てばかりだなと夢のなかで考え、起きるともうくらく、明日はちゃんと作業仕事をしようとけついして、薬をのんではやめにまた眠った。

     35

 部屋で作業仕事をしていて、だいぶ目がわるくなってきたきがして、うすぼんやりと部品をみて、今日はロッカーできじまさんになんで昨日やすんだのかときかれ、たいちょうが悪かったというと、はははといわれて、おちこんでしまい、目のわるさもあって、作業仕事はなかなかできずに、わたなべさんもめがねかったらいいよといって、作業仕事をひるでおわらせて、白色自転車で帰して、つうちょうの中身を確認して、めがねやさんにいくことにした、橋をこえておおきなめがねやさんにいき、めがねをつくりたいことをしゃべり、てんいんさんとすきなフレームをえらんで、くろぶちのやつをえらんで、しりょくをはかって、やはり目がわるいらしく、レンズの種類はプラスチックのやつにして、しばらく待って、外たばこを吸い、まっていて、できたころには日がかたむいていて、でもめがねをかけるとはっきりと見え、おかねをはらって、私ははっきり見えることのすばらしさや、いつもとちがう目のかんじを、いわかんもあったけれど、うれしく思い、家に帰して、今日は酒をのまないけど、がまんをするために炭酸のジュースをかって、たばこもかって、カレーのレトルトのやつを食べたので、ごはんをたくさん食べたので、米がなくなって、米袋もなくなり、明日はかいにいかないといけないと考え、眠りにつく。

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 朝はちじにおきてBに向かって、今日はしずかで、いまいたくみくんもさいとうゆうすけくんも休んでいたからで、わたなべさんにめがねが似合うことをいわれて、うれしくなり、二時半まで作業仕事をつづけることができて、その後に白色自転車でスーパーまでいって、米をかって、あといろいろ食料をかって、おかねがあまりなくなっていて、とちゅうでおかねをおろして、まだ貯金はあるけども、でもこのままで生活がせいりつするのかは分からず、Bの工賃がいくらほどなのか、げつまつにわかるために、それをかくにんして今後のことをやまもとさんとかとはやくはなしがしたくなり、家に帰して発泡酒をのんで、一日あくとおいしく思え、三本のんで、炊飯器で米をたいて、カレーをたべて、テレビを観て、眠った。明日はやすみだ。

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 朝のじゅうじくらいに目がさめて、もう一度ねむって、ひるになり、めがねに慣れるためにめがねをかけてすごして、外出て、ブックオフにいって、漫画本をみて、セットのやつをかって、家に帰してよんだ、ゾンビの話でこわくなって、でもおもしろいと思い、さいごまでよんで、発泡酒をのんで、発泡酒がなくなったので、とりあえず明日のぶんのものをコンビニからかい、食パンをたべて、私はつかれてきて、めがねをとるとぼんやりとした視界がひろがり、めまいに似たかんかくになり、外出てたばこ吸い、風がつよくて、目に枯れ葉がささるようで、その音がこわくて、私はヘッドホンをして、すこし音楽をきいて心落ち着けて、夜はまだ風がして、ずっとヘッドホンをしていて、やりすごした。台風のつよいのがきて家がとばされそうになり、じっさいにやねやまどガラスがわれていたころ、私はまだ小学校にあがっておらず、風のこわさがその音といっちしていて、ずっとお母さんにしがみついていて、でももうお母さんはいなくて、私はひとりでこれにたえなければならなくて、つらく、なんどもめげそうになって、まどガラスががたがたとふるえているし、むかいの家のこいのぼりは龍のようであり、棒はしなり、ぐにゃぐにゃとうごいていて、私ははやく寝ようとがんばっていたが、寝ることをいしきすると、ぎゃくにねむれなくなり、私は流れ出る音楽のヘッドホンをたよりにやりすごしていようとおそくまでおきて、はらがへってきて、ベルギーワッフルをたべ、ヘッドホンをつけたままたべて、ごりごりした砂糖のかんしょくや、あまい香りをなにかこのようにしてたべるのがもったいない気がして、ヘッドホンをとると、風はしずかになっていて、私は安堵して、はらもすこしだけみたされ、眠りにつくことができた。

     38

 風は今日もつよくて、はなびらや枯れ葉をとばしてきて、目にはいりそうになり、これでは自転車で外出ることもできないと思い、発泡酒をのんで、明日のことのBのことをおもって、なにか暗澹たるきぶんにおちこみ、水をのんで、酔いをさまして、納豆をたべて、部屋でヘッドホンをしながら漫画本をよんでいて、ゆうびんうけに回覧板があったが、どこの家にまわせばいいか分からず、となりの家にいってきいてみると、うちでいいんだよと怪訝な目であって、私はそうとうに異質なひとなのだろうと思い、まどガラスに映るじぶんをみると、坊主でひげをはやし、やたらとおおきな頭に、ふとっていて、背もおおきく、紺のジャージは悪い人のようにかんじ、そういえばお父さんにバリカンで頭をかってもらったことがあって、こわいんだからあまり坊主にするなよ、身長も体格もいいんだから、坊主にすれば怖いよ、といっていたのを思い出して、これからは髪を伸ばしたいと思い、しかし坊主はらくなので、シャンプーの量もすくないし、ねぐせもつかないし、さわっていて気持ちがいいし、とてもいい点がたくさんあるので、でも怖いのはいやなので、どうしようかと迷っていて、私は風呂にはいり、頭をあらっているときに、ああやっぱり坊主にしていよう、お父さんにはもうしわけないけど楽だから、と思い、また発泡酒をのんで、ヘッドホンをつけ、風はすこしよわくなって、それでいいと思い、テレビをみながらつらいことを報道しているのであって、それはやはりつらい気持ちになるから、テレビを消して、蛍光灯のパチパチと明滅する音や、その黄ばんだひかりをみて、なにかうすおそろしくかんじ、部屋にもどって、眠りについた。

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 朝はちじの起床で、白色自転車は風がつよくてなかなかすすまず、汗をかいていて、それをきじまさんにいわれ、嫌気分になってしまい、作業仕事もそれがつきまとい、なかなかうまくいかずに、わたなべさんも、むりしないほうがいいからすこし休んでみたらどうかといって、部屋でよこになっていると、ぎゃひぎゃひの声がきこえて、なにかとてもいやなかんじで、じぶんはここにいてもいいのだろうかとも考え思い、わたなべさんに今日はぐあいがわるいので、昼でかえりますとつたえて、すこし作業仕事をして、外出てたばこを吸って、家に帰した。あしたの工賃のことをきいておけばよかったなぁと思ったが、やめておいて、発泡酒をのんで、いくぶんやわらいだ風が部屋にすこしはいってきて、ぬるさをかんじ、光熱費のことや、お姉ちゃんの送金のことや、ふあんな今後のことや、なにかふあんがやってきて、なにもするきになれずに、ベッドによこになって、天井をみあげると、ほこりがへびのように固まってあって、ふらふらとゆれていて、なにかじぶんのようにかんじ、私は涙水だった。

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 工賃は3058円だった。一か月ほど、嫌気分になりながらはたらいて、これだけしかもらえないのはつらくおもえ、やまもとさんに電話をして、やまもとさんはいちばんおおい人でも五万円くらいだし、やすんだりするとちょっとそれぐらいになるよといわれて、私はもう行きたくなく、すごく精神的にやられてしまって、脳がおかしいのです、といって、やまもとさんはでもがんばっていこう、といっていて、私はもう行きたくないと宣言をして、帰して、発泡酒をのんで、いつもよりもおおくのんで、焼酎もかい、ほとんど生じょうたいでのみ、ふらふらになって、吐いた。とても嫌気分ははれず、ぐらぐらと霞む視界を胃液のなかのよくわからない残骸に、私はがっくりとして、眠って、おきると、頭がぐらぐらとなり、からだが重くて、なにか風邪をひいたようになり、そのまま水をのんで、のどの痛みをこらえながら、いっぱい水をのんで、酔いをさまして、やっと気分がらくになってきていた。それからテレビを観て、漫画本をよんで、眠った。

     41

 やまもとさんが、こういうところがあるからしばらくかよってみたらどうかな、と家にきてパンフレットをくれて、みてみると、いろいろな障害のあるひとがあつまるばしょで、フラワーといって、Bとおなじ敷地内にあって、そこではジュースやお菓子をじゆうにのんだりたべることができ、またいろいろな行事もあって、すこしきょうみがわいたので、やまもとさんに、いってみたいと伝えて、じゃあれんらくしておきますね、と言って帰って、私はいろいろまだ体調が、二日酔いということもあって、精神のぐあいもわるくて、明日になればわからないが、とにかく今日はねむっていたく思い、ほぼ食事いがいは、ねむり、ねむっていた。

     42

 体調がかいふくしてきて、やまもとさんとフラワーにむかって、二階の部屋であって、テーブルにはお菓子があって、麦茶もあって、スタッフのさごうさんというひとが、手続きの紙をもってきて、いろいろきにゅうをして、今日は見学というかたちで、と言って、すこし中の利用者のひとと話してみて、いろいろと聞いて理解し、おなじような障害をもっているから、私はうれしくなり、うちとけることができるきがして、なによりもお菓子がいっぱいあって、麦茶をたくさんのんで、今日はごぜんちゅうで帰したけど、かよってみて、絶たれた人間関係や、つらいおもいをしてきたひとたちが、たしかにあって、そこにいたということが、なにか私のはげみになるようで、発泡酒ののんでげっぷをすることや、それがひとりではなく、フラワーにいるひとたちと共有をしてできたらうれしいとかとおもって、むかしは友達もいて、あそんだりしていて、でも精神病にかかって、仕事をやめざるをえなくて、無職であって、それからともだちとは疎外されていき、働けとか、おまえといっしょにいるのが嫌だとか、そのうちにともだちだったひとたちは家庭をもち、あそんでいる暇もなくなってしまい、私は両親もしんで、年金とお姉ちゃんのしおくりだけで生活をして、ほんとうにひとりぼっちだったが、フラワーではともだちができるきがして、一緒にビールや焼酎をのんだりして、いろいろなはなしをきいて、納得したりして、それはよいことのようにおもえて、またうれしくなり、私はにやにやと笑い、眠りについた。

     43

 今日はフラワーでいて、さごうさんとも話して、さごうさんは広島からこっちにおよめにきていて、すこしなまりがあって、それがよいと思い、私はいろいろ聞いて、さごうさんはとてもあかるいひとで、くったくのない笑顔をみせてくれ、目が笑うとほそくなって、えくぼができ、それがよくて、私はほんとうにうれしくなって、収入はなくてもなんとか生活をしていると言って、そっかそっかとさごうさんは言って、たいへんじゃったねぇ、と言って、ほかの人とも話をして、でもさごうさんともっと話がしたいと考え思い、さごうさんとばかり話をして、ひるになって、私はコンビニでカップラーメンをかい、フラワーで食べて、さごうさんはお弁当を食べていて、私はよくみえなかったけど、たぶん自分でつくっていて、それが気に入ってしまい、四時までフラワーにいて、さごうさんはカープがすきだということ、先祖からやはり原爆のことをきいているということ、お好み焼きはよくこどもにつくってあげるということなどを聞いて理解して、わすれないように頭のなかで反芻して、家に帰して発泡酒をのんでいて、私はさごうさんの思い出し、たいへんじゃったねぇと言って、なにかうれしくなり、たいへんじゃったねぇ、たいへんじゃったねぇ、と何回かつぶやいて、胸がうれしさでいっぱいになっていき、明日もまた会えるというのがいいなと思い、私は初恋のことを思い出し、それは中学のときに、すきだった女の子がいて、かよちゃんといって、かよちゃんも私のことがすきになっていき、冬場のストーブのまえで、朝のはやいじかんにだれもいない教室でいろいろはなして、それがとてもしあわせな時間で、つきあうまでになって、でもかよちゃんが浮気をして、許せなくなってしまい、別れてしまっていて、さごうさんは結婚して子どももいて、だからこの気持ちを外に出したらだめで、でもこの気持ちはかよちゃんのときとほんとうににているかんかくがして、私はちょっと考えて、なにかうれしくなり、また明日も一緒になることを思って、明日がほんとうにたのしみになってきて、私はいろいろさごうさんと話す内容を考えて眠った。

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 はちじに起きて、くじにフラワーに行って、さごうさんとはなして、さいきんの生活のことや、Bのことをいって、さごうさんは笑っていて、それは嘲笑ではなく、ほほえみといった感じのわらいかたであって、たいへんじゃったのぉ、とさごうさんはいって、私はべつのひとともはなしをして、毎日さけをのんでいることや、そのひとはあまりいいひょうじょうをみせてはいなくて、でも私ははなしつづけて、そのうちにそのひとは具合がわるいといって寝てしまい、私はまたさごうさんとはなしをして、コロナのかんせんしゃがおおくなってきて、明日からマスクをしていくことや手を消毒するためにアルコール液がげんかんにおかれ、死者もでているおそろしい、めに見えないものがこわくなって、マスクはなかなかしなぎれだから家をさがしてみてほしい、とさごうさんはいって、うんわかったといって、それからさごうさんと広島の原爆のはなしをして、小学校のときによんだ『はだしのゲン』のこととかをいって、さごうさんの祖先はすごいつらい経験をしているのだとおもい、それでもまえをみつづけたじぶんの先祖のことをほこりにおもうのだと、さごうさんはしんけんなひょうじょうではなして、私も小学校のころのきおくで、つらい現状のなかでたくましくいきていくゲンたちのことを、すごいとおもうといって、さごうさんはすごいねぇといって、なにがすごいのかたずねると、ちゃんと原爆のことを理解してせっしてくれることがすごいよ、といって、私はうれしくなり、どうじにつらくもなり、それはなぜかというと、がんばってきた先祖のさごうさんのことをつらいという言葉だけでしょりしてしまうのが、じぶんのひとりよがりのようなきがしてきて、私はごめんなさいとさごうさんにあやまり、でもさごうさんはあやまらなくていいといい、私はそのつよさやたくましさにすごくひかれて、かよちゃんのはなしをして、わかれてしまったこともいって、だからつらい思いをして、でもいい思い出だったというと、さごうさんはまたわらって、すごい経験をしているといって、私はとてもさごうさんにひかれて、いっぱいはなしをして、でもつかれてきて、さんじ頃に帰して、発泡酒をのんで、ベルギーワッフルをたべて、納豆チャーハンをつくってたべて、私やさごうさんの先祖をふくめたつらい思いをしている今が昔の戦争のときと比べたらしあわせなことであって、ぜいたくともいえて、私はなんだかとてもはずかしさやつらさを思い、またさごうさんと会話をすることがしあわせなことのように思い、また眠りについた。

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かいご仕事をしている姉からマスクがきて、それまでのなにかにちじょうがかわりつつあって、かんせんしていなくても自分をまもるためにマスクで、マスクはいきぐるしくて、大変だが、それがマナーとかあたりまえのようになっていく気がするのがこわく、あごのあたりにマスクをずらして外出て、なにかたてものにはいるときにマスクをつけるということをして、汗がじんわりとあごをぬらしてしまい、くちまわりが臭くて、とても夏になれば嫌気分で思った。さごうさんの言葉は日に日に私を侵食していって、たいへんじゃったねぇといって、それが私をたいへんなじょうたいにしていって、もっと考えれば、さごうさんのおじいちゃんおばあちゃんのことを思い、ての皮のぞうきんのようにたれさがった皮膚や、うろこのようにささったまどガラスのはへんや、そういったものが今とてもかんじられていき、いたさやつらさや苦しさのことをかんじられて、とても今のこの生活のことや、飢えているひとたちに、牛乳やジュースやお菓子をあげたく思い、私は今日はフラワーをやすんで、スマホでいろいろと当時のじょうきょうについて見て考え、なにかぜったいにこういうことがくりかえされてはいけないとかんじて、私はこれにいろいろと書いているが、だんだんと思うことがふえていき、いろいろと書いた。のどがかわいて黒い雨がふってのむものがないからそれをのんで、汚染されたあまみずの死者をふやしていくさまや、ああとてもくるしくて、泣いて、私はとてもそのひとたちのことをすくいたいと思い、そうぞうのなかでくじら餅やリッチやベルギーワッフルをあげて、感謝され、ジュースや発泡酒をのませてあげたいと思い、でもそうなると、ぜんいんにいきわたることはなくなり、たべられない、のめないひとが出てくるはずで、私はどうしたらそんなひとたちにいい思いをさせてあげられるか、考えたが、答えはでずにあって、だからいきているうちに、しあわせになる私を肯定してみて、それは私の先祖もせんそうをたいけんしているはずで、いまこうして生きていることをしあわせに思うことが、おじいちゃんのオオクワガタをかってくれたことや、かよちゃんと恋ができたことや、そういうことが、たのしくくらすことがなによりの、しんでいったひとたちへのはなむけであると思い、私は発泡酒をのんで、テレビを観て、それでもつづいてきた遺伝子のことや、またつづいていく私たちの子孫のことが、ないまぜになってきて、私が恋人をつくることが、こどもをふやしていくことや、なにかそれがどこまでもつづいていくことを願い、私はまだ広島での、長崎での、ひさんな過去を思い、たいせつにたいせつに思い、なにがあってもいきていくことをして、眠りについた。

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私の考えることの、この文章というものの、なにかへんなことの現出する、やたらとへんてこなように思うようになってきて、よく記している自分がふしぎで、きのうのさごうさんのことや、広島長崎のことや、いまのコロナのことや、夢はそういう死をまぢかのことがおおくて、ひじょうにあせをかいていて、なにかこわいから、お姉ちゃんに電話をして、気にしないでといわれ、ただこの文章が、へんてこなものがふえていくきがしてあって、それがいいことなのか悪いことなのかは、じぶんでは判断がつかないために、ちゃんと日々を暮らすことをあたまのなかにきざみつけておこうと思い、私はこれをのこしている、あとなにかさごうさん本人というよりも、さごうさんの血のなかにながれているれきしのようなものにひかれる気がしているので、あしたはさごうさんとあって、ちゃんとそれをつたえようと思う、いみがないように思えてきたのでそろそろこの文章をおわろうと思う。

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書かないとわすれてしまうことを延々とつらねているので、もじがふえていき、それが広島長崎のことであり、やけただれた皮膚の見るかんじや、ひとがひととして見られなくなっていく、おばけのように、それはすこし前までがにんげんとしてせいかつしていたのに、なにもわるいことをしたわけではないのに、めだまがおちていき、皮膚をせんたんにおちてぶらさがっているさま、がれきのしたでしんで燃えているさま、熱く熱くにんげんが燃えていくさま、またいまの世界中のコロナの死者や、後遺症のことや、差別のほうどうで中国のひとへのあつかい、かんせんしゃのあつかい、めにみえない、いまのどこかのこと、そのどれもがつらくて、私はじぶんでお経をつくろうと思いました。こう書いてみて、私はへんてこな文章よりも、なにか意味のある、にんげんをうまくやすらげる、じぶんでお経をつくるということに賛成して、さごうさんは今日はふつうに話ができて、これのことはいいだせなかったが、でもいずれにしてもひとびとがしんでいくさまを黙ってみているのはなんだか気分が嫌であり、私はがんばってみる、お経をつくってみると思い、さごうさんにはつたえられなかったが、それでもお父さんお母さんのこともあるし、じぶんでつくったお経をよむことはとてもいいことのように感じて、発泡酒をのんで、寝てしまった

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、=点=天
。=丸=円
空白=食う吐く
?=ハテナ=果て無

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食う吐く木々の声やふとい幹や虫のなきごえや天私たちを天形成のすべての遺伝子をさかのぼってさかのぼって天いけば天顕在くるのはつらいあなたがたです円私はそれを肯定して天だってつらいきょうぐうだが天私がここにいることが天あなたがたが命の糸を連綿つづく遺伝子の咆哮を聞いているからであって天私は日々それにかんしゃしてたたかっています円私はまだ子を残していないけど天いずれは残していきたいと考え天なにかつづいていくことをほこりに思い天私はあなたがたの咆哮をずっと向こう向こうまでとどかせて天いきていくことを誓います円食う吐く全面肯定の不思議さ天死んでなおその生き方を尊重していく天私たちのことをあなたがたは肯定してくれるだろうか果て無食う吐く私たちのように好きなものを食べたり飲んだりすることをあなたがたは望んでいて天それがかのうである私たちのことをどう思っているか果て無食う吐くきっとうらやましく天時には恨みさえするではないか果て無食う吐く私たちがご飯やお菓子やジュースを残して捨ててしまうことをあなたがたはどうみるでしょう果て無食う吐く私たちはそれでもいいとおもったり天またそれをかっこいいとまでおもう時があって天あなたがたのつらいじだいをおもうとなにかざんねんに思うこともあるのです円私はあなたがたにかわって現代人の罪天罪なのかどうかは判然ではありませんが天それらはたぶんけっしてあなたがたの望んでいることではなく天でも食が大量に余るの世界でいきる私たちにとっては天彼らのすることは罪の意識があったものではなく天じだいがそうなってしまったとしか考えられないのです円でもきっと彼らは理解のはずであって天あなたがたとおなじ境遇が現れればきっと彼らもはんせいして天食べ物をのこしたりすることをやめて天その残したものをちゃんと食してくれるにちがいないのです円私は肉が生ものがだめです円残してしまうことがたくさんあったです円あなたがたも嫌いなものがあったはずだけど天それでもがまんして食してきたはずです円私はなるべく食べ物を残存せずにがんばっていきます円私はあなたがたのことを教訓にしてがんばっていきます円私のなかで生まれ出たことばや思想のなかの私をうみだしたということについてあって天すきとおった空のことやくらい空のことがあって天私は今のくらい空のなかでひかりをみていて天それらがうしなったものをてらさないものをしんじてみようと思い天外出てみて天それらは橋を越えたばしょにある天こうがいの方のおおきな店舗のひかりであって天私が子供のころ天もっと昔の頃はたんぼばかりでしたが天生きることにしたがって店はふえていき豊かになり天それはたんぼにすむ生き物を殺してしまったからであり天それはとても考えてみて私たちのにんげんの豊かさはえらんでしまったことだからもとにはもどらずに天生き物の墓標としてのひかりであって昔見たほたるはきれいでしたが天もう見えなくなってしまって天私はよくおじいちゃんおばあちゃんの家から帰するときにほたるをみましたが天きみどりいろのひかりが火の玉のようでとてもきれいでしたが天お父さんは昔はもっといたんだといっていて天それがいまの豊かさを現出することでうしなわれてしまったなにかなのでしょうか果て無食う吐くだから今みているひかりというのはほたる幽霊のようで天うしなったなにかをしょうめいするためにひかっているきがします円それは私がおぼえていようと思うことであり天またちがうひとたちやこどもや孫のときに天聞かせてあげたいです円私はそんなことを思っています円食う吐く南無妙法蓮華経とよくおばあちゃんはたいこをたたいていて天それは先祖の供養ということなのでしょうが天うるさいとかんじたことはたくさんあって天高校生のころに一階から聞こえてくるその音になにかおびえていて天私のおばあちゃんはもう認知症がしんこうしていて天よくお父さんに叱責であって天お父さんはいえじゅうに貼り紙をするようになって天それがとても攻撃的に思えて天おばあちゃんの言動を否定するかのようになって天ガス栓には木片と釘で箱が作られて天そこに鍵をかけて鍵は引き出しのなかにしまわれて天お母さんはここまでしなくてもいいのにとよく嫌気分でいました円でもそうしないとおばあちゃんはガス栓を開いて火をつかい天ガスがもれでた状態のままになってあって天火事になる危険性があり天たばこをすっていたおばあちゃんの布団のしたにはトタンがしかれていて天ここでひとりで燃えて死ねと言われているような感じさえ受け天私はたばこと糞尿のにおいのするおばあちゃんの部屋はつらくてなかなか気分よく入ることができませんでした円おばあちゃんが死んでがらんとなった一階の部屋はもう入院をしていたころからそうであって天帰省した私はここにおばあちゃんはにどとかえってこないのだと理解し天なにかここまでしなくてもいいのにと思ってしまい天私はお父さんにすこし嫌気分になり天私の部屋にじぶんのものをおきはじめて物置からもお母さんやお姉ちゃんや私のものを捨てて天かわりにじぶんのものをおきはじめて天使わないとお父さんがはんだんしたものはどんどんと捨てられていき天かわりにお父さんのものだけがどんどんとふえていき天それがなにか今みているひかりのようでもあり天それは各店舗の競争やなわばりやそこに埋められた潰れた店舗や畑やたんぼのことがあって天つまりつよいものが勝ちよわいものはきえていくというか天なにかそういうものににていると私はかんじて天お父さんはもう事故で死んでしまいましたが天それでもなおのこるのはお父さんのもので天私はそれを処分するきもなく天ただ家のほとんどをうめつくすような本やオブジェや画集がどうやっても捨てできずに天もともとがどういうかたちであったのかわからないということもあるのですが天お父さんはものをだいじにしていて天なにか勝手にすてたりするとおこられそうなのです円私は今の部屋にあるものだけでじゅうぶんだし天それいじょうなにもいらないと思うのであって天お父さんのようにものをふやそうとは思いませんし天店舗のようにもう元に戻すことできません円そういえばお姉ちゃんは私に生活保護の申請をしたほうがいいかもしれないといっていて天それは私がお姉ちゃんのふたんになっていることにあって天家をもっていてはなかなか申請がとおらないようで天いつかこの家をでてひとりでくらして仕事をみつけることをしなくてはならないのであって天それはBのように工賃が安い代わりにわりと休めるところではだめで天しっかりと週五日八時間はたらいて工賃を得るAのようなプランではたらかなければいけないということで天私は生きるために労働をしなくてはならないということがよく思っておらず天なぜならば嫌気分で精神が悪くなっていき天人間としてのことをうしなうような場合さえあってお金をもらうのはだめだと思うからで天それが人間としてじぶんの価値をはかるようなことにつながり天おなじ仕事ということをしていてもそこにはお金のもらえる金額の差異があって天それはどこがちがうのかわからないのであり天精神がおかしくなってまではたらいて三千円あまりしかもらえなかったり天そこの社長が高級外車にのっていることを考えたらなにか働くというのが違う質をもっていて天これはぜいたくかもしれないけれど天たいへんな仕事だからといって賃金がおおくもらえるわけでもないし天らくな仕事でもうけている人はたくさんいて天なにが違うのかはわからないけれど天私はあまりお金に関心しないためか天生きていく酒がすこしのめてたばこを吸えるだけのお金があれば問題ないのだけれど天なにかはたらかない人にたいして世間の目はつめたくて天よくなにをしているのかわからない私は友人たちとも疎遠になっていき天ぐうぜん会えば働け働けとうるさいのであり天べつにはたらかなくても生きてきている私は馬耳東風であり天まだひかりがあたらないばしょで生きているだけでこれほどまでにせめたてられて天まだ養うひともおらず天こうしてしんでいった人たちの幸福を天成仏をねがっているだけなのにこんなにも世間は生きづらく天それがまた私をかなしく嫌気分にさせられて天私の世界はとおざかり天ひの光をあびないままひっそりとしているだけで非難がとぶような世界にはいたくなく天私はどこかに天この文章のなかにじぶんを埋め込んでいき天だいすきなかぞくとその先祖たちとゆっくりしあわせに暮らしたいのである円そのためには私は埋没していく必要と天じぶんのことをもうすこし説明する必要があるかもしれないので天夜明け前の今の私を肯定してくれるものの存在を確かにしていくのだ円悟空の人形は本棚の上においてあり天亀は今はしずかにひの光を待っていて天イギリストーストをほおばりながら天この文章を記しつらねていて天私はげんきにやっているので天地獄にいるお父さんも天国にいると思われるお母さんも天みんな私の味方であり天守護してくれるから大丈夫であり天私はじぶんがまだ細胞レベルのときからこの身体になるまでを想像してみて天受精卵の私はちいさく天でもみんなそこからはじまっていくからお母さんのなかにいる私は逆再生されていき天精子と卵子はきえていく円身体のなかでいちばんはずかしいばしょをこすりつけて生まれてくる私たちを肯定していき天それはどこまでも続く糸を連想させ天私はその先端部分にあたるわけであり天これからもそれがつづいていくことを願い天夜明け前のうっすらあかるいぐんじょういろのこうけいがひろがっていて天私はいつかの朝を思い出し天それはまだ私の精神がまともだったころにアパートのベランダでたばこを吸ってながめた空にそっくりで天そのころはよくよふかしをしていて天東向きのまどからみえる風景を写真におさめたりして天私はなにか見たことのないものにふれたきがしてたのしかった円朝になるということが天群青色がうすまってくることが天どうにもふしぎで天夜はこうしてあけていくのだとはじめて知って天私のきおくがよごれないように写真をとって天まだおぼえているからふしぎなものであり天朝はひざしがあってあまりおもしろくなくてコンビニにでかけて朝ごはんをかって天漫画本をよんで午後に眠り天真っ暗になったころ目をさますというみだれた生活をおくり天その頃からだんだんと精神が悪くなり始めて誇大妄想や幻覚や幻聴とつづいていき天もうひとりではいけなくなってしまい天私は実家にもどって現在に至っているのだが天それで精神が好転するわけでもなく天よく幻聴がきこえ天おおきな音やサイレンの音が嫌で天耳をふさぐのだが天私は友達とよべるひとはほとんどいないし天お父さんもお母さんも死んでしまったし天これからひとりで暮らしていくことができるかわからないので天なにかふあんが消えずにこころの中にあり天それがいけないことだとわかっていても天腕をボールペンできずつけたり天それは嫌なことがあってそうするのだが天きまって夜であり天夜のこわさがあって天でも今日のような夜明けの風景はすきで天ひかりの中に影があってそれはふだん目にはみえないあなたがたが眠っているからかもしれないと思っています円もうすぐ夜がなくなってあなたがたは姿をけしてしまいますが天私はしっかりと暗闇をおぼえていて天そこに恐怖と安堵の両方を見出して天腕のきずをちゃんとみせて生きていき天私はまたここに戻って来ています円もうすぐ疲れてくるのでこのへんでいちど寝てみますね天私は闇を怖がらないように天あなたがたが電灯をまともに使えずに天空襲のひょうてきにならないように薄暗い中でせいかつをしていたとなにか最近読んだ漫画本でしって天さぞかし嫌気分で寒くてふあんに思ったことでしょう円食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く私はあさのひかりを浴びていて天それが当たり前のようにあることの不思議さと天それがきてしまうことのやるせなさがあって天なぜあさがくるのかよるのままでいいじゃないかとも思ったりして天そう思うことで当たり前のことを疑ってみることで天昔では考えられなかったようなことが今は当たり前になっているじれいがたくさんあって天たとえば車や携帯電話やパソコンやテレビやその他いろいろなものが考えれば昔はなかったわけであり天それらが無いと私たちは生活をすることができないし天またなにか災害がおきたときにそのありがたさをおもいしったりします円最近では東日本大震災のときにおおくの人がしんでいき天また避難所でのふべんな生活やいままで当たり前にできていたことができなくなり天だいぶ復興はすすんできて天でもまだまだ処理しきれない問題がたくさんあって天震災がなかったころのようにはいきません円いまもコロナのことで天世界中でたくさんのひとがなくなり天そのきょうふからまたかんせんしゃをいじめてみたり天かんせんしていないのにいわれのない差別があり天じぶんの立場上あやまるしかなく天みせはしまっていき天なかには仕事のかんけいじょうでかんせんがわかって天それがよくなくて自殺をしたということも聞いて天報道はされていなくても天めに見えなくても天しっかりと犠牲者はあるのです円あなたがたも戦争や飢饉や自然災害や細菌のことにみまわれてたいへんな思いをしてきて天それの前と後とでは世界の見方がかわってしまうのではないでしょうか果て無食う吐く私は東北の片田舎に住んでいて天震災があったときは家にいて天おおきな地震だなと思ったら家中の電気がおちて静かになりました円停電は夜になっても続き天真っ暗な部屋を出て外出てみると天雪が月明かりにあおじろく光っているのが印象的で天まるでひかりをきゅうしゅうしているようで気味が悪く思いました円一夜明けて停電はおさまり天テレビにはにごった海水や土砂が町をおおいつくしている光景がうつっていて天ただごとではなくあって天私はたびかさなる余震におびえてくらしていて天そのうちに放射能や汚染水の問題や避難所での生活のつらさやそういったものがずっと続いて今も続いているところもあって天私たちはぜったいにわすれてはならないものだという認識をひとつにして生きていくということであり天現に私はあのときのことを鮮明におぼえているのであって天震災でなくなった方々を供養するため天というよりも今までつらい思いをしてきてしんでしまった人たちの供養をしようと私はこのお経を記しています円私のお父さんとお母さんは交通事故でなくなっていて天それはいろいろなくるしいきもちであったと思い天私はなぜ自分がたすかったのかを考え思い天そしてさごうさんの言葉がきっかけでこれを書いています円私にもそういった災害や事件のことを語ることができるというつらさや天やっぱりどこかで誇らしくもあり天それはなんでもない私のじんせいがなにかそれだけで意味のあるようにおもえてならないのであって天私にも当事者としての意識があるだけで生きていこうという意思の違いがあらわれてきて天まわりにこそしんだひとはいませんでしたが天それは幸運なだけであっていつしんでもおかしくないことや事故というかたちでなくなった私のお父さんお母さんがいて天私もずいぶんと傷ついていて天そのたましいをすくいたく思いこれを記しているわけで天私の困難なじょうきょうや人間としてのやくわりはおぼえていることであって天なぜいちどに大量のひとがしぬとかなしいのか天それを私はずっと考えて天でも私にはしっかりしたこたえがだせなかったので今はひたすらいのるということしかできずにあって天たぶんの仮説として天しぬというのは多種多様のありさまであって天それがみんな一緒くたにされてしまうという残酷に起因するのではないかとも思って天戦争の原爆の死者はがれきのようにつみかさねられていたようだし天コロナのひとたちの一緒のかんせんで死ぬかんじもまた天死者のひとりひとりとしての尊厳をうばってしまうことになにかかなしさがあるのではないかと思い天また唐突なばあいのときになんとなくしぬ準備には早いこどもたちや事故といったことがらの突然さにもかなしみがあると思い天私はもう一度仏間に線香をあげてお菓子とジュースと発泡酒をあげて天命数がつきるまで頑張ることをつたえて腕の傷もみせました円そして目をつむっていのっていると天ひかりのなかになにかうごめくものがあって天それをちゅういしてみていくと天神様たちのいる天国がみえはじめて天私はそこに向かっていくのでした円食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐く食う吐くそして私は天国で仏陀がホームランを打ったので帰してきて天さいごにその時の状況を書いていこうと思います円私はまばゆいひかりの中にあって天やはりゆうめいな三途の川とおもわれる場所にたどりつきました円向こう岸にはお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんがいて天私に帰するようにいってきて天でも川底はすきとおり天とてもへんな魚がおよいでいるので私は浸かるていどならいいかと思い天ズボンをまくって川にはいりました円すると流れがきゅうにはやくなり天気がついたら私は野球場にいました円河川敷広場の野球場ではあまたの神様がユニフォーム姿でいて天私は八番ライトでした円試合は鬼子母神対観世音菩薩でとりおこなわれて一回裏鬼子母神チームの金毘羅が三塁打をはなって毘沙門天の犠牲フライで一点を先制し天それからは白熱した投手戦となりました円観世音菩薩チームの私は大黒天の投げるスライダーについていけずに三振ばかりでした円試合は九回の表弁財天の起死回生のホームランで同点に追いつき天九回の裏マウンドには抑えのラーフラがあがりました円ラーフラの四球目のストレートに仏陀がスイングをして天打球はすごく伸びていきサヨナラホームランになって天ホームベースをふむ仏陀を鬼子母神チームのみんなが祝福をしていて天そのとき私はボールをひろいに川までいって天いつのまにかそれは三途の川になっていって天私はまた川に流されて天そのとき仏陀の有難い言葉が聞こえてきました円あなたはここにいてはならない天まばたきをする一瞬のあいだにわたしたちはいる円だからその一瞬一瞬を信じなさい円私はだんだんと理解していき天さとっては間違えさとっては間違えしてきた自分のことをその時はっきりとした視界でみわたすことができたのです円南無阿弥陀仏南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無観世音菩薩南無お父さん南無お母さん南無おじいちゃん南無おばあちゃん南無お姉ちゃん南無亀南無悟空南無戦争の犠牲者南無震災の犠牲者南無コロナの犠牲者南無河川敷の住人たち南無かよちゃん南無やまもとさん南無わたなべさん南無いまいたくみくん南無さいとうゆうすけくん南無きじまさん南無さごうさん南無なにもかも四十九日抱擁天天天天天天食う吐く私はそれからまばたきをするほんの一瞬だけこの世から消えて神々のようなひかりになるのです円それはいつか目を閉じて見たけいこうとうのうすぼんやりとしたひかりに似て天私はその一瞬の時間だけ自分のたましいを燃やして天自分の未来を肯定していると感じることができ天いつかまばたきができなくなって自分の現世に永遠の暗闇がおとずれた時に天ひとつのひかりとして私はお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんや天そのころにはお父さんともゆるしあってくらすことができるのだと思います円その時には天国にいるみなさんをいっぱい抱きしめて天いっぱいキスをして天お土産としてリッチやくじら餅やイギリストーストやベルギーワッフルをたくさんもっていってみんなで食べたいと思います円

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