やさしさってなんだろう

大学の頃の友達からの言葉。

「君は強がりで実際に強い。でも、君が誰よりも繊細で心優しいのを知っているよ。」

優しさには「繊細さ」と「強さ」が含まれている。

誰かに手を差しのべるには、人の心に対する機微、人を思う心の余裕を生み出す強さが必要だってこと。

太宰治も言っていた。

「人のつらさや悲しさに敏感であることが優しさの条件」

ただ、悪いけど、私はみんなが思うほど優しくない。だって、誰に対しても優しくなれないから。

私って優しいのか、優しくないのか、ってわからなくなってたときに、この言葉に救われた。

「真に“やさしく”あるには、強い意志が大切です。つまり、今やっていることは何のために、誰のためにやっているのかを自分に問い続け、相手に期待をかけずに自分の責任でやさしくするということ。」

引用元:
「誰を幸せにしたいのか」を問い続ける。家入一真・櫻本真理・鈴木悠平が語るインターネットでつくりたい“やさしい社会」

一旦優しくして、はい、おしまい、だったら相手を苦しめるだけ、期待させるだけ。そんなの誠実じゃない。中途半端な優しさは相手を傷つけるだけ。

優しくする以上は、最後までとことん付き合う責任、覚悟が必要。

だから誰に対しても優しくなれないのは当然。

自覚はしていなかったけど、私が今まで優しくしていたのは、明らかに私の相手に対する強い意志、覚悟があったからなんだと、初めて気が付きました。

今ならはっきり言えます。

私が優しくしているのは、すべて意志から。優しくしたい相手にだけ、責任と覚悟をもって優しくしている。

その優しさには、温かさのみならず、相手を信じて自分を賭けてもいいという力強い「勇気」が備わっている気がします。

だからそんな勇気を持てる相手にしか、私は優しくできないのかもしれません。

そんな私は果たして優しいのでしょうか、優しくないのでしょうか。