季節の音についての雑記

季節には、それぞれ音がある。正確にいうと、ベースノイズ(アンビエンス)が変わる。超絶主観。

今日は夏のそれ。セミが鳴いていないだけで完全に夏のそれ。もうしんどい。夏は大嫌いだからだ。


夏の音は、多分どの季節よりも一番空気の音が大きい。そして他の音はそれぞれシャボン玉の中で鳴っているような、膜があるような感覚になる。それがふよふよと浮いているので、私の感じる夏の音はかなり鈍い音だ。
夏の音だからハツラツとはっきりしていると感じる人もいるだろうか。多分そんな人は夏が好きなのだろう。
私は夏が大嫌いなので、そもそも私の耳が鈍くなってしまい、常に膜があるように聞こえているのだと思う。実際に過去の夏を思い出した時に蘇る音はぼんやりとしている。私は夏、割と耳が聴こえていない。


反対に、冬の音はとても張り詰めていて、空気の音が一番少なく感じている。音の作業はキンキンに冷えた部屋でしかしてこなかったので、そういう精神的なものもあって聴覚がとても敏感になっているのかもしれない。
あと、邪魔な空気の雑音がないのでかなり遠くの音まで聴こえる(気がする)。夜なんか、一等星の発してる音くらいなら聴けるんじゃないかって思うくらい、耳がよくなってる気がする。
でも基本的に冬の音は高周波数帯が高く耳に刺さるような感覚があるので、結構苦手。寒さで耳が痛いというのももちろんあるが、音のせいで耳の中も痛い。あまり好きじゃない。


春はあまり音がしない。私が春にあまり興味がないのと、春は不安だらけだったという精神的な部分が原因かもしれない。
春というと私が一旦殻にこもってしまうということが多かったので、そもそも聴覚が働けないわけだ。感じられたとしても、ぬるい音だな、ということくらい。
夏のシャボン玉の音とは違って、私がシャボン液に包まれているような感覚で。だから春はぼんやりとした音しか聞こえていない。


秋の音は最高だ。秋は適度に音が澄んでいて、でも痛いほどではない。一番聴きやすい音で、私は秋の音が一番好きだ。
近年肌感覚の秋は短くなってしまっているが、聴覚ではまだ秋は結構あると思っている。秋の音は全てが私の鼓膜にダイレクトに届く。スパーンと飛んできてくれる。寄り道もせず、ちょっと緩やかな弧を描いて、ストンと私の鼓膜に落ちる。その感覚がとても好きだ。耳の中がくすぐったい。おまけに雑音も少なく、遠くの音が聴こえすぎることもない。
虫の音とか色々と鳴るものはあるが、それらの下に敷かれているベースノイズが最高に美しいと思っている。秋の音こそ至高。


こんな風に耳で季節を感じられるのもいつまでだろう。
聴覚に注力する機会が減ってから、著しく感覚のレベルが下がってきているなと感じる。8年間寄り添った感覚がこんなにあっさりとなくなってしまうのは、結構さみしい。

記憶も感覚も思考も、使わないとどんどん体から抜け落ちていってしまう。それら全てが絶対的ではないから、私たちは覚えようとして感じようとして考えようとするんだろうね。

儚いね。






たのしく生きます