Otis Redding追悼歌「A Tribute To A King」に込めたウィリアム・ベルの心意気
ソウルの王(オーティス・レディング)と親交があったウィリアム・ベル
1967年12月10日
オーティス・レディングの自家用飛行機が、ウィスコンシン州のモノナ湖に墜落。オーティスは死亡、一緒に搭乗していたバックバンド「バーケイズ」のメンバー4人、マネージャー、パイロットも死亡する悲劇。
彼の死にショックを受けて「A Tribute To A King」という追悼歌を作りました。
この追悼歌の話を聴いたジム・スチュワート(Staxの共同創業者)が
「なぜ?録音しないんだ?」とウィリアム・ベルに言い寄りました。
しかし、彼は
と断ります。
その後、電話がかかってきて、エステル・アクストン(Staxの共同創業者)も、ゼルマもシングル・リリースすることを希望していることを聞かされます。
ウィリアム・ベルは、しばらくシングル・リリースに反対しましたが
と妥協案を出したのです。
そのシングルA面が「Every Man Oughta Have A Woman」
しかし、ラジオのディスク・ジョッキーが、このシングル・レコードを手に入れたとき、彼らはすべてB面をオンエアーします。
聞いて、皆、聞いて
僕がある歌を歌うから
良い人生を送ったけれど
長くは生きられなかった男のことを
彼はジョージア州メーコンで生まれた
一文なしの貧しい少年
メンフィスへと道を見つけ
「These Arms Of Mine」を歌いながら
オーティス
オーティス・レディングが彼の名前
彼のソウルフルな歌声なしでは
この古い世界は同じではないだろう
彼はサンフランシスコへ
ニューヨークへ
海外へと旅をした
どこで歌っても 人々は拍手喝采した
ある日
ジョージアを出発した
ウィスコンシンを目指して
でも その夜歌うことはできなかった
彼が乗っていた飛行機が墜落したから
彼はソウルミュージックの歌手だった
メンフィスサウンドの王様
とても悲しい気持ちになる
なぜなら 彼はもうここにいないから
彼はギターと共に亡くなった
手元にはギターを抱えて
でも 彼の魂は今日も生き続けている
何百万ものファンの心の中で
話しているのは
オーティス
オーティス・レディングが彼の名前
彼の写真は音楽の殿堂に掛けられるべきだ
オーティス
彼はビッグ・オーとして知られていた
オーティス
彼をとても恋しく思う オーティス
ああ そうだ 彼をとても恋しく思う
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