探せば見つかるのか
「ART&COPY」コース、
4回目のゲスト講師は小杉幸一さん。
強引に自分と紐付けようとするのなら、
美術予備校で同じ先生に教わった同門生同士
(小杉さんが3学年ほど下)ということになる。
似た話でいえば、
「ART&COPY」コースのプレ講義で登壇した
岩下智くんも大学で同専攻、1学年下の後輩。
(わりとよくつるんでました)
同じ環境で学んだ年下の人たちが
雲を突きぬけ星になる(©糸井重里)さまを
結構な年月目の当たりにし続けて
どうしたもんだ…と悶々としつつも、
眠ければ寝てしまう自分を
どうしたもんだ…と悶々とする日々。
……閑話休題。
小杉さんのトークはとにかく
サービス精神に溢れていて、
物事のとらえ方に
独自のネーミングがなされており、
わかりやすく面白かった。
そしてすべてに裏付けがあり、
筋が通っている。
自分にとって小杉さんのデザインは
「大胆!」という印象が
何より強いものであったけれど、
その裏にはそれを通すだけの
気の遠くなるような分析・検証と、
携わる人たちの言動までルール化するほど
徹底した「人格づくり」があったんだなぁ…と
目から鱗が落ちるばかりだった。
見ていること、やっていること、
考えていることの次元が違いすぎて
うんざりしなくもなかったけれど、
小杉さんの「プロセスの違いがアウトプットの違いを生む」
という話や、そして仕事から話す所作まで含めて
あらゆることが「関係性」をつくることに
つながっていたんだということを思えば、
常日頃の心持ち次第でもう少し
いい仕事・自分にしかできない仕事も
できるようになるのかな…とも思えた、ような。
ともあれ今回、個人的に何より痛感したのは、
シンプルな表現というものは
考え抜いた者の特権である、ということ。
自分もできる限りシンプルなものを
作りたいと心がけつつも、
どこか憧れてきたデザインに
近づけないフラストレーションを
ずっと抱えている。
同じ色や書体を使っているはずなのに、
その違いの理由は何なんだろう…と
ずっと考え続けてきたけれど、
結局は考えの深さの差なんだろうな、と。
深く考えることで
無駄な表現も削ぎ落とせるし、
説明もクリアにできる。
これまでに話を聞いてきた
アートディレクターの人たちは
誰もがご自身の制作物に対して
明快な「説明」ができて、
話がわかりやすく、かつ面白い。
若手から巨匠までハイレベルな人たちばかり見て
ある意味麻痺していたのかもしれないが、
仮に自分がこの場に登壇したと想像すると
かなりの頻度で言葉につまって
苦笑いでやり過ごすことになるのかもしれない…。
長年自分は「分析」が下手だなぁと
思ってきたが、一人で看板を背負って
堂々と人前で喋れるようになろうと考えたら、
もっともっと「考える」ことを
しないといけないな、と。
今回、提出した課題においても
幸いたくさんの人から
「推し」のコメントは頂けたものの、
(めちゃめちゃ嬉しかったです。多謝)
提出した後になって
「もう一歩削ぎ落とせただろ!」
と後悔することになった。
それもこれも、我ながらビビって
不要な装飾をしてしまったのは
考え抜ききれなかった(変な日本語)
ゆえのこと。
好きなコピーを一部引用すれば、
人は「消すことで、書いている」
んだよなぁ…と。
コピー生の相方さんがいろんな場面で
何度も響く言葉を書いてくれたので、
それをより伝えるためにはどうすべきか。
リベンジの機会はあるので、
この先もっと考えて行きたい。
…そして、「ART&COPY」コースも
折り返しまで来てその中間報告となるけれど、
長年「自分で自分がわからない!」と思いながら
デザインの仕事をしてきた中で、受講前よりは
うっすら「自分」が見えてきた気がする。
それは周りにいる凄腕揃いの
アート生の人たちを目の当たりにする中で
見えたことでもあるし、
講師である阿部広太郎さんが先日出版した
『それ、勝手な決めつけかもよ?』
の中で書かれた話も大きなヒントになった。
サブタイトルに
「だれかの正解にしばられない『解釈』の練習」
とあるけれど、今回の講義になぞらえるなら
「関係性」の中で得た自分自身の「解釈」というか…。
この講義が終わる頃には
そのへんがもっとクリアになって、
少しは自分のことを説明しやすい
自分になっていられればいいなぁ、と
思う次第です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?