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【寄り道】梶井基次郎『のんきな患者』に見る、昭和の結核患者の実態

曽祖父の論文と同時期に発表された小説で『のんきな患者』という梶井基次郎の小説がある。

吉田という主人公が重い肺結核を患い、療養生活を送る中で遭遇する様々な出来事を回想交じりに綴ったもの。貧しいため、これといった治療を受けることもなく、迷信の療法(メダカ5匹飲む、鼠の黒焼きなどを飲むetc)に、すがって生きていくしかない庶民の物悲しい姿が淡々と描かれている。死と隣り合わせに生きていながら、一見〈のんきに〉構えているしかない庶民の現実を描いている。

梶井自身、10代の頃から結核を患い、医師に養生を警告されながらも、健康な青年と変わらずに振舞い、他人にそれほど重病だとは思わせないように努めていたという。

結核のために所帯を持つことは諦めていた梶井だが、亡くなる約4か月頃に見舞いへ来た姉に、「実はなあ、僕、このごろ結婚しようかと考える時もあるねん」と話したという。「(特定の相手は)だれもおらんけど、結婚するんやったら看護婦さんとやな」「これ以上、母さんに苦労かけとうないさかいな」という言葉に姉が思わず黙ると、梶井はあわてて笑い声を立てて冗談めかしたという。

この小説が公表された3年後、梶井は肺結核をこじらせ31歳の短い生涯を閉じている。

大正から昭和初期にかけて、肺結核は不治の病で日本人の死因の第一位であった。1934年(昭和9年)に結核で死亡した者は13万1525人であり、患者数は131万5250人となっている。これは全人口の2%、当時の10世帯あたり1人の割合で患者がいる計算であった(ちなみに現在の人口の2%は約2,400万人だが、2017年時点で最も患者数の多い高血圧でも推定患者数は994万人である)。当時はまだ化学療法も未発達だったため、罹患すると養生して進行を遅らせるより他に手だてはなく、貧乏な庶民は必然的に病状が悪化しやすい傾向となり、貧富の差が結核の進行を左右していた。

曽祖父の論文の第1章で記載したように、貧乏な庶民にとっては「ひとたび病魔に襲われようものなら、十分な治療を受けられないばかりでなく、仕事を失い、家族全員が食うに困り、路頭に迷うことになる。」という状況は現実で、この小説は当時の状況をより鮮明に知ることができる。

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