うたを歌うのは個人的なこと。

あたしはうたを歌う。うたを歌うのは楽しい。
隣に住んでいる友人は絵を描く。きっと描くのは楽しいんだと思う。

それで、こんなことを言われた。

あたしは、誰かのためにうたを歌うことに抵抗がある。自分にとってうたを歌うというのは自分の楽しみであって、誰かのためじゃない。人前でうたを歌うのは、(聴衆に向かってうたを届けることで、誰かになにかの影響を与えることを目指すという)大きな緊張を伴う行為で、とても楽しめるようなものではないと思っていた。

だけど、特にツイキャスをやるようになって、わざわざ自分のうたを聴きに来る人ができて、不思議な気分のよさを味わえるようになった。
自分のうたは、一部の人には睡眠導入的な効果があるらしく、寝に来る人が結構いる。それがまた、知らない自分の一面を知ることができたようで、面白かった。と同時に、うたを歌うことでなにか役に立てるんだという感じが嬉しくもあった。それで、今でも時々こっそりとツイキャスで配信をしたりしている。

だけど、ツイキャスでの配信は、自分の好きなように始めて、好きなように歌えばいい。つまり、「自分のために」の延長で、誰かにそれを聴いてもらうことができる。それはとても自分にとって都合がよくて、言い方を変えれば虫のいい話だと思う。

同じ空間で、うたと絵と、それぞれ好きなように過ごすというのは、それに比べてずっとハードルの高いことだなあと思う。「邪魔にならないように歌わなければならない」とか、「描きたい絵に合わせて選曲しなければならない」とか、そういうことを考えてしまったらもう自分の楽しみではなくなってしまう。お互いの勝手を持ち寄って、勝手に時間を過ごして、その結果として、それぞれ別々にそれを為した時よりも何かよいものが生まれるということを期待するという、とても難易度の高そうな妄想。

だけど、それができたら、たしかに素敵なことだなあと思う。
そして、それができるとしたら、可能性があるのは隣人しか居ない、と思う。

もう少し、正直に話をしてみたいと思う。
うまくいかないかもしれないけど、ほんとうにできたら、いいなあ。

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