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一般高校時代

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それまで過ごした聾学校から、一般高校(聾学校ではない)に進学したあとの高校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
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2021年2月の記事一覧

それは「友情」か「憐憫」か。聴こえる「友達」とのつながりの意味を、私は高校時代ずっと考えていた。

聾学校同級生とは、1,2歳の、おむつもとれていない頃からの乳幼児相談のときからずっと一緒に過ごしてきた。物心ついたときから、隣にいて、毎日学校で一緒に過ごしてきた仲だ。私には彼らが「ともだち」であった。 「ともだち」のそのお父さんもお母さんも、兄弟姉妹も、全部ひっくるめて、私は知っていた。家族ぐるみで旅行やキャンプ、登山もした。隣の家のおばさんよりずっと濃い間柄であった。 私の母にとっても、周りのお母さんたちは、単なるママ友ではなく、同じく聴こえない子どもを育てる同志、戦友で

高校からの帰りに、私は聾学校にぶらりと寄った。身体に馴染んだ校舎を、私は好きに歩き回った。

私は、放課後、いくつかの書店を回る一人きりの「部活動」を行っていた。書店巡りのコースは日々変わり、私の足はどんどん高校からも自宅からも離れていく日もあった。 ある冬の日、いくつめかの書店を出たとき、あたりはすっかり暗くなっていた。もういいかげんに家に帰ろうと決め、私は家に足を向けた。そうしていると、聾学校が近いことを思い出した。最後に出た書店から家までの帰り道に、聾学校があった。聾学校のことを思ったとたん、私の頭は聾学校の映像イメージでどんどん占められていった。聾学校に私はず

高校生の私は、放課後は書を求め町へ、てくてくと一人歩いた。毎日欠かさない「部活動」だった。

私が、まだ見ぬ高校生活で楽しみにしていたことの1つが部活動だった。 私は入りたい部がもう決まっていた。 高校入学後、すぐにその部に入った。そして週1,2回は活動をしていたが、分からないことの連続に、期待はあっという間にしぼんだ。私はその部から足が遠のき、ついにはまったく行かなくなった。 かくして私は「帰宅部」になった。 放課後、私はいつも決まっていく場所がいくつかあった。市内の本屋をいくつか回るのであった。市立図書館に寄るときもあった。 本屋は、ワンフロア全部が本屋のものも