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一般高校時代

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それまで過ごした聾学校から、一般高校(聾学校ではない)に進学したあとの高校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
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2020年12月の記事一覧

聾学校から一般学校に入って、他者のまなざしを恐怖と感じるようになった。私は自身を守るため、他者を遮断するトイレ個室に避難した。

高校に入って、お昼ご飯はお弁当になった。 入学してすぐの、とりあえず入った女子生徒グループで、机を丸く並べて一緒に弁当を食べた。 当然ながら会話には入れない。ついていけない。入ろうと試みたこともあったが失敗に終わった。 私はそのグループにいながら、1人でご飯を食べているのと同じだった。私はグループの誰よりも一番早く、先に弁当を食べ終えた。そして、頃合いをみて自席に戻った。その頃合いのタイミングはだんだん短くなっていき、最終的には、最初からグループに入らず自席で1人で弁当を食

手話サークルに行っても、真に「手話」と出逢えなかった。手話は、身振り、音声の補助としか思っていなかった。

私は高校のとき、一時期、母と一緒に地域の手話サークルに通っていたことがある。 手話サークルに行った最初の日、自己紹介をすることになった。 私は、自分の名前を声を出して自己紹介することがとても嫌だった。自己紹介を回避すべく、母の自己紹介の次に「(母を指さし)の、娘です、〇〇です」と言った。 その場にいた人々は、笑った。私も一緒に笑った。 当時、手話は「身振り」「手真似」という認識が社会的にも主流であった。私自身も、その認識を持っていた。手話は、音声の補助としか思っていなかっ