親の実家がカフェになった話
今日は用事があって、父親の生まれた街まで出掛けていった。用事を済ませ、近くまで来たからと父の生家だった場所に寄ってみた。
高速道路の最寄りのインターから10分程度のその地区は、子どもの頃から夏休みなどによく遊びに来ていたのでカーナビを見なくても、うろ覚えで辿り着くことができた。
大きな家の縁側で従兄弟たちと飛び回って鬼ごっこをしたり、自分が生まれた年の夏に亡くなった祖父の遺影を眺めては、父やそこに行くたび成長する自分の顔にどことなく似ているという感想を持ったり、広く涼しい縁側で、タオルケットをお腹にかけて昼寝をしたりと、思い出の場所だった。
小柄な体で田舎の寒さにも負けず、とにかくやさしかった祖母の顔も浮かんでくる。
数年前に祖母が他界してからはなかなか来る機会がなかったが、昔ながらの個人商店から二、三軒となりのところにある空き家だった築120年の家は、親とその兄弟たちとの間の相談で人の手に渡すことが決まった。
買い手がつくのか、と疑問に思いながら様子を父から伝え聞いていたが、この家を買い取った事業を経営する方が、昨年春からそこで古民家カフェを始める、と知った時の嬉しそうだった父の顔が忘れられない。
コロナ禍の終わりがまだまだ見えない時代ではあるけれど、昨年から家族は何度か足を運んですっかり気に入った様子だった。自分は家族が出かける日に決まって何かしらあったりでまだ一度も行けていなかった。
ついに初めて、カフェになった祖母の家に来てみた。
外側の躯体はかつての「ばあちゃんち」の面影そのまま、柱や所々の木の部分を落ち着いた茶色で統一して、祖母が畑作業を好んで野菜を作っていた庭の一角は駐車場となり、見事にお客さんの車で埋まっていた。
お店の中は、昔の知っていた間取りからはかなりリフォームをしたことがわかる。「こんなに広かったんだ」という感想をもつほど、各部屋の襖と天井の板を取り払い、梁を見せることで開放感を出しつつスペースを有効に使える、頑丈な古民家ならではの空間。なんということでしょう。
これからまだまだ二階のスペースを開拓していく構想があるらしい。
中の様子は正直かなり変わってしまい、こんなお洒落な場所になるものなのか、と驚くばかりだったが、広い南の縁側の、玄関がわりにしょっちゅう開け閉めして荷物を出し入れしていた一角にあった市の「押売り販売お断り」の貼り紙がまだ残っていたのを発見し、思わず笑ってしまった。
せっかくなので1時間ほどコーヒーを飲み、メニューを頼んでみたが、その間にもお客さんが絶えず訪れ、盛況だった。
自分は正直、特に若い頃にはカフェで高い飲み物を頼んで時間を潰すという行為の意味をあまり理解できなかったせっかちな人間だったけれど、ここは間違いなく良い。また来たい。
自分に馴染みの場所だからなのか…
近くの民家は、この家と同じように昔からの古民家と、土蔵を設けた広めの土地が多いが、住む人がいなくなって古くからの家が朽ちていくのを待つばかりの家と、人は住んでいるものの、代替わりをして現代風のこぢんまりした棟に建て替えた家と色々ある。昔から見慣れた近所の景色も、少しずつ変わってきている。
この場所が人の手に渡ると聞いた時、親戚中ではまだわりと若い私ですらそう思ったのだから、親戚の皆が寂しいと思ったはずだ。
でも、この時代にこの資源の価値を認める人が引き受けてくれただけでなく、こうやって人が集まる場所に再生してくれたことを幸運だと感じる。
ここを訪れる人が着実に増えて、長く続いていく場所になってほしい、と願いつつ、静かな雰囲気で、誰にも知られずのんびりできる場所であり続けてほしいという感想の両方をもち、ここでとりあえず書いてみようと思った次第。
ぜひまた来たい。
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