とある遺書屋の日常

油と埃に塗れた室外機がガタガタと羽を回し、下水と黴びの匂いが充満した路地裏

歩き進めればネオンの看板が光り輝く表通りがあると言うのに、ここには僅かな星が灯りだけだった。

「うああああああっアガッ……や、やめてくれっ」

都会の喧騒から離れた路地で男の絶叫が木霊する。

「今ので足の小指一本……あぁ、叫んじゃったからもう一本」

「ぎゃぁあああぁ…あぅ、ハァハァ……た、たのむ、殺さないで」

「それはむずかしいなぁ、俺たちの依頼人は君の死を望んでるからね…足は動かないけど、手と頭は動くでしょ?さぁ君の遺書を書いてよ」

「………い、イカれてる」

男は震えながら銀髪の少年を見上げる


透き通った白磁の肌、整いすぎた鼻梁に深いサファイアの瞳は思わず見惚れるほどの美貌だった。


しかしその美しい見た目とは裏腹に、少年は無慈悲にも男の急所に銃口を突きつけている。


「俺は優しいけど、後ろにいる俺の相棒はせっかちなんだよね」

少年は男の耳元に顔を寄せて囁く。

「君の心臓は俺たちが握ってんだよ….泣こうが叫ぼうが何をしようが…結末は変わらない」

少年は囁き続ける。

「…娘さん、5歳だっけ?可愛い盛りだよね、依頼人は君が抵抗したらどこまで手を伸ばすだろうね……」

「そっ、それだけはやめてくれっ!娘は関係ないだろ?!」

少年は微苦笑を浮かべ

「俺に言われてもどうしようもないよ、だから生きてる内に最大限の行動を起こすのが娘の為だと思わない?」

「…………っ!!」

男は血と汗を滲ませながらペンを掴み取り

地面に這いつくばりなが必死で紙に書き綴った。

グスッグスッと男の啜り泣く声が薄暗い路地に響き渡り、しばしの静寂が訪れた。



「ほら、書いたぞ……遺書屋、これを娘と妻に」

少年は笑顔で紙を受け取り満足そうに手紙を眺めて懐にしまった。


「ワンちゃん、そろそろいいかしら…待つの飽きたんだけど」

「あ?ワンちゃんじゃねえ名前で呼びやがれ、ったく…あとはあんたの仕事だ」

少年が男から離れた後、目の前が真っ赤に染まる


そして少年の比ではない程、とてつもないプレッシャーが男を襲った。


な、なんだ、これは


大粒の玉汗が男の額を伝う


「ねぇ」

女の声だった、高くもなく低すぎず、ゆっくりと艶のある声色は一度聞けば忘れられないだろう。

「貴方はどれくらい耐えられるのかしら」

「は?」

男は顔を上げた、そこには恍惚とした表情で身の丈より大振りな斧を片手で軽々と持ち上げた真紅の女が男を見下ろしていた。

こちらの言葉には興味がない様で、男の言葉は彼女には届いていない。

「楽しませてちょうだいね」

鮮血の口紅が美しい三日月を作る。


それが地獄の合図だった。



ファウスティーノは壁奥で行われている惨状を横目に見ながらスマホを取り出し、何処かに電話をよこした。

数回のコールの後、穏やかな男の声が聞こえ

「こんばんは、今日の天気は如何ですか」と問うてきた。

「こんばんは、今日は真っ赤な星がよく見える日さ、でも蠍が間違えて毒を広げてね」

ファウスティーノは殺人現場には似つかわしくないほど、茶飲み話をする様に穏やかに話し始めた。

「それは大変ですね、場所を伺っても?」

「××区〇〇街、四番目の路地を曲がった場所、蠍が去るのはもうすぐだよ」

「ありがとうございます、では雨を降らせに参りましょう」

「あぁ、それじゃあおやすみ、いい夜を」

そう言ってファウスティーノはスマホをポケットにしまった。


グチャッ グチャッ


風の吹かない真夜中、鉄錆の様な生臭さが辺りに充満している。


「ベリンダ〜、もう死体グチャグチャだぞ」

「……………はぁ、もう終わり?」

数秒の沈黙の後、ベリンダと呼ばれた女は心底残念そうに血溜まりを見て、無表情にファウスティーノを見やった。

「つまらないわ、もっと遊ばせてよ」

ファウスティーノは渋面でベリンダに話しかけた。

「あと一件仕事があるだろ、今日の後始末は掃除屋に頼んだ」

ベリンダの返り血をハンカチで拭き取り、彼女お気に入りのコロンを振りかけた。

「あらそう、次は何処?」

ベリンダは興味なさげに指先で髪を巻いている、人を殺した後とは思えないほどのマイペース…この女にとって殺人は所詮遊びにすぎないのだ。

「隣町、依頼人が車を用意してるらしいから行こうぜ、アンタのお楽しみが待ってる」

ファウスティーノも淡々とそう述べた。

この仕事に対して別に深い思いもない、ゴミ溜めから這い出た人生に真っ当も糞もないから


所詮この世は弱肉強食、喰われたら負け


ファウスティーノの思う世界はシンプルだ。


この殺人狂も強いから生きてる


それだけ


恐怖も、狂気も、憎悪も


飢えに比べたら、大した事はない


それら全ては、己が強ければ越えられるからだ


この女はそれを体現した存在だから、生きる為に必死にしがみついた。


「支度も整ったし行くぞ」


「生意気ね、私に指図しないでちょうだい」

ベリンダは不愉快そうに顔を歪めた。
ファウスティーノはその言葉を聞いて瞠目した、思わず口から乾いた笑いが溢れる

「ははっ、ガルルルルッ」

そしてファウスティーノはまるで犬の様にベリンダに向かって喉元に噛み付く様な仕草をした。

勿論ベリンダはふいっとそれを避ける。

ファウスティーノはギラギラとサファイアブルーの瞳は好戦的で犬歯を覗かせこう言った。

「俺は躾けを知らない野良犬だからな、人に指図するなんて、
やり方しらねぇぜ相棒、アンタが俺を拾ったんだから、誰よりもその事実を知ってるだろ?」


ベリンダは感慨に耽る事なく、興味なさげに嘆息した。

「車は何処かしら」

「こっちだよ」

少年は何故か愉快そうに微笑んで彼女の手を引いた。



――死んでも、その言葉は残り続ける。


殺す対象に遺書を書かせ、

その遺書をあるべき場所に届ける

「遺書屋」と呼ばれる一風変わった殺人鬼。



その遺書屋こそ、この2人で有る。

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