活字中毒の末路

活字があまり頭に入ってこない週間、、、。再来週には京極夏彦さんの【鵼の碑】が17年ぶりのシリーズ新作として発売されるから、それまでには抜け出したいが、意識してなんとかなる類のものではないからな。

気が塞いでいるからではないかと考えたが、生まれてこの方、気鬱でない時期の方が短く、また気鬱の嵐の中で波間の板のように活字は私を幾度も救ってくれたから、必ずしもメンタルの問題だけではないのかもしれない。

ここ数日、こうした長いというか、短くない文章が書けていなかったのも、そういう理由であり、あるいはカロリーが不足しているのかと甘味を舐めてみたが、狙い通りの効果は出なかった。禁欲的であれば文章が書けるなんて幻想だし、無頼気取った無頼漢もどきほど、それから遠いものはない。頭に糖分送り込むのはサイエンス。


俗に過度な本好きを活字中毒などと呼ぶが、私などは遠く遠すぎて当てはまらない。読んだ冊数ではなく、脳に刻んだ活字数と、さまざまなジャンルを読みこなしていけるものを活字中毒と呼ぶのだろう。つまりは依存であり、それがないとおかしくなってしまうほどの渇望がなければ比喩として使うにも重い言葉だ。

もっとも、今日に於いては識字率も高まり、1日過ごすうちに一切の活字から逃れるということは困難に近しい。不可能ではなかろうが、それは終日布団の中にひきこもり、手元に便利で絶望と希望の割合が比較的偏らない類の携帯パンドラの筺を持たないという条件ならばという話。

ただ、それとて夢の中にいる時間に活字を目にする可能性もあるわけで、非常に難易度の高いミッションではあろうな。

中毒ではないものの、活字に対しての思い入れはわりと強く、だから昨今のメディアミックスの小説や漫画のアニメ化、実写化、ヴォイスコミックみたいなものをあまり受け入れられないのだろう。原作厨というよりも、吹き出しや活字で構築された世界観にはまりすぎたのだ。


と、くだらないことを長々と書いてきたので、なんとか活字があたまに入らないという状況からは抜け出せそうだといいな。楽しみにしていた時代小説のシリーズ完結作がしっくりこなかったショックなのか、やたらとフェミニズムに寄った作風に変わってしまった作家への落胆からか、、。抜け出せるといいなまじで。

活字中毒の人は、こんな感覚になることはないのだろうか。あらゆる本は面白く読めるとか、活字であればよしみたいなのは、それこそ末期症状のように思うが、本人が幸せならそれでよいのだろう。

しあわせな読書がしたいので、なんとか状態異常【識字率低下】というデバフは剥がさねば。

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