日記|身体を褒められたくない

(注意)
日記中に「望まない身体接触」「外見に対する暴言」の表現が出てきます。


「痩せてる、って言われるのがずっと嫌だった」と口にした。途端に涙がだーっと出て、自分でも驚いた。
流れは忘れたが、パートナーと話す中で出てきた言葉だ。

その時まで、自分がそれを「嫌だ」と思ってきたことも知らなかった。
頭はわかってなかったけど、心は確かに傷付いていて、それが何十年分溜まって、涙として溢れてきたんだろう。

私は遺伝的に、痩せ型の体型をしている。
幼少期のふくよかさが落ち着いた小学生頃からずっと、絶え間なくそのことについて言われる。

「ほそ!」
「ちゃんと食べてる?」
「折れそう、こわい」
「細くていいな」
「ガリガリ」
「色んな服が似合って良いな」
「痩せてて羨ましい」
「なんでそんなに細いの?」
「骨と皮じゃん」
「二の腕も脚も細くていいなあ」
「男の子みたいでかっこいい」
「あなたの体型好き」

ネガティブな言い方も多いが、一般的に細いことは良いこと、という価値観が広く共有されているから、「羨ましい」に類する言葉を聞かされることが多かった。
長らく私自身も「賞賛」として捉えていたし、痩せている自分は太っている人より優れていると錯覚した。学生時代なんか公然と「デブは嫌い」と言っていた。クソヤバ

一方で、返答にはいつも戸惑った。
「うん、そうだね」事実痩せているだけ
「ありがとう」褒めてくれて
「ただの遺伝だから」褒められてもなぁ
「太れないんだよね」理由を聞かれてもわからない

これと平行して、身体をじっくり見られる、断りなく触られることも日常茶飯事だった。

細い!折れそう!と腕を掴まれる。
胸がちいさい、と触られる。
ちゃんと食べてる?と腕をさすられる。
細くていいなぁ、首から下をなめるように見られる。
細い腰が好き、と腰に手を置かれる。
お尻が小さくて羨ましい、とまじまじ見られる。撫でられる。

私はそれらを嫌だと思っていなかった。
仔細に記憶を辿ると、触られたその瞬間は確かに不安や不快感はあって、でもそれを寂しさや誰にも興味を持たれない恐怖が覆い、「大丈夫」と判断した。
結果、当時は嬉しいとさえ思っていたし、色んな相手に自らその機会を与えていた。

今は思い出すだけで気分が悪くなる。嫌だった。

羨望は、それを発する人の自己否定とセットであることも多い。しかも無自覚に。
「細くて良いな」と口では言うが、その意味は「それに比べて私は太い」がほとんどだったりする。
自身の身体をある基準と照らし合わせて痛めつける行為の道具として、私の身体が利用される。

内容がネガティブなだけに、これは私も嫌だと理解できた。
だから「私の身体を使うな」と言うことができた。

当時は「ネガティブ自慰のオカズにすんな」と表現していた。今もそう思うけど汚い言葉だから口に出さなくなった。書いてるけど

私の身体を見て、勝手にコンプレックスを刺激された人がつっかかってくることもあった。さすがにそれは「知らねー」

遺伝的に痩せているだけで、努力の結果ではない。自分の選択ではない。
長くつき合っている身体だから、自分なりに欠点も見える。似合わない服や、筋肉がつきにくいこととかも(触られやすいというのも今は欠点と捉えている)。
ときに便利だけど、背が高いことや手が小さいことと同じ。選べずに持って生まれたことのひとつでしかない。自信を持てるわけではない。

自らの意思で選び、努力で勝ち取ったものなら誇れるし、人にアドバイスもできる。

でも私は、羨ましがられても理由を聞かれても、何も与えられない。

褒め言葉なら、いくら人に言ってもいいと思われがち。
同性間なら触ってもいいと思われがち。
興味は純粋なもの、と尊重されがち。

それらに私は苦しめられた。し、私もその勘違いでたくさん、息するように他人を傷つけ侵害してきた。


「褒め言葉」も、人の一部を切り取り、勝手に任意の尺度(価値観)で測って判断する行為のひとつ。
学校の成績が悪いから頭が悪いとか、露出が多いから触って良いとか、豆乳でミルクティー作るなんて邪道だとか、鼻が低いからブスだというのと変わらない。

さすがに異性による身体の侵害は問題とされるけど、相手が異性でなくても同じ。
他人に、私が積極的に許した覚えもないのに触られたくない。
肌触りの良いファーを撫でるように、モノとして気安く触られるのはとても不愉快だ。

悪意のない純粋な興味は無邪気でも、無害ではない。
わざとでなくても足を踏まれたら痛いしケガもする。悪意は無くても傷付くことがある。


やってしまいがちなのに、人の自尊感情に深く影響する。けっこうこわい。

自ら努力して手に入れたもの、選んだもの、チャームポイントとはっきり認識していたら、褒められて嬉しい。
髪色や服装や、化粧を施した目とか。
もはや外見や身体というより行動ですね、言動。

前から気を付けては居たつもりだったけど、自分の感じていた「嫌さ」に気付いてより真剣になった。
「自分がされて嫌なことはしない」には限界があるけど、切実さを知るには有効なことだなー


こんなにしんどいことを自分でも勘違いして「よかれフォルダ」に入れちゃうことがあるんだなぁと気付いた日記でした。



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