2 カーニバル、誤りかどうか、子供が教える、の対話


知 求さんよ、夢でも哲学できたかもしれないよ。というのが、対話についての対話の夢をみたんでね。

求 知さん、冗談言っちゃあいけない。でも、冗談なら聞いてあげる。

2.1 カーニバル

香子 やめといたがいいと思うよ。余計にややこしくなるだけだと思うよ。

青児 そうかもしれないけど、真面目くさった坊主や神父の説教みたいなことを勇生くんは言ってるんじゃないんであって、そのことはくらいは短く言わせてくれよ。

香子 誤解を避けようとすると余計に難しくなっちゃうのにね…。それでもいいのかな。

青児 真理の探求だとか勇気だとかいうと、とかくみんなクソ真面目で厳粛なものだと思うのだろうが、全然そんなもんではない。真理の探求の果てには最高の笑いが待っているんだし、緊張や畏怖と隣り合わせの勇気や安全性は、踊り出さずにはいられないウキウキ感やそこで流れている音楽のようなものなんだ。この点では、対話については何の参考にもならないバフチンの、カーニバルやポリフォニーというのが、全く正しいと思うね。

香子 ふーん。

青児 そんな祝祭で、シラけたことを言われてはたまったもんではないだろ?それに自分だってスベったりはしたくないだろ?勇生くんはこういうこと「も」言っていると、俺は言うぜ。彼が言わなくたって俺はそう言いたいね。真面目な大人たちにはこれが通じないんで、こっちは黙っていられない。真面目な大人たちは、ギリシャ哲学を全然知らないし、子供の哲学を知らないし、自分自身の子供の頃の哲学を全然知らない。だからつまりphilosophiaってものを全く知らない。本当に無知も甚だしい。

2.2 間違っているかどうかから考え始めるべし

香子 そうですか、本当に?ちょーっとそれは言い過ぎてはおりませんか?

青児 いやいや、言い過ぎなきゃいけないね、こういうことに関しては。だって勇生くんが言っていることを「よいこと」みたいに勝手に誤解して、しかも「そのことなら知っているよ」みたいな顔をするバカどもばっかりなんだから。まさにそういう人にこそ、「対話する」ことが不可欠なんだよ。対話を広めようとしたり、対話についてあれこれ言ったり、対話を教えようとしたり、、、こういったことは一切やめていただきたいね。ただただ「対話」すればいいだけなんであって、それだけだ。

香子 そういうあなただって、勇生くんの言っている対話を広めようとしたり、対話の安全性についてあれこれ言ったり、カーニバル的な対話を教えようとしているのではないの?それはどうなの?

青児 まったくその通り。だから、俺にだってその資格があるってことさ。対話についてどうこう言ったり、対話を広めていったり、対話について教えることは、大人たちだけに認められた資格ではない、ってことさ。

香子 まあ、確かに。君の考えているような対話はともかく、子供が、対話を広め、対話についてああだこうだ言い、対話を教えるのであっていいよね。

青児 自分の言いたいことを言わしてもらうけど、大人たちは、俺と同じ穴のムジナなんだよ。だからこそ、大人たちが自分自身で、自分の言っていることが間違っているということを、よーく考えるべきだ。自分の言っていることが正しいかどうかを考えるのではなくて、間違っているかどうかをもっともっと考えるべきだね。そもそものはじめから大人たちは、自分が正しいかどうかを考え始めようとするが、もうそれが間違いなんだよ。そもそものはじめから、自分が間違っているかどうかを考え始めるべきなんだよ。正しいかどうかを考えるのは、そのあとでの話だよ。

2.3 対話は子供が大人に教える

恭子 え、つまり、究極的には、子供には対話を教えなくていいってこと?

冗談じゃないよ。そもそも発想が逆だよ。子供から大人が対話を学ぶべきなんだよ。だから哲学対話ってものが存在するんだよ。正しい対話というのを子供から大人が学ぶのが真の哲学対話なんだって。

香子 本気で言ってるの?

青児 本気だよ、もちろん。というか、どうして他ならぬ君がそんなことを言い出すんだい?

香子 え、だって私教師だから…。

青児 教師こそ子供から学ばなきゃいけないって言葉聞いたことあるでしょ?あれ本気にしてないの?

香子 え、うん…。

青児 あれは本当にいいことを言ってると思うんだけど、哲学対話にこそ当てはまると思うね、僕は。

香子 そう…。

青児 哲学対話に限っては、子供が大人に教育すべきことは自明だよ。大人が思いついた哲学対話なんて、丸い四角みたいなもんだね。そんなの教えられっこないどころか、想像することさえできやしない。

香子 ていうか、正しい対話なんてあるの?

青児 あるよ、もちろん。その基準は子供の対話にあるんだよ。

香子 それじゃあ、大人には決して分からないじゃん、対話の基準なんて。

青児 そうだよ。だからこそ大人が常に学び続けなきゃいけないって言ってるんじゃん。大人だって子供の時は知ってたんだから。

香子 ああ、そっか。今は忘れているだけなんだ。

青児 そうだよ。探求のパラドクスもイデアの想起説も、「今は忘れているだけなんだ」ってことを言っているのは君も知っているじゃないか?

香子 そうだね。よく知っているつもりだったけど。

青児 君でさえ、忙しくて考える暇が、さらには、言っても通じない大人に囲まれて不安になっていると、こうなっちゃうのか…。俺は自分が心配になってきた…。

香子 だから、はじめにやめといたほうがいいよっていったじゃん。

青児 ああ、対話は、一度限りの曲の演奏だということも言いたかったのに…。

香子 残念でしたね。いろんなこと言おうとするとこういうことになるということですね。

2.4

求 知さん、やっぱこりゃ夢だわ。子供と大人があべこべになってるよ。しかも支離滅裂だし。せめて夢と対話してから、私と対話しておくれ。そしたら夢も哲学になるかも。

知 え?夢が哲学するなんて言ったっけ?哲学は夢みる、とは言ったような気がするが。

求 それも夢だよ、知さん。まだ寝ぼけてるんじゃないの?

対話屋ディアロギヤをやっています。https://dialogiya.com/ お「問い」合わせはそちらから。