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マタイ5-27~32藤盛牧師説教‭‭エゼキエル18-25~32

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:23‬ ‭口語訳‬‬
[23] だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら.…。

心の中で姦淫を犯したものは、実際に罪を犯したのも同然であると。手が悪いことをしたら、手だけでも切り落とせ、眼が悪いものを見たならえぐり取って捨てろと。著者は小学生のころ、聖書のこの部分を読んで、絶対キリスト教の信者にはなれないと思ったものだった。

それほど厳しいことを人間にイエスは要求したのであろうか。

そうではない。イエスが言いたかったのは、形式的な律法の厳守ではなく、広く心のあり方を主が見ていることを述べ伝えたかったのである。

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:17‬ ‭口語訳‬‬
[17] わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

家から会社に向かう通勤路。教会の礼拝に通う道。見ず知らずの他人にイラっとすることがある。最近はスマホに熱中していて危なくてしかたがない。腹が立つときがある。そんなとき、神様にすいませんと詫びてしまう。神様は表面上でなく、心の中を見ているのだから。そう思うことがキリスト者のあるべき姿だろう。もっといえば、腹が立たない心境に至るのが一番よいのだが。

神様はあなたの心の中を見ている。そのことを忘れずに生きるべきである。それこそがまさに、律法や預言者を廃するためではなく、成就するためにきたということなのである。

2024年1月21日

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