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定年退職による人間関係の変化について

会社員生活が終わってしまうと、いろいろ環境が変わる。一番大きいのは、接触する人が減ることだろう。会社にいるときの自分の関係者は数多くいる。好きな人もいれば嫌いな人もいる。会社にいる限りは好きも嫌いもなく、別け隔てなく付き合わなければならない。付き合うというより、お互いに利害関係者になるということだろうか。とりあえず、良くも悪くも顔を合わせば挨拶くらいする関係がある。いわゆる、仕事上のつきあいということである。

ところが、会社員でなくなってしまうと、その会社での関係が丸ごと失われてしまうことになる。中には、会社にいたときの関係が続く場合もあるが、たいがいは関係が終了してしまう。人に会う機会自体が少なくなってしまう。つまり、定年退職によって、自分の人間関係がいったんリセットされてしまうということである。自分の場合、幸いというか、元から会社に基づいた人間関係が薄いから、さほど影響はない。会社の人間関係がなくなったというだけのことである。ただ、結果として、人間関係の絶対数が減った。人間関係が少なくなったら、困るだろうか。少なくなった分だけ、補充が必要だろうか。住所録や年賀状を頼りに人間関係を再構築する必要があるだろうか。そもそも人間関係とは何か。

親子、家族はさておいて、友人。地域の知り合い。趣味のつながり。そんなところか。これらは多ければ多いほど豊かになると思うが、そう簡単ではない。利害が絡むとかえって面倒なものになる。ただ、少ないと寂しいかもしれない。

ぼくは2年くらい前から、近所の上水の散歩道のごみ拾いをしている。雨の日以外はだいたいやっている。そうすると、顔見知りが増えてくる。朝のあいさつを交わすくらいで始まるが、どこに住んでいるんですか、と聞けば会話が広がる。まあ、だいたい、そこで終わってしまうのだが。この人間関係はとてもよい。相手のこともよく知らないうえに、たいして気を使わないし、それでいて声を交わしあうと何だかうれしくなる。

地域やマンション内の植栽ボランティアの人間関係もある。こちらは少し違う。相手のことがある程度わかっていて、目標のあるつながりだから、結束が固い。といっても、所詮はボランティアで、やりたければやればよく、やりたくなければそれで終わりである。でも、おしゃべりなどは楽しいし、副次的に情報も得られる。嫌ならいつでも離れられる。薄くて淡い、でも楽しい人間関係である。こういう人間関係は心を豊かにしてくれる。

粗い区分けで申し訳ないが、それ以外は、厚い友人関係であろう。向こうが選んでくれて、こっちも選んだ人間関係だから、夫婦にも近い関係だといえる。いっしょに旅行しても苦にならないし、実際には言わないが、言いたいことも言える。たとえば、T君だろう。彼は、もともと、同じ会社だった人で、同じ学年で少年期や育った時期が完全に重なっていて話題が完全に一致する。プロ野球、高校野球、仕事、過去の人間関係も重複していて、話題に事欠かない。また、過去の話題だけでなく、今現在進行している話題も同じ視線で見ているわけで、さらにお互いの状況を知りつくしている関係であり、かなり親兄弟に近い関係である。さらに一方的かもしれないが、ぼくは彼を尊敬している。そういう友人が二人いる。二人が少ないかと聞かれれば、少なくないと回答する。十分なのである。もしかしたら、T君のような友人が一人もいないという人も多いのではないかと思ったりする。どうだろうか。

2024年2月22日


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