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イザヤ6-1~13テサロニケ5-16~24加藤英徳牧師説教

もう12月。今年もあとわずかしか残されていない。この1年。思い返せば、いろいろなできごとがあった。元首相暗殺事件、いつまでたっても終わらないコロナ騒動。何をとっても希望のかけらさえ見いだせない。何ともできず、無能なリーダーシップの岸田内閣に日々怒りを覚えている。

イザヤの時代も同様であった。南ユダと北イスラエルの敵対関係。それを取り巻く武装勢力。それらに当時の南ユダの人々は翻弄され振り回され続けた。数千年前のイザヤの時代とこの混迷の日本とさほど隔たりはない。すべては目の前の状況に目をつぶり、どうにもならないと逃げてしまったことが原因であった。

思えば、千恵を追い込んでしまったのも、自分が目の前の状況に向き合うことをやめてしまったことがすべてである。どうにもならないと知っていて放置してしまった。もし、しっかりと目の前の状況に向き合って一歩を踏み出していれば何とかなっていたかもしれない。だが、その勇気も覚悟も持つことができなかった。腹立たしい。

たとえ、うまく行かなくても。コロナのどうしようもないこの状況も。あきらめてしまわず、少しでも何かが起きるように努力していけば、神が必ず手を差し伸べてくれるはずである。千恵には申し訳ないが、今の自分にならできることがある。もう遅いが、それでもやれることをやれるだけやりたい。必ず、そこに神の愛がもたらされるはずであるのだから。

2022年12月11日

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