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生きる苦しみについて

有名なカトリック系の学校でシスターをしている方から葉書が届いた。2015年の年末に長崎県五島に観光に行った際に知り合って以来のおつきあいであるが、つい最近、わたしがお元気ですかと葉書を送ってから、葉書のやり取りをさせてもらっている。

ちょうど辛いときに受け取ったもので、涙が出るほどうれしかった。葉書には90歳を超えたお父上が入院して落ち込んでいるということが書かれてあった。生きるのは大変なことですとも書かれてあり、わたしが妻を亡くしたことへの労りの言葉も書き添えられていた。

シスターでずっと生きてこられた人で、学校でも教育を担っている、あれほど信仰に生きている人でさえも、生きるのは大変だと思っているのだと驚かされてしまった。生きている以上、どれほどすぐれて、賢い人であっても、必ず試練にさらされることがある。その試練乗り越えれば成長するなどと言い古された陳腐な言葉を言うつもりはない。祈ろうといのらまいと、所詮人は試練にさらされるものなのである。

信仰があれば試練にさらされても平気なのか。そんなことはない。試練にさらされれば誰でも辛い。信仰があろうとなかろうと、それは同じことである。どれほど頭の中に聖書の言葉が蓄積されていても、辛いときは辛いのだ。そんなとき、じっと耐えるしかない。嵐が過ぎ去るのを待つように耐えるしかないのだ。だが、その耐えて耐えているときに、信仰があるかないかは大きな違いなのである。

2024年1月26日

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