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幸福の思い出が哀しみに変わるとき

何も考えていないとき、ふと、昔の記憶がよみがえってくることがある。それも下の茜が生まれる前、麻衣が生まれた後のころだろうか。ぼくが運転して妻の千恵と3人で嵐山のあたりを車で移動している。何でそこにいたのかわからない。とにかく、3人で車に乗っている。幼い麻衣が悲しそうに「おせんべい食べたい。おばあちゃんに会いたい」と泣いている。今はこの世にいない千恵がなだめている。そんな記憶が何度も何度もよみがえってくる。強烈にその場に舞い戻って、ぼくも麻衣をなだめたくなる。そんな記憶などもう28歳の大人になった麻衣にもないだろう。でもぼくは、不思議と覚えていて何度々々も記憶がよみがえる。

ぼくはそのころ、というか、家族4人で暮らした半生、どれほど楽しい時間であっても、常に絶え間なく生きている苦しみにさいなまれていた。何で他の人のように生きれないのか。ずっと苦しんだ。それは今でもそうだし、妻の千恵が生きている間もずっとそうだった。麻衣が生まれたのが95年で茜が生まれたのが98年だから、その記憶は97年ころだろうか。もしかしたら茜が生まれていて98年か99年だったかもしれない。家族にとってとにかく幸せな時期だったのだ。でも、ぼく自身はそうではなかった。片方でとてつもない苦しみを抱えていたから。

あの苦しみがなかったら、どんなによかったか。あのころ、家族といる幸せを満喫できていたら。もう過ぎ去った日々や歳月。そんなものが愛おしくてしかたがない。人生を無駄にした気がする。何ともしようがなかったのだろうか。あの苦しみから逃げ出すことはいくらでもできたかもしれない。でも、そんな勇気はなかったし、おそらく、何もかも捨てて、仕事をやめてしまうことだから、家族を失うことでもあった。到底許されることではなかった。苦しみが常に脳裏にある状態で幸福感を十分に味わえないまま人生の大半が過ぎていった。

そんな人生だから、いくら時間がたっても、ささいな瞬間々々が時々頭の中に浮かんできて、何ともったいないことをしたのだと悲しみに打ちひしがれてしまう。幸福な思い出なのに、思い出せば思い出すほど、悲しい思い出になってしまう。何という人生なのであろうか。

昔の写真はすべて電子ファイルにして保管してある。場所をとるのがいやで、ビデオ類もアルバム類が引っ越しの際に捨てようか迷ったのだが、結局10数万円もかけてすべて電子ファイルにしてしまった。だが、一度もじっくり見直したことがない。前の家では無造作にキッチンにアルバムが置かれてあった。生きている間、千恵はアルバムを開いたのだろうか。アルバムの中は楽しい思い出ばかりだ。悲しい写真などないのだから、楽しい思い出ばかりのはずだ。でも、今は見る気がしない。当分見ることはないだろう。頭に浮かんでくる光景だけでもつらいのに、写真など見れるわけがない。本来、これらは千恵とふたりで楽しんで見るべきものだった。その千恵はこの世にいないのだ。こんなひどい巡り合わせはないのではないか。

2024年2月8日


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