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仏説無量寿経梵文現代語訳

サンスクリット原典の「Sukhāvatīvyūha」の現代語訳

スカーヴァティーヴューハ

1.

オーン、十方の無限無辺の世界に存在する過去、現在、未来のすべての仏、菩薩、聖者、声聞、独覚に拝礼いたします。

阿弥陀仏に拝礼いたします。無量寿仏に拝礼いたします。思いもよらない徳を具えた方に拝礼いたします。

勝利者である阿弥陀仏に敬礼します、おお聖者よ。
あなたの慈悲によって極楽浄土へ往きます。

黄金と多様な森に飾られた極楽浄土へ、
美しく、如来の子供たちによって装飾された地へ。

その名高い智慧ある方の庇護の地へ、
多くの徳と宝で満ちたその地へ往きます。

このように私は聞きました。ある時、世尊はラージャグリハのグリドラクータ山におられました。大勢の比丘僧団と共におられ、その数は3万2千人でした。全員が阿羅漢であり、煩悩の漏れが尽き、煩悩を滅し、正しい智慧と解脱を得て、束縛を断ち切り、自らの目的を達成し、勝利を得た者たちでした。最高の制御力と静寂を得て、完全に解脱し、完全な智慧を持つ偉大な者たちでした。彼らは六神通を持ち、自在に操り、八解脱を修行し、力を得て、智慧を悟った長老たちでした。

その名を挙げると、アーシーガタ・コーンドィンニャ、アシュヴァジット、バースパ、マハーナーマ、バドラジット、ヤショーデーヴァ、ヴィマラ、スバーーフ、プールナ・マイトラーヤニープトラ、ガーヴァンパティ、ウルヴィルヴァーカーシャパ、ナディーカーシャパ、バドラーカーシャパ、クマーラーカーシャパ、マハーカーシャパ、シャーリプトラ、マハーマウドガリヤーナ、マハーカッピナ、マハーチュンダ、アニルッダ、ラーダ、ナンディーケ、キンピラ、スブーフティ、レヴァタ、カディラヴァニカ、ヴァッカラ、スヴァーガタ、アモーガラージャ、パーラーヤニカ、パンタカ、チューラパンタカ、ナンダ、ラーフラと、尊者アーナンダの一人を除いて、上記の如く数多くの智慧を悟った長老たちと、マイトレーヤを先頭にした大勢の菩薩摩訶薩たちがいました。

2.

そのとき、尊者アーナンダは座から立ち上がり、一方の肩を覆うように法衣を整え、右膝を地面につけ、合掌して世尊を礼拝し、このように言った:「世尊よ、あなたの感覚は非常に澄みきっており、お肌の色も清浄で、顔色は輝くような黄金色です。それはまるで秋の森が清らかで、光り輝いているようです。同様に、世尊の感覚は非常に澄みきっており、顔色も清浄で、お肌の色も光り輝いています。

さらに例えるならば、世尊よ、真金の装飾品が、熟練した金細工師によって完全に仕上げられ、真金の火に入れられ、清らかで、光り輝いているようです。同じように、世尊の感覚は非常に澄みきっており、顔色も清浄で、お肌の色も光り輝いています。私はこれまでに、このように澄みきった感覚を持ち、これほどまでに清浄で、光り輝く顔色とお肌の色を持つ如来を見たことがありません。

ですから、世尊よ、私にはこのように思われます:今日、如来は仏の境地におられ、勝者の境地、全知の境地、大いなる聖者の境地におられ、過去・未来・現在の如来たちをすべて見ておられるのだと。」

このように言われて、世尊は尊者アーナンダにこう言った:「よく言った、よく言ったアーナンダよ。では、お前は何故このことを知ったのか?神々がその意味を告げたのか、それとも仏陀たちが告げたのか?あるいは、自らの悟りの知識によってそう理解したのか?」このように言われて、尊者アーナンダは世尊にこう答えた:「世尊よ、神々も仏陀たちもその意味を告げてはいません。では、私自身の悟りの知識によって、このように思いました。今日、如来は仏の境地におられます。勝者の境地、全知の境地、大いなる聖者の境地におられます。過去・未来・現在のすべての仏陀たちを見ておられます。」

このように言われて、世尊は尊者アーナンダにこう言った:「よく言った、よく言ったアーナンダよ。お前の問いは素晴らしいものであり、尊いものであり、多くの人々の利益と幸福のために役立つものである。神々や人々の利益と幸福のために、如来にこの意味を尋ねるべきだと思ったのだな。

 アーナンダよ、まさにその通りである。如来たち、阿羅漢たち、完全なる仏陀たちの無限の智慧と視野は損われることはない。なぜなら、如来の智慧と視野は妨げられることがないからである。アーナンダよ、如来が望むならば、たった一回の施しで一劫、あるいは百劫、千劫、百万劫を過ごすことができる。それでも如来の感覚は損なわれず、顔色は変わらず、肌の色も損なわれることはない。なぜなら、アーナンダよ、如来は三昧と智慧の完成を得ているからである。」

 アーナンダよ、完全なる仏陀の出現は非常に稀である。それはちょうど、うどんげの花の出現がこの世で非常に稀であるように、完全なる仏陀の出現も非常に稀である。完全なる仏陀は、利益を求める者、幸福を求める者、大いなる慈悲を持つ者のために現れるのである。

 さらに、尊者アーナンダよ、これは如来の力によるものであり、お前がすべての世界の教師たち、菩薩たち、大いなる存在たちの利益のために、如来にこの意味を尋ねるべきだと思ったのである。では、アーナンダよ、よく聞け。私はお前に語ろう。」このように言われて、尊者アーナンダは世尊の言葉を聞いた。

3.

世尊は彼にこう言った:「アーナンダよ、過去の計り知れない無数の劫の間、無限で測り知れない、思考を超えた時代に、かつてディーパンカラ(燃燈)という名の如来、阿羅漢、完全なる仏陀が出現した。アーナンダよ、ディーパンカラの後に、最も輝かしいという名の如来が現れた。
その後に、プラバーカラという名の如来が現れた。
その後に、チャンダナガンドという名の如来が現れた。
その後に、スメルカルパという名の如来が現れた。
同様に、チャンダラナナという名の如来、
ビマラナナという名の如来、
アヌパリプタという名の如来、
ビマラプラバという名の如来、
ナーガービブールという名の如来、
スーリヤナナという名の如来、
ギリラージャゴーシャという名の如来、
スメルクートという名の如来、
スバルナプラバという名の如来、
ジョティシュプラバという名の如来、
ヴァイドゥーリャニルバーサという名の如来、
ブラフマゴーシャという名の如来、
チャンダラビブールという名の如来、
スーリヤゴーシャという名の如来、
ムクタクスマプラティマンディタプラバという名の如来、
シークートという名の如来、
サーガラバラブッディヴィクリーダタービジョという名の如来、
ヴァラプラバという名の如来、
マハーガンダラジャニルバーサという名の如来、
ヴャパガタキラマラプラティゴという名の如来、
シュラクートという名の如来、
ラトナジャという名の如来、
マハーグナダラブッディプラタービジョという名の如来、
チャンダラスーリヤジヒミーカラナという名の如来、
ウタプタヴァイドゥーリャニルバーサという名の如来、
チッタダラーブッディサンクスマティターブユダガトという名の如来、
プシュパヴァティヴァナラジャサンクスマティタービジョという名の如来、
プシュパカラという名の如来、
ウダカチャンドロパマという名の如来、
アヴィディヤンダカーラヴィドヴァンサナカラという名の如来、
ロケンドラという名の如来、
ムクタチャトラプラヴァーダサドリショという名の如来、
ティショという名の如来、
ダルマティヴィナンディタラージョという名の如来、
シンハサーガラクートヴィナンディタラージョという名の如来、
サーガラメルチャンドロという名の如来、
ブラフマスヴァラナーダビナンディノという名の如来、
クスマサンバヴォという名の如来、
プラプタセノという名の如来、
チャンダラバーヌという名の如来、
メルクートという名の如来、
チャンドラプラバという名の如来、
ビマラネットロという名の如来、
ギリラージャゴーシャイシュヴァロという名の如来、
クスマプラボという名の如来、
クスマヴリシュティアビプラキルノという名の如来、
ラトナチャトロという名の如来、
パドマヴィティオパショービトという名の如来、
タガラガンドという名の如来、
ラトナニルバーサという名の如来、
ニルミトという名の如来、
マハーヴューホという名の如来、
ヴャパガタキラドショという名の如来、
ブラフマゴーシャという名の如来、
サプタラトナアビヴリシュトという名の如来、
マハーグナダロという名の如来、
タマラパトラチャンダナカルダモという名の如来、
クスマアビジョという名の如来、
アジャナヴィドヴァンサノという名の如来、
ケシャリという名の如来、
ムクタチャトロという名の如来、
スバルナガルボという名の如来、
ヴァイドゥーリャガルボという名の如来、
マハーケトゥという名の如来、
ダルマケトゥという名の如来、
ラトナシリという名の如来、
ナレンドロという名の如来、
ロケンドロという名の如来、
カルニコという名の如来、
ロカスンドロという名の如来、
ブラフマケトゥという名の如来、
ダルマティという名の如来、
シンホという名の如来、
シンハマティという名の如来、
シンハマテリという名の如来、
アーナンダよ、その後にロケシュヴァララージャ(世自在王)という名の如来、阿羅漢、完全なる仏陀が現れた。彼は智慧と行を完備し、善逝、世界の知者、無上の者、人々の導師、天と人の師、仏陀、世尊であった。」

「アーナンダよ、そのロケシュヴァララージャ如来、阿羅漢、完全なる仏陀の教えの中に、ダルマカラという名の比丘がいた。彼は非常に記憶力があり、進んでおり、智慧があり、非常に精進しており、偉大な決意を持っていた。」

4.

するとアーナンダよ、そのダルマカラ比丘は座から立ち上がり、一方の肩を覆うように法衣を整え、右膝を地面につけて、世尊ロケシュヴァララージャ如来の前に合掌し、礼拝し、このようにガーサを唱えて讃えた。

1. アミタプラバ、無限の智慧を持つ仏陀、ここには他の光は輝かない。
 太陽や月の光も、その輝きはすべての世界を照らさない。

2. その形は無限で、存在の精髄であり、仏陀の声は無限の響きを持つ。
 戒律、禅定、智慧、精進においても、世にはそれに匹敵する者はいない。

3. 深遠で広大な微細な法を得ること、
 仏陀の如く考えられない広大な海のような存在。
 その教えに従うことで、煩悩の障害を捨て、彼岸に到達する。

4. 仏陀の如く無限の光を放ち、全方位を照らす王の如く、
 仏となり法の主として、生きとし生ける者を老死から解放せん。

5. 布施、戒律、忍辱、精進、禅定、智慧において最上の誓願を立て、
 これらを実践し、仏となり、すべての生きとし生ける者を救う。

6. 無数の仏陀、まるでガンジス川の砂の数の如く、
 すべての尊者を礼拝し、最高の覚りを求めん。

7. ガンジス川の砂のような世界で、無限の仏国土において、
 すべての光を放ち、そのような精進を始めん。

8. 私の仏国土は最高であり、美しい荘厳を持つ。
 無比の涅槃の世界の幸福、それを清めん。

9. 十方の生きとし生ける者が集まり、その地で速やかに幸福を得る。
 仏陀がその証人となり、無限の精進と力を示さん。

10. 十方の世界を知り尽くす者、無限の智慧を持つ者が常に私の心を理解するように。
  私は常にこの誓願に基づき、決して退かない。

5.

するとアーナンダよ、そのダルマカラ比丘は世尊ロケシュヴァララージャ如来の前に立ち、このようにガーサを唱えて讃えた後、こう言った:「世尊よ、私は無上正等覚を成就したいと願っています。何度も何度も無上正等覚の心を起こし、それを誓願として成就しようとしています。世尊よ、どうか私が速やかに無上正等覚を成就できるよう、その教えを説いてください。私は世界で無双の如来となりたいのです。また、私が仏国土の徳の荘厳を完備するために必要な方法を教えてください。」

このように言われて、世尊ロケシュヴァララージャ如来はその比丘にこう言った:「それならば、比丘よ、自ら仏国土の徳の荘厳を完備しなさい。」比丘は答えた:「世尊よ、私はその力がありません。どうか他の如来たちの仏国土の徳の荘厳をお話しください。それを聞いて、私たちはすべての方法を完備することができるでしょう。」

すると、アーナンダよ、ロケシュヴァララージャ如来、阿羅漢、完全なる仏陀はその比丘の意図を知り、無数の仏国土の徳の荘厳を完備するための方法を、無限の仏陀たちの教えを通して、すべての形と詳細を明示し、慈悲の心を持ち、仏の眼を損なうことなく、生きとし生ける者への大いなる慈悲を起こさせるために、教えを説いた。そして、世尊の寿命は完全に40劫を超えるものであった。

6.

その時、アーナンダよ、そのダルマカラ比丘は、無数の八十億仏の仏国土の徳の荘厳を一つの仏国土に取り入れ、世尊ロケシュヴァラ如来の足に頭を下げて礼拝し、右回りに三回巡礼した後、世尊の元を離れた。そしてさらに五劫の間、仏国土の徳の荘厳を取り入れ、非常に高尚で卓越したものを、十方世界のどこにも見られないものを取り入れ、偉大な誓願を立てた。

7.

このようにして、アーナンダよ、世尊ロケシュヴァララージャ如来が述べた八十億仏国土の徳の荘厳を取り入れた後、さらに高尚で卓越し、計り知れない仏国土の徳の荘厳を取り入れて、その如来の元に近づき、世尊の足に頭を下げて礼拝し、こう言った:「世尊よ、私は仏国土の徳の荘厳を取り入れました。」このように言った後、アーナンダよ、ロケシュヴァララージャ如来はその比丘にこう言った:「では、比丘よ、話しなさい。如来はそれを喜んで認める。今こそがその時だ、比丘よ。会衆を喜ばせ、歓喜を生じさせ、獅子吼をせよ。それを聞いて、菩薩大士たちは今も未来もそのような仏国土の徳の荘厳を誓願として取り入れるであろう。」

すると、アーナンダよ、その時、ダルマカラ比丘は世尊にこう言った:「では、世尊よ、私の誓願の詳細を聞いてください。私が無上正等覚を成就する時、その仏国土は思いもよらない徳の荘厳を備えたものとなるでしょう。」

8.

1. 世尊よ、もし私の仏国土に地獄、畜生道、餓鬼道、阿修羅道に堕ちる者がいるならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

2. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が再び地獄、畜生道、餓鬼道、阿修羅道に堕ちるならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

3. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員同じ色でないならば、すなわち黄金色でないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

4. 世尊よ、もし私の仏国土において、天人と人間の区別が名と表示の上だけであり、天人と人間という区別がないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

5. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、奇跡の力と究極のパラミタを得ておらず、一心一意で無数の仏国土を超えることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

6. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、前世の記憶を持たず、無数の劫の記憶を持たないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

7. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、神の目を持たず、無数の世界を見ることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

8. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、神の耳を持たず、無数の仏国土で同時に正法を聞くことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

9. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、他者の心を知る知識を持たず、無数の仏国土の生きとし生ける者の心の性質を理解できないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

10. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者が全員、所有の観念を持ち、自分の身体すらも所有するという観念を持つならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

11. 世尊よ、もし私の仏国土に生まれた者がすべて正しい道に進み、最終的に大涅槃に至ることがないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

12. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた者が、声聞の集団に加わることがあるならば、あるいは三千大千世界に満ちるほどの生きとし生ける者が独覚仏となり、無数の劫にわたって計算しても、私は無上正等覚を成就いたしません。

13. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土の光が、少なくとも無数の仏国土を照らすことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

14. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた者の寿命が、私の誓願によるものでなければ、私は無上正等覚を成就いたしません。

15. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の寿命が無数の劫を超えた計り知れないものでなければ、私は無上正等覚を成就いたしません。

16. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に悪しき名前さえも存在するならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

17. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の仏国土で無数の仏たちが私の名前を称えず、私の功徳を説かないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

18. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、他の世界で無上正等覚を志す者が、私の名前を聞いて清浄な心を持ち、私を思い出し、死の時に私が比丘僧の集団と共に彼らの前に現れないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

19. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の仏国土で私の名前を聞いて心を向け、徳の根を積んでその仏国土に生まれようとする者が、十度の心の転換のうちにその仏国土に生まれないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。ただし、五逆罪を犯した者と正法を否定した者を除きます。

20. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、三十二の大人相を持たないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

21. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた者が、一度も無上正等覚の道に進まず、特別な誓願を持たず、全世界の利益のために尽くすことを誓わないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

22. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、一度も他の仏国土に行き、無数の仏を礼拝し、仏の力によってあらゆる幸福を得ることがないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

23. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、金や銀、宝石などのすべての宝物や花、香、衣、旗などを供養として捧げることを望むならば、それが心に起こることがないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

24. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた者が、すべて全知の教えを説かないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

25. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、他の仏国土で無数の仏を礼拝し供養しないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

26. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、強固な身体と力を持たないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

27. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土において、誰かが色の違いを認識し、仏国土の荘厳を感じ取れないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

28. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた菩薩が、高さ百六十由旬の菩提樹を認識できないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

29. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土において、誰かが教えを学び、読誦しようとするとき、すべての知識を得ることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

30. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土が明るく輝き、無数の仏国土がすべての方向で見ることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

31. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土において、毎日すべての宝石でできた香炉が無数の芳香を放ち、如来や菩薩への供養が行われないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

32. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土において、常に美しい音楽が奏でられ、芳香の花が降り注がれないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

33. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の世界で恐れを知らず、無限の幸せを持つ生きとし生ける者が存在しないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

34. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の仏国土で私の名前を聞き、その聞くことによって徳の根を積み、智慧を得ることがないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

35. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の仏国土で私の名前を聞き、清浄な心を持ち、菩提心を起こし、女性の身であることを嫌がり、再び女性に生まれ変わることがないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

36. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、無数の仏国土において私の名前を聞き、五体投地の礼をもって礼拝し、菩薩行を実践する者が、天人と人々によって礼拝されないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

37. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、仏国土において菩薩が衣を洗い、乾かし、縫い、染める必要があるならば、彼らが常に新しい清浄な衣を得ることができず、如来の指示を受けることなく、自分自身を清浄に保つことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

38. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の仏国土に生まれた者が、第三禅定に入った煩悩のない阿羅漢の比丘が得るような幸福を得ることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

39. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、仏国土に生まれた菩薩が望む仏国土の荘厳を、無数の宝樹から得ることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

40. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の名前を聞いた他の仏国土の菩薩が、感覚の力を失うならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

41. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、他の仏国土にいる菩薩が私の名前を聞いて、完全な正覚を得るための瞑想に入ることができず、その瞑想が中断されるならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

42. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、私の名前を聞いて徳の根を積んだ者が、菩提座に至るまで高貴な家に生まれ変わることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

43. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、他の仏国土にいる者が私の名前を聞いて徳の根を積み、菩薩行を喜び楽しむことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

44. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、他の世界の菩薩が私の名前を聞いて、完全な正覚を得るための瞑想に入ることができず、その瞑想が中断されるならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

45. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、仏国土に生まれた菩薩が、望む法の教えを聞くことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

46. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、他の仏国土の菩薩が私の名前を聞いて、無上正等覚に進むことができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

47. 世尊よ、もし私が無上正等覚を成就したとき、仏国土に生まれた菩薩が私の名前を聞いて、最初、第二、第三の忍耐を得ることができず、仏法に対して不退転の状態に達することができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

9.

その時、アーナンダよ、そのダルマカラ比丘は、このような誓願を述べた後、仏の加持により次のようにガーサを唱えた:

1. もし私がこのような特別な誓願を成就できないならば、私が無上正等覚を成就した時、比類のない慈悲と智慧を持つ者、十力を持つ者となることはありません。

2. もし私の仏国土が、このような素晴らしい、豊富で美しいものでないならば、私が無上正等覚を成就した時、地獄の苦しみを受けることなく、すべての人々を導く王となることはありません。

3. もし私が菩提座に到達した時、私の名前が十方に広まり、無限の仏国土に遍く知られることがないならば、私は力強い世界の主となることはありません。

4. もし私が欲望の喜びにとらわれ、記憶と智慧を失うことがないならば、比類ない幸福と同じように菩提を成就することはありません。

5. 広大で比類ない無限の光を持つ者が、十方のすべての仏国土に光を放ち、すべての煩悩と無知を消し去り、地獄の火を消し去ることができないならば、私は力強い世界の主となることはありません。

6. 美しく広大な目を持ち、すべての人々の暗闇を取り除き、すべての盲目の者を救い、天界の道に導くことができないならば、私は力強い世界の主となることはありません。

7. 太陽や月の光、宝石や火の光、天界の光を超える輝きを持つことができないならば、私は清浄な行いを持つ前世の王となることはありません。

8. 苦しむ者を救う宝のような存在であり、十方にそのような存在がいないならば、私は菩薩のように完全な行いを持つことはありません。

9. 前世の仏たちが自らを称え、無数の誓願を立て、最高の智慧の集積を得て、誓願の力を完全に備えた者であることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

10. 比類ない智慧と洞察を持つ者が、三つの智慧を知り、自らを最高の指導者として称えることができないならば、私は無上正等覚を成就いたしません。

11. もし私が無上正等覚を成就した時、このような誓願が成就しないならば、千の世界が揺れ動き、花が降り注ぎ、天界の集団が歓喜することはありません。

12. 大地が揺れ動き、花が降り注ぎ、天界の楽器が天空で奏でられ、美しい香木の粉が降り注ぐことはなく、この世に仏が現れることはありません。

10.

その時、アーナンダよ、そのダルマカラ比丘は、このような誓願を立てた菩薩、偉大なる菩薩であった。このような誓願を立てた菩薩は少ない。少数の菩薩がこのような誓願を立てて、世界に現れることは稀であり、全く現れないこともある。

その時、アーナンダよ、ダルマカラ比丘は世尊ロケシュヴァララージャ如来の前で、天、人、阿修羅を含むすべての生きとし生ける者の前で、このような誓願を述べ、その誓いを成し遂げることを約束した。彼はこのような清浄な仏国土の偉大さ、広大さを確立し、菩薩行を実践し、無数の計り知れない、比類ない無限の劫にわたって、欲望、悪意、害意の思いを起こすことなく、また、それらの感覚を生じることもなかった。

彼は若く、美しく、快適な生活を送り、喜びを持ち、簡素で満足し、静かで穏やかであり、邪悪でもなく、愚かでもなく、曲がってもいない、欺きもせず、純粋で、優しく、魅力的で、いつも清浄な法を求め、すべての生きとし生ける者の利益のために偉大な誓願を立て、仏法僧に敬意を払い、常に菩薩行を実践し、正直で、柔和で、誠実で、慎み深く、美徳を持ち、他の者を導く存在であった。彼は空、無相、無作の修行を行い、菩薩行を実践し、言葉と行いで自他を傷つけることなく、他者に幸福をもたらす言葉と行いを実践した。

彼が町や村、都市、国、王国に入るとき、形、音、香り、味、触覚に引きずられることはなかった。彼は自由に菩薩行を実践し、自ら布施波羅蜜を行い、他者にもそれを教え、自ら戒、忍辱、精進、禅定、智慧の波羅蜜を行い、他者にもそれを教え、そのような善根を集め、彼がどこに生まれても、そこには無数の宝が現れた。

彼が菩薩行を実践することで、無数の生きとし生ける者が無上正等覚に立ち、言葉では表現しきれないほど多くの仏が礼拝され、尊敬され、供養され、すべての幸福と触覚の楽しみを与えられ、無数の生きとし生ける者が王侯貴族として生まれ、その中には表現しきれないほど多くの者がいた。彼は統治者として、世界の守護者として、帝王として、天界の王として、最高の存在として生まれ、無数の仏が礼拝され、尊敬され、供養され、法輪を転じるために加持され、その中には表現しきれないほど多くの者がいた。

彼はこのような善行を積み、菩薩行を実践し、無数の劫にわたって、優れた香りを放ち、全身から蓮の香りを放ち、全世界で美しく、魅力的で、最高の美を備えた姿であった。彼の身体はすべての宝で飾られ、すべての衣服で包まれ、すべての花や香、幡、旗で装飾され、すべての音楽が奏でられ、すべての食べ物や飲み物が彼の手のひらから現れ、すべての楽しみが与えられた。彼はこのようにして、すべての装飾の力を得て、菩薩行を実践した。

11.

このように言われて、尊者アーナンダは世尊にこう言いました:「世尊よ、そのダルマカラ菩薩、大菩薩は、無上正等覚を成就して入滅したのでしょうか?それとも、まだ成就していないのでしょうか?あるいは、今まさに成就しているのでしょうか?現在、生きていて、教えを説いているのでしょうか?」世尊は答えました:「アーナンダよ、その如来は過去のものでもなく、未来のものでもない。しかし、この如来は無上正等覚を成就して、現在生きていて、教えを説いている。西方の無数の仏国土の中にある極楽世界、そこに阿弥陀という名の如来、阿羅漢、完全なる仏陀がいる。無数の菩薩たちに囲まれ、無数の声聞たちに囲まれ、無限の仏国土の荘厳を備えている。」

12.

その光は無限であり、その範囲や終わりを測ることはできません。これほどの仏国土、これほどの仏国土の百、これほどの仏国土の千、これほどの仏国土の百千、これほどの仏国土の億、これほどの仏国土の百億、これほどの仏国土の千億、これほどの仏国土の百千億、これほどの仏国土の数千万の百千億が、その光に照らされています。

アーナンダよ、要約すると、東方の無数の仏国土の数はガンジス川の砂の数のようであり、それらの仏国土の無数の百千億が、その阿弥陀仏如来の光によって常に照らされています。同様に、南方、西方、北方、上方、下方、斜めの方向においても、それぞれの方向の無数の仏国土の数はガンジス川の砂の数のようであり、それらの無数の百千億の仏国土が、その阿弥陀仏如来の光によって常に照らされています。仏たちが過去の誓願によって光の範囲が異なり、一、二、三、四、五、十、二十、三十、四十、百、千、万、百千万の光の範囲を持ち、それが世界に広がっています。

アーナンダよ、その阿弥陀仏如来の光を測るための比較対象はなく、その光の範囲を知ることはできません。そのため、阿弥陀仏如来は無限の光を持つ者、無限の輝きを持つ者、比類ない輝きを持つ者、妨げられない輝きを持つ者、常に放たれる輝きを持つ者、神聖な宝石の輝きを持つ者、無限の輝きを持つ者、天界の光を持つ者、魅力的な輝きを持つ者、愛される輝きを持つ者、喜びをもたらす輝きを持つ者、歓喜をもたらす輝きを持つ者、見上げられる輝きを持つ者、心を捉える輝きを持つ者、考えられない輝きを持つ者、比類ない輝きを持つ者、王や天の王を超える輝きを持つ者、太陽や月の輝きを超える輝きを持つ者、世界の守護者や天の王、ブラフマー、大自在天を超える輝きを持つ者、すべての輝きを超える者と呼ばれます。

その光は清浄で広大であり、身体に幸福をもたらし、心を高揚させ、天人、阿修羅、ナーガ、ヤクシャ、ガンダルヴァ、ガルーダ、大蛇、キンナラ、人間、非人間に喜びと幸福をもたらし、善き心を持つ者には軽やかで智慧ある喜びをもたらし、無限の仏国土においても同様です。

アーナンダよ、このようにして如来は無数の劫の間、その阿弥陀仏如来の名とその光の力について語ることができますが、その光の終わりを知ることはできません。また、その知識が尽きることもありません。なぜなら、アーナンダよ、その阿弥陀仏如来の光の徳と如来の無上の智慧の輝きは無限であり、計り知れないからです。

13

アーナンダよ、その阿弥陀仏如来の声聞の僧団は計り知れないほど多く、その数を測ることはできません。これほどの声聞の数、これほどの声聞の百、これほどの声聞の千、これほどの声聞の百千、これほどの声聞の億、これほどの声聞の百億、これほどの声聞の千億、これほどの声聞の百千億がいます。これほどの小石、これほどのナッツ、これほどの十万、これほどの百万、これほどのアクショビャ(動かされない者)、これほどの広大な河、これほどの聴衆、これほどの妻、これほどの計り知れない数、これほどの無数、これほどの計算不可能な数、これほどの比類ない数、これほどの思考を超えた数がいます。

アーナンダよ、比丘マウドガリヤーナが神通力を得て、三千大千世界の中にある星の数を一晩で数えることができたとしましょう。それほどの神通力を持つ者の数が無数の百千億であり、その者たちが阿弥陀仏如来の最初の声聞の集会を数えると、その数は無数の百千億年にわたっても、百の部分さえ数えることができず、千の部分さえ数えることができず、百千の部分さえ数えることができず、ほんの一部さえも数えることができません。

アーナンダよ、例えば大海の中に八万四千ヨージャナの幅を持つ無限の広がりがあり、ある人が百に分けた髪の毛の先で一滴の水をすくい上げたとしましょう。どう思いますか、アーナンダよ、大海の中のどちらが多いでしょうか、百に分けた髪の毛の先で取られた一滴の水と、大海に残された水のどちらが多いでしょうか。」アーナンダは答えました:「世尊よ、大海の中の一千ヨージャナでさえ小さいものです。百に分けた髪の毛の先で取られた一滴の水は言うまでもなく少ないものです。」

世尊は答えました:「その一滴の水がどれほど少ないかのように、マウドガリヤーナのような比丘たちが数えると、その最初の集会の数は無数の百千億年にわたっても計り知れません。第二、第三の集会の数は言うまでもありません。このように、その阿弥陀仏如来の声聞の僧団は無限であり、計り知れない数です。」

14.

アーナンダよ、その阿弥陀仏如来の寿命は計り知れず、その範囲を測ることはできません。これほどの劫、これほどの劫の百、これほどの劫の千、これほどの劫の百千、これほどの劫の億、これほどの劫の百億、これほどの劫の千億、これほどの劫の百千億、これほどの劫の数千万の百千億があります。そのため、アーナンダよ、その如来の寿命は無限であり、終わりがありません。そのため、彼は「阿弥陀如来」(無限の寿命を持つ者)と呼ばれます。

アーナンダよ、この世界における劫の数や劫の計算があるように、その阿弥陀仏如来が無上正等覚を成就してから、すでに十劫が経過しています。

15

アーナンダよ、その阿弥陀仏の世界は「極楽」と呼ばれ、豊かで、繁栄し、安穏で、食物が豊富で、美しく、天人と人間が多く住んでいます。その世界には地獄がなく、畜生道もなく、餓鬼道もなく、阿修羅の身体もなく、盲目に生まれることもありません。また、この世には存在しない宝物が、極楽世界にはあります。

16

アーナンダよ、その極楽世界は様々な香りが漂い、様々な花や果実に満ち、宝樹で飾られ、如来が作り出した美しい声の様々な鳥の群れが楽しませています。

アーナンダよ、その宝樹は様々な色で、多くの色、数百、数千の色があります。その中には金色のものや金でできたもの、銀色のものや銀でできたもの、瑠璃色のものや瑠璃でできたもの、水晶色のものや水晶でできたもの、マニカ色のものやマニカでできたもの、紅玉色のものや紅玉でできたもの、真珠色のものや真珠でできたものがあります。

いくつかの宝樹は金と銀の両方でできており、他のいくつかは金、銀、瑠璃の三つの宝でできており、さらに他のものは金、銀、瑠璃、水晶の四つの宝でできています。また、金、銀、瑠璃、水晶、マニカの五つの宝でできたものもあり、金、銀、瑠璃、水晶、マニカ、紅玉の六つの宝でできたものもあります。さらに、金、銀、瑠璃、水晶、マニカ、紅玉、真珠の七つの宝でできたものもあります。

アーナンダよ、金でできた木には金でできた根、幹、枝、葉、花、果実があり、銀でできた木には銀でできた根、幹、枝、葉、花、果実があります。瑠璃でできた木には瑠璃でできた根、幹、枝、葉、花、果実があり、水晶でできた木には水晶でできた根、幹、枝、葉、花、果実があります。マニカでできた木にはマニカでできた根、幹、枝、葉、花、果実があり、紅玉でできた木には紅玉でできた根、幹、枝、葉、花、果実があります。真珠でできた木には真珠でできた根、幹、枝、葉、花、果実があります。

アーナンダよ、一部の木には金の根があり、銀の幹、瑠璃の枝、水晶の葉、マニカの花、紅玉の果実があります。別の木には銀の根があり、瑠璃の幹、水晶の枝、マニカの葉、紅玉の花、真珠の果実があります。さらに他の木には瑠璃の根があり、水晶の幹、マニカの枝、紅玉の葉、真珠の花、金の果実があります。水晶の根があり、マニカの幹、紅玉の枝、真珠の葉、金の花、銀の果実がある木もあります。また、マニカの根があり、紅玉の幹、真珠の枝、金の葉、銀の花、瑠璃の果実がある木もあります。紅玉の根があり、真珠の幹、金の枝、銀の葉、瑠璃の花、マニカの果実がある木もあります。真珠の根があり、金の幹、銀の枝、瑠璃の葉、マニカの花、紅玉の果実がある木もあります。七宝でできた根、幹、枝、葉、花、果実がある木もあります。

アーナンダよ、これらすべての木の根、幹、枝、葉、花、果実は柔らかく、触れると快適で香りが良いです。風に吹かれると、心地よい美しい音が響きます。耳に心地よく、邪魔になりません。

このように、七宝でできた木々がその仏国土を覆い尽くし、その周囲には七宝でできたカダリの茎や宝のヤシの列が並び、すべて金の網で覆われ、七宝でできた蓮華で満たされています。そこには半ヨージャナの大きさの蓮華があり、一ヨージャナの大きさの蓮華があり、二、三、四、五ヨージャナの大きさの蓮華があり、十ヨージャナの大きさの蓮華もあります。

すべての宝蓮華からは三十六億の光線が放たれ、すべての光線からは三十六億の仏が出現し、金色の身体で三十二の大人相を備えた仏たちが、東方の無数の計り知れない世界に行き、衆生に法を説きます。

同様に、南、西、北、上、下、斜めの方向においても、無数の計り知れない世界に行き、衆生に法を説きます。

17

アーナンダよ、その仏国土にはいかなる時もカルパ山はなく、すべて宝の山です。すべて須弥山の王であり、すべてチャクラヴァールやマハーチャクラヴァールの山の王であり、大海もありません。その仏国土は四方八方にわたって平らで美しく、手のひらに載るような様々な宝で覆われた地面です。

このように述べられて、尊者アーナンダは世尊にこう尋ねました:「世尊よ、そのような四天王の住む山の神々や、須弥山の側に住む三十三天の神々は、どこに住んでいるのでしょうか?」世尊は答えました:「アーナンダよ、どう思いますか?この世の須弥山の頂に住む天の神々、ややま天、兜率天、自作天、他化自在天、梵天の神々、大梵天の神々、阿那摩天、光音天、遍照天、無量寿天、阿鼻地獄天の神々は、どこに住んでいるのでしょうか?」アーナンダは答えました:「世尊よ、行為の結果と行為の影響は計り知れないものです。」世尊は答えました:「アーナンダよ、あなたは行為の結果と行為の影響が計り知れないことを理解しています。しかし、仏の加持は計り知れません。善業を積んだ者や善根を植えた者の徳は計り知れないのです。」アーナンダは答えました:「世尊よ、私はこれについて何の疑いも、迷いも、疑念もありません。しかし、私は未来の衆生のために疑いを取り除くためにこの質問をしました。」世尊は答えました:「アーナンダよ、それは正しい行いです。」

18

アーナンダよ、その極楽世界には様々な種類の川が流れています。そこには広大な川があり、その幅はヨージャナの広がりです。中には20、30、40、50、さらには数百、数千のヨージャナの幅を持つ川もあります。それらの川はすべて快適な流れであり、様々な香りのする水が流れ、宝石の混じった花が集まり、様々な美しい音を立てて流れています。それらの川の美しい音は、神々の音楽と調和し、心地よく流れます。その音は深く、聞き取ることができ、理解しやすく、耳に快いもので、心を和ませ、愛らしく、美しい音で、邪魔にならず、耳に心地よいものであり、聞く者の耳に優しく届きます。

アーナンダよ、その大河の両岸には様々な香りの木々が連なり、そこから様々な枝や花房が垂れ下がっています。川岸にいる生きとし生ける者が、神々の遊びを楽しみたいと思うなら、その川に入ると、その願いに応じて水が足首まで、膝まで、腰まで、胸まで、首までの深さになります。また、そこで神々の楽しみが現れます。生きとし生ける者が冷たい水を望むなら、その水は冷たくなり、温かい水を望むなら、その水は温かくなります。また、冷たくも温かくもない水を望むなら、その水はちょうどよい温度になります。

その大河は神聖なタマラの葉、アガルの木、カラヌサリタの木、ガルの木の香りが漂う水で満たされ、流れます。神聖な蓮華や睡蓮、クムダ、プンダリーカ、スゴンダリカなどの花で覆われ、美しい音を立てる鳥たちが群れ、如来が作り出した鳥たちがその砂浜を楽しんでいます。金や銀の砂で覆われ、綺麗な水辺が広がっています。生きとし生ける者が「このような願いが満たされますように」と願うと、その願いはそこで叶います。アーナンダよ、その水の音は美しく響き、その音で仏国土全体が知らされます。川岸にいる生きとし生ける者が「この音を聞きたくない」と願うなら、その神聖な音は耳に届きません。また、特定の音を聞きたいと願うなら、その願い通りの美しい音を聞くことができます。たとえば、仏の音、法の音、僧の音、波羅蜜の音、地の音、力の音、無畏の音、独自の仏法の音、知識の音、認識の音、空性、無相、無作の音、非生非滅の音、静寂の音、大慈悲の音、無生法忍の音などです。それらの音を聞くと、崇高な喜びと歓喜を得ることができ、心の平穏と解脱、法の成就と悟りの善根が伴います。

アーナンダよ、極楽世界には不善の音がなく、障害の音がなく、悪趣や地獄の音がなく、苦しみの音がなく、苦も楽もない感覚の音すらありません。ましてや、苦しみや苦しみの音があるわけがありません。

このように、アーナンダよ、その世界は「極楽」と呼ばれるのです。要約すればこうですが、詳細に述べることはできません。劫が尽きるまで極楽世界の幸福の原因を述べても、そのすべてを尽くすことはできません。

19

アーナンダよ、その極楽世界に生まれた、または生まれるであろう生きとし生ける者たちは、すべてこのように美しい姿、力、体力、身長、権威、福徳、知恵、衣服や装飾品、庭園や宮殿、楽しい触覚、嗅覚、味覚、触覚などの快楽を享受し、すべての物質的な享受を得ています。たとえば、他化自在天の神々のように。

さらにアーナンダよ、極楽世界の生きとし生ける者たちは粗雑な食物を摂ることはありません。むしろ、望む食物をそのまま受け取り、身体も心も満たされます。彼らは再び食物を摂る必要はありません。身体が満たされると、そのような香りの種類を望むと、その神聖な香りでその仏国土全体が満たされます。その香りを嗅ぎたくない者には、その香りは全く感じられません。同様に、望む花や香り、塗り物、粉、衣服、傘、旗、楽器を望む者には、その仏国土全体がそのようなもので満たされます。

彼らが望む衣服は、様々な色、多くの色、数百、数千の色で、そのような宝の衣服で仏国土全体が満たされます。自分自身をそのような衣服で覆われていると感じます。

彼らが望む装飾品、たとえば頭の装飾、耳の装飾、首や手、足の装飾、冠、イヤリング、腕輪、腕飾り、ネックレス、指輪、金の鎖、帯、金の網、宝石のブレスレットなど、そのような装飾品で仏国土全体が輝きます。それらの装飾品で自分自身を飾られていると感じます。

彼らが望む宮殿は、その色や形、大きさに至るまで、様々な宝石で飾られ、数百、数千の装飾で飾られ、様々な神聖な布で覆われ、美しい座布団で覆われた宝石のベッドが置かれています。そのような宮殿が彼らの前に現れます。彼らはその心で現れた宮殿の中で、七千の天女たちに囲まれ、楽しみ、遊び、歓び、仕えられます。

20

アーナンダよ、その極楽世界では、神々と人間の違いはなく、ただ社会的な役割として神々と人間が区別されるだけです。たとえば、転輪聖王の前では、人間の中でも力のない者や凡人は目立たず、輝かず、優れた者とは見なされず、堂々としていません。同様に、他化自在天の神々の前では、帝釈天は輝かず、目立たず、優れた者とは見なされず、その存在感を発揮しません。たとえば、庭園や宮殿、衣服や装飾品、権威や富、奇跡の力、栄光によってです。しかし、法の理解や法の享受によるものではありません。

アーナンダよ、他化自在天の神々と同様に、極楽世界の人々もそのように見なされます。

21

アーナンダよ、その極楽世界では、朝の時間になると、四方八方から風が吹きます。その風は宝樹を揺らし、美しい色や香りを持つ様々な花を散らし、地面にたくさんの美しい香りのする花を落とします。その花々で、その仏国土は七人分の高さまで美しく飾られます。それはまるで、熟練した人が地面に美しい花の敷物を敷き、両手で美しく配置したかのようです。その仏国土は、様々な香りと色の花々で七人分の高さまで見事に飾られます。その花々は柔らかく、心地よい触感で、足を置くと四指分へこみ、足を持ち上げると四指分戻ります。朝の時間が終わると、それらの花々はすべて消え去ります。

すると、その仏国土は清浄で美しく、先ほどの花々に邪魔されることなく、美しいままになります。その後、再び四方八方から風が吹き、新しい花々を散らします。このように、朝、昼、午後、夕方、夜の初め、中頃、終わりの時間に、それぞれ風が吹いて新しい花々を散らします。その風に吹かれ、様々な香りに包まれた生きとし生ける者たちは、その風に触れると、涅槃に入った僧侶のように、至福に満たされます。

22

アーナンダよ、その仏国土には、火、月、太陽、惑星、星の形や、暗闇の名前さえも存在しません。昼と夜の区別もなく、ただ如来の行動によってのみ区別されます。また、家の所有という概念も全く存在しません。

23

アーナンダよ、その極楽世界では、神聖な香りの水を含む雲が雨を降らせます。
神聖な全ての色の花々、
神聖な七宝、
神聖なサンダルウッドの粉、
神聖な傘や旗が雨のように降ります。
神聖な宮殿、
神聖な天蓋が支えられ、
神聖な宝の傘と羽扇が空中に支えられます。
神聖な楽器が演奏され、
神聖な天女たちが踊ります。

24

アーナンダよ、その仏国土に生まれた、または生まれるであろうすべての生きとし生ける者たちは、悟りに至るまでの間、正しい道に確定しているのです。なぜなら、そこには間違った道や不確かな道というものが存在しないからです。このようにして、その仏国土は「極楽」と呼ばれるのです。これは要約したものですが、詳細に述べることはできません。アーナンダよ、たとえ劫が尽きるまで極楽世界の幸福の原因を語り続けても、それらの幸福の原因を完全に述べ尽くすことはできません。

25

そのとき、世尊はその場で次の詩を詠みました:

  すべての生きとし生ける者は仏となり、
  清浄な智慧を持ち、最高の真理に通じる者となる。
  彼らは劫の数を超えても、
  極楽の美しさを輝かせ続けるであろう。(1)

  劫の数が尽きようとも、
  極楽の美しさには終わりがない。
  彼らの輝きは尽きることなく、
  美しい光を放ち続けるであろう。(2)

  もし誰かが世界の塵のように小さな世界を切り裂き、砕いて
  さらに多くの世界を宝で満たして布施をしても、
  その功徳は、
  極楽世界の名前を聞いただけで得られる功徳に及ばない。(3)

  それほどの功徳を持つ者は多いであろう、
  仏の教えに対する信仰を持つ者たちである。
  信仰は世界を得るための根本であり、
  それゆえ、聞いた後は疑いを捨てるべきである。(4)

このように、アーナンダよ、極楽世界は計り知れない美徳を持つものである。

26

アーナンダよ、その阿弥陀如来の仏国土において、十方のそれぞれの方向にガンジス川の砂粒のように多くの仏国土があり、その中にはガンジス川の砂粒のように多くの仏たちが阿弥陀如来の名前を称賛し、その徳を語り、その栄光を広め、その功徳を讃えています。なぜなら、阿弥陀如来の名前を聞いた生きとし生ける者が、その名前を聞き、たとえ一瞬の心の発動であっても、信仰とともに心からの敬意を持つ者はすべて、無上の正覚に向かう道に決して退転しないからです。

27

アーナンダよ、どのような生きとし生ける者も、その如来を何度も思念し、多くの限りない善根を植え、悟りのために心を回向し、その仏国土に生まれることを願うならば、その者たちが死の時が来たとき、阿弥陀如来は多くの僧侶の集団に囲まれて現れ、その者たちの前に立つであろう。そして、彼らはその如来を見て心からの喜びを得て、そのまま極楽の仏国土に生まれ変わるであろう。アーナンダよ、もし男子や女子が「私はこの現世において、阿弥陀如来を見たい」と願うならば、その者は無上の正覚に向かって心を発し、強い意志と継続的な努力を持ってその仏国土に生まれることを願い、そのために善根を回向すべきである。

28

その如来をもう思念せず、多くの限りない善根を絶えず植え付けず、その仏国土に生まれることを願わない者たちにも、阿弥陀如来はその者たちが死の時に、如来の姿と同じく、僧侶の集団に囲まれた姿で現れ、その者たちの前に立つであろう。彼らはその如来を見て得られる信仰の喜びによって、その瞑想から離れることなく記憶を保ち、その仏国土に生まれ変わるであろう。

29

アーナンダよ、どのような生きとし生ける者でも、その如来を十回思念し、その仏国土に生まれることを願うならば、深遠な教えを聞いて喜びを得、落胆せず、失望せず、沈むことなく、たとえ一瞬の心の発動であっても、その如来を思念し、その仏国土に生まれることを願うならば、その者たちは夢の中でも阿弥陀如来を見て、極楽世界に生まれ変わり、無上の正覚に決して退転することなく至るであろう。

30

アーナンダよ、この意味のある現象を理解し、その如来たちは十方の計り知れない数の仏国土において、阿弥陀如来の名前を称え、その徳を宣べ伝え、讃美を広めています。その仏国土において、十方からそれぞれの方向にガンジス川の砂粒のように多くの菩薩たちが、阿弥陀如来に会いに来て、礼拝し、供養し、質問し、菩薩たちの集団とその仏国土の美徳と装飾の特別な美しさを見ます。

31

そのとき、世尊はこの機会にこの意味をさらに広く説明しながら、次の詩句を述べました:

1. 「まさにガンジス川の砂のように、過去の数多くの仏国土がある。そこから菩薩たちは阿弥陀仏に礼拝しにやって来る。

2. 多くの色とりどりの、香り高く美しい花束を持って、最上の人の王であり、神々に崇敬される阿弥陀仏に捧げる。

3. 同様に、南、西、北の方角の仏国土からも多くの菩薩たちが、阿弥陀仏に礼拝しにやって来る。

4. 多くの香り高い花束を持って、最上の人の王であり、神々に崇敬される阿弥陀仏に捧げる。

5. その多くの菩薩たちは阿弥陀仏の足を礼拝し、右回りに巡りながら、次のように言う:「おお、なんと美しい仏国土であることか。」

6. 彼らは花束を撒きながら、無比の喜びのために満ち溢れ、次のように言う:「私たちの仏国土もこのようになるべきだ。」

7. その花束が撒かれると、100ヨージャナの高さの傘が現れ、美しく装飾された竿で輝き、仏の体全体を覆う。

8. 菩薩たちはそのようにして礼拝し、そこで喜びに満ちて次のように言う:「なんと幸運な者たちであろう、その名を聞いた者たちは。」

9. 私たちもまた、以前にこの仏国土に来たことがあるという幸運を持つ者たちである。この仏国土がどのように計画され、千の時をかけて造られたかを見よ。」

10. 見よ、この仏は最高の福徳を持ち、菩薩たちに囲まれて輝いている。阿弥陀仏の光は無限であり、その寿命も無限、僧も無限である。

11. 阿弥陀仏が微笑みを浮かべると、その顔から63兆もの光が放たれ、それらが無数の仏国土に広がる。

12. その光は再びそこに戻り、仏の頭上に収まり、神々や人々はその光が収まるのを見て喜ぶ。

13. 偉大な名声を持つ観音菩薩が立ち上がり、「世尊よ、何が原因で、どのような条件で、このように微笑まれたのでしょうか?」と尋ねる。

14. 「最上の真理を知り、慈悲深く多くの人々を解放する世尊よ、このことを説明してください。多くの人々がこの言葉を聞いて、大いに喜ぶでしょう。」

15. 多くの菩薩たちが、仏を見るためにこの極楽世界を目指している。彼らはこの言葉を聞いて大いに喜び、この仏国土を見ることができるでしょう。

16. そしてこの美しい仏国土に到着し、速やかに神通力を得、神眼と神耳を得、前世を思い出す知識を得る。

17. 阿弥陀仏が語る:「私の過去の誓願は、このように私の名を聞く者たちが常に私の仏国土に向かうことを願う。」

18. 私のこの美しい誓願は満たされ、多くの生きとし生ける者たちは数多くの仏国土からやって来る。そして、速やかに私の元に到着し、無上正等覚に至る。」

19. ですから、もし菩薩が自分の仏国土をこのようにしたいと願うなら、私は多くの生きとし生ける者たちを名前と声と姿で解放しよう。

20. そのために速やかに行動し、極楽世界に向かい、まず阿弥陀仏の元で多くの仏を礼拝しよう。

21. 多くの仏を礼拝し、神通力で多くの仏国土を訪れ、多くの如来の前で礼拝を行い、最上の信仰を得るであろう。」

32

その時、アーナンダよ、そのアミターバ(無量寿)という如来・阿羅漢・正遍知者の菩提樹は高さが1600ヨージャナ、枝や葉の長さが800ヨージャナ、根や幹の周囲は500ヨージャナである。この菩提樹は常に葉が茂り、常に花が咲き、常に果実を結んでいる。色も多種多様で、数百数千もの色がある。葉や花、果実も多種多様で、非常に美しく飾られている。また、この菩提樹は月光のような宝石で飾られ、インドラの宝石で装飾され、意のままに現れる宝石で覆われている。海の宝石で美しく装飾され、金の糸で垂れ下がり、美しい首飾り、宝石の首飾り、金の腕輪、紅い真珠の首飾り、青い真珠の首飾り、シンハラタの宝石の飾り帯で飾られている。金の網、真珠の網、宝石の網で覆われており、マカラ、スヴァスティカ、ナンディアヴァルティ、半月の装飾が施されている。鈴、宝石、金のすべての宝石で美しく飾られており、衆生の願いに応じて装飾されている。

さらに、その菩提樹が風に吹かれるときに発する音は、無限の世界に響き渡る。その音を聞く衆生の耳の病は、菩提を得るまで癒される。無量無数の衆生がその菩提樹を目にするならば、その目の病もまた菩提を得るまで癒される。また、その菩提樹の香りを嗅ぐ衆生の鼻の病も、菩提を得るまで癒される。その菩提樹の果実を味わう衆生の舌の病も、菩提を得るまで癒される。その菩提樹を礼拝する衆生の体の病も、菩提を得るまで癒される。その菩提樹を瞑想する衆生の心の乱れも、菩提を得るまで癒される。すべての衆生はその菩提樹を見て、不退転の境地に至り、無上正遍知の三つの忍(音に従う忍、順応する忍、無生法忍)を得る。このすべては、アミターバ如来の過去の誓願によって、過去の如来の修行によって、過去の誓願の完全な成就によって達成されるのである。

33

そこで、アーナンダよ、そこに生まれた、あるいはこれから生まれる菩薩たちは、すべて一生にして無上正等覚(アヌッターラ・サンミャクサンボディ)を達成するであろう。ただし、誓願の力によって、大いなる獅子の吼え声をあげ、崇高な誓願をもって、すべての衆生の解脱に専念する菩薩たちは例外である。

34

そこで、アーナンダよ、その仏国土にいる声聞たちは、空の輝きのようであり、菩薩たちは数千億のヨージャナの輝きを持っている。ただし、二人の菩薩は別であり、その輝きによって常にその国土が明るく照らされている。

そこで、アーナンダは仏にこう尋ねた。「世尊よ、その二人の偉大な菩薩は誰ですか?」

仏は答えた。「アーナンダよ、その一人は観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)という大菩薩であり、もう一人は大勢至菩薩(マハースターマプラープタ)という。アーナンダよ、彼らはこの仏国土から死後、再びそこに生まれ変わったのだ。」

35

そこで、アーナンダよ、その仏国土に生まれた菩薩たちは、皆、三十二の大人相を備え、完全な身体を持ち、禅定や神通力に精通し、智慧の分別に優れ、善巧であり、鋭い感覚を持ち、よく制御された感覚を持ち、知覚が開かれ、恐れず不動の感覚を持ち、忍辱を得ており、無限の徳を持つ。

36

そこで、アーナンダよ、その仏国土に生まれた菩薩たちは、すべて仏を見ることと法を聞くことから離れることなく、堕落する法を持たない、すなわち完全なる悟りに至るまで離れることがない。彼らはみな、そこにおいて生まれた後、決して生まれ変わりを忘れることがなく、ただし、大いなる劫の動揺の中にあって、かつての誓いによって五つの煩悩に取り組んでいる者たちを除く。そして、仏たちがこの世に出現するとき、例えば今の私のように現れる。

37

そこで、アーナンダよ、その仏国土に生まれた菩薩たちは、すべて一つの発心で他の世界に行き、無数の仏たちに仕える。彼らは仏の力によって、心に抱く通りの供養を行うために、様々な花や灯、香、装飾品、粉、衣、傘、幡、旗、花輪、楽器などが手に現れる。そして、その花や楽器で仏に供養を行い、無量の功徳を積む。もしさらに、心に願って手に花束が現れると、その瞬間に多彩で香り高い花束が手に現れる。彼らはその花束で仏に供養を行うと、それらの花束から十由旬の広がりの花の傘が現れる。そして、二つ目の花束を放つと、最初の花束は地面に落ちずに空中に浮かび続ける。中には二十由旬の広がりの花の傘が空中に現れるものもあり、三十、四十、五十、百、千由旬の広がりの花の傘も空中に現れる。これにより彼らは偉大な喜びと安らぎを感じ、偉大な心の広がりを得る。そして、彼らは無量無辺の功徳を積み、無数の仏たちに供養を行い、一日も経たないうちに再びその仏国土、すなわち阿弥陀仏の浄土に戻る。これは阿弥陀仏の過去の誓願とその成就によるものであり、彼らはその誓願に従って巧みに育まれている。

38

「そこにおいて、アーナンダよ、その仏国土に生まれた菩薩たちは、皆一切智と共にある教えを説く。そして、その仏国土には一切の所有の概念がなく、どこを歩いても、またどこに行っても、喜びも悲しみも生じない。移動する時も無関心に進み、期待や欲望を持たず、心に波風が立つこともない。

そこにおいて、アーナンダよ、極楽世界に生まれた者たちは、他者と自己の区別がなく、所有の概念もなく、争いや対立、敵対心もない。彼らは平等な心を持ち、善意に満ち、慈しみの心を持ち、柔和で、親しみ深く、勤勉で、澄んだ心を持ち、堅固な心を持ち、妨げられることなく、不動の心を持ち、乱れることのない心を持ち、般若波羅蜜の実践に専心し、智慧の基盤に達している。彼らの智慧は海のように深く、メリュ山のように高く、様々な徳を備え、菩提分の要素において遊び、仏の集会に参加している。彼らは肉眼で観察し、天眼を開き、智慧の眼で物事を見、法眼を持ち、仏眼を完成し、説き、輝かせ、広げる。彼らは一切知の智慧を持ち、三界に対する平等な取り組みを行い、静かな心を持ち、全ての法を理解し、因果の法則に精通している。彼らは世俗の話に関心を持たず、出世間の話に専心し、全ての法の探求に熟達し、法の本質を理解し、無所有の境地に住し、煩悩を捨て去り、安らかな解脱を得ている。彼らは不浄のない、完全な存在である。

このような菩薩たちは、他の世界に行き、多くの仏たちに供養を行う。彼らは、心に抱く通りの供養物が手に現れ、それを用いて仏に供養し、多くの功徳を積む。そして、彼らが他の世界に行き、多くの仏たちに供養を行い、再び極楽世界に戻るとき、その存在は常に阿弥陀仏の誓願によって支えられている。

そこにおいて、アーナンダよ、その仏国土に生まれた者たちは、皆一切智と共にある教えを説く。彼らは所有の概念を持たず、どこを歩いても、どこに行っても、喜びも悲しみも生じない。彼らは無関心に進み、期待や欲望を持たず、心に波風が立つこともない。

そこにおいて、アーナンダよ、極楽世界に生まれた者たちは、他者と自己の区別がなく、所有の概念もなく、争いや対立、敵対心もない。彼らは平等な心を持ち、善意に満ち、慈しみの心を持ち、柔和で、親しみ深く、勤勉で、澄んだ心を持ち、堅固な心を持ち、妨げられることなく、不動の心を持ち、乱れることのない心を持ち、般若波羅蜜の実践に専心し、智慧の基盤に達している。彼らの智慧は海のように深く、メリュ山のように高く、様々な徳を備え、菩提分の要素において遊び、仏の集会に参加している。彼らは肉眼で観察し、天眼を開き、智慧の眼で物事を見、法眼を持ち、仏眼を完成し、説き、輝かせ、広げる。彼らは一切知の智慧を持ち、三界に対する平等な取り組みを行い、静かな心を持ち、全ての法を理解し、因果の法則に精通している。彼らは世俗の話に関心を持たず、出世間の話に専心し、全ての法の探求に熟達し、法の本質を理解し、無所有の境地に住し、煩悩を捨て去り、安らかな解脱を得ている。彼らは不浄のない、完全な存在である。

アーナンダよ、その仏国土における菩薩たちは、このように偉大な徳を備えた存在である。もし仏が無限の寿命を持って彼らの徳を説き続けても、その徳の全てを説き尽くすことはできない。仏の知恵の輝きもまた無限であるからである。」

39

「そこで、アーナンダよ、立ち上がり、後ろを向いて、花を撒き散らし、両手を合わせて、礼拝しなさい。これは、アミターバ(阿弥陀仏)如来が存在し、説法し、浄らかで無垢なその名声が十方に響き渡っている方向である。その名を聞いて一心に思い起こし、繰り返し称える者たちは、皆彼の功徳を讃え、礼拝し、称賛する。

これを聞いて、アーナンダは仏陀に言った。「私は、阿弥陀(無量光)如来を見たいのです。多くの仏のもとで無量の功徳を積んだ菩薩たちも見たいのです。」アーナンダの言葉が終わるや否や、その瞬間、阿弥陀如来は自身の手から光を放ち、その光は数多くの仏国土を照らし出しました。

そのとき、数多くの仏国土、山々や宝石の山、メル山、大メル山、ムチリンダ山、大ムチリンダ山、チャクラヴァーダ山、大チャクラヴァーダ山、壁、柱、木々、庭園、宮殿、神々や人間の住まいなどが、その光によってすべて照らされ、輝きを放ちました。

まるで人が日が昇った時にもう一人の人を見るかのように、あたかも目の前にあるかのように、阿弥陀如来とその大菩薩たち、大僧侶たちが見えるようになりました。彼らは、まるでメル山が他のすべての山を凌駕し、光り輝いているかのように、清らかな光に包まれ、輝いて見えました。

それは、たとえば地球全体が一つの大海になり、そこには山も、島も、草木も、川も何もなく、ただ一つの大海だけが広がっているかのようでした。この仏国土においても、他の何物も見えず、ただ光に包まれた聖者たちが見えるだけでした。彼らは無量の光を放ち、その光によって仏国土全体が照らし出されていました。

その瞬間、極楽世界の菩薩たちや聖者たちは、釈迦牟尼仏と大僧侶たちの集会を見ました。彼らは釈迦牟尼仏が説法しているのを見て、喜びの声を上げました。」

40

「そこで、世尊はアジタ菩薩摩訶薩に話しかけた。「アジタよ、あなたはこの仏国土の功徳と装飾の壮麗さを見ていますか。空中に広がる美しい庭園や森、美しい花の池や川があるのを見ていますか。下方では地面から始まり、アカニシュタ天の住居まで、空中は花で覆われ、花の列で美しく飾られ、さまざまな柱が並び立ち、如来によって創造されたさまざまな鳥の群れがそれを飾っているのを見ていますか。」アジタは答えた。「見ています、世尊。」世尊は言った。「さらに、アジタよ、これらのさまざまな鳥の群れが、すべての仏国土に如来の声で知らせ、菩薩たちは常に仏を思い出しているのを見ていますか。」アジタは答えた。「見ています、世尊。」世尊は言った。「さらに、アジタよ、この仏国土で数千のヨージャナに及ぶ宮殿に乗り、空中を自由に移動している人々を見ていますか。」アジタは答えた。「見ています、世尊。」

世尊は言った。「どう思いますか、アジタよ。スカーヴァティーのこの世界において、創造された天界の存在や人間の間に何か違いがありますか。」アジタは答えた。「世尊、このスカーヴァティーの世界では、人間と天界の存在の間に何の違いも見当たりません。」世尊は言った。「さらに、アジタよ、このスカーヴァティーの世界では、優れた蓮の中で生まれる人々を見ていますか。」アジタは答えた。「世尊、それはまるでトライアストリンシャの天界の神々や、ヤーマの天界の神々が、広大な宮殿で遊び楽しみ奉仕しているかのように、私はこのスカーヴァティーの世界で、人々が優れた蓮の中で生まれるのを見ています。」

41

「また、世尊よ、ここには蓮の中で座って生まれる存在もいます。世尊、その原因や条件は何でしょうか。ある者は胎内で生まれ、ある者は蓮の中で座って生まれるのですか。」世尊は答えた。「アジタよ、他の仏国土にいる菩薩たちがスカーヴァティーの世界で生まれることを望むとき、疑念を抱きながら善根を積む者たちは胎内で生まれることになります。一方、疑念を持たず、確信をもってスカーヴァティーの世界で生まれることを望む者たちは、蓮の中で座って生まれるのです。

また、アジタよ、他の仏国土にいる大菩薩たちが阿弥陀如来の姿を見たいと願い、疑念を抱かずに自分の善根を信じるならば、その者たちは瞬時に蓮の中で座って生まれます。疑念を持つ者たちは五百年もの間、仏の姿を見たり、菩薩の姿を見たり、真実の教えを聞いたりすることができません。これが彼らの善根の弱さの原因です。

アジタよ、王の息子が黄金の拘束具で縛られ、豪華な牢屋に閉じ込められたとしても、その息子は自由を望むでしょう。彼は解放されることを願い、助けを求め続けます。同様に、疑念を持つ菩薩たちはスカーヴァティーに生まれたとしても、彼らは満足することなく、解放を望み続けます。五百年もの間、仏や菩薩を見ることができず、真実の教えを聞くことができませんが、やがて彼らはそのカルマを消化し、再び外に出ることができます。

アジタよ、疑念がどれほど大きな障害となるかを理解してください。それゆえ、菩薩たちは疑念を持たずに真実の悟りを目指し、迅速に全ての生き物の幸福と利益のために善根を積むべきです。スカーヴァティーの世界で生まれることを望み、阿弥陀如来のもとで修行を続けるのです。」

42

そのとき、アジタ菩薩は世尊に問いました:「世尊よ、ここからどれだけの菩薩たちがこの仏国土を離れ、他の仏、世尊の元に行き、極楽浄土に生まれ変わるのでしょうか?」世尊は答えました:「アジタよ、ここから七十二億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。これらの菩薩たちは他の無数の仏国土で善根を植えた不退転の菩薩たちです。ましてや、より少ない善根を植えた者たちにおいては、なおさらです。

1. ドゥシュプラサハのもとから十八億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

2. 東方において、ラトナーカラという名の如来がいます。そのもとから九十億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

3. ジョーティシュプラバのもとから二十二億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

4. アミタプラバのもとから二十五億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

5. ローカプラディーパのもとから六十億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

6. ナーガービブハヴァのもとから六十四億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

7. ヴィラジャプラバのもとから二十五億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

8. シンハのもとから十八万の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

9. シュリークータのもとから八十一億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

10. ナレンドララージャのもとから十億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

11. バラーガニャのもとから十二万の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

12. プシュパドヴァジャのもとから二十五の英雄的な菩薩たちが、一乗に立ち、九十億の劫を超え、一劫の間に極楽浄土に生まれ変わります。

13. ジュヴァラナーディパティのもとから十二億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

14. ヴァイシャーラディアプラプタのもとから六十九億の菩薩たちが極楽浄土に生まれ変わります。

アジタよ、阿弥陀如来を拝見し、礼拝し、奉仕し、質問し、教えを請うために、他の無数の仏国土から極楽浄土に向かう菩薩たちの名前を数え上げようとすれば、無数の劫が経っても終わりはありません。」

43

見よ、アジタよ、どれほど大きな利益を得るであろうか。阿弥陀如来の名を聞く者は皆、決して劣った信心を持つことはなく、一度でも心から信仰を抱く者は、教えの中で確固たる地位を得るであろう。

そこで、アジタよ、あなたたちに告げる。すべての世界の生きとし生ける者の前で、この教えを聞くために心を一つにし、どんな障害があっても疑念を抱かないようにせよ。なぜなら、アジタよ、無数の菩薩たちがこのような教えを聞くことで、無上の正覚へと進むのであるからだ。ゆえに、この教えを聞き、保持し、伝え、広め、修行するために、大いなる努力をしなければならない。たとえ一夜でも、一日でも、一瞬でも、書き記し、保持し、尊敬し、この教えを伝え、無数の生きとし生ける者を無上の正覚へと導き、阿弥陀如来の仏国土を見、自己の仏国土の特質を理解することができる。

また、アジタよ、この教えを聞き、保持し、尊敬し、書き記し、広める者は非常に大きな利益を得るであろう。彼らは過去に善根を積み、如来の加持を受け、未来の善根を培い、正法が衰退する時代にもこの教えを保持し、無数の仏が讃えるであろう。彼らは深い喜びと信仰を得、保持し、伝え、修行し、書き記し、尊敬し、無限の功徳を生むであろう。

アジタよ、私が成し遂げたことはすでにここにある。あなたたちも今や疑念を捨て、努力しなければならない。仏の智慧は無限であり、すべての宝石の如き教えを持つ蓮華の城に入るが如し。仏の出現、法の説示、そしてこの貴重な機会は非常に稀である。過去の善根を培い、今やその果報を得るべきである。

アジタよ、この教えの永続を誓い、仏法が消え去ることのないよう努めなければならない。仏の教えを衰退させることなく、如来の教えを守り続けることが求められているのだ。

44

そのとき世尊は、このように偈頌を述べられました:

  「徳を積んだ者だけがこの教えを聞くことができる。
   力強く意志の堅い者がこの言葉を聞くだろう。(1)

  見たことのある者は悟りを得た者であり、
   世界の主である光の源を知る者たちである。
   彼らは敬意をもって法を聞き、
   大いなる喜びを得るだろう。(2)

  怠け者や間違った見解を持つ者には、
   仏の教えに対する信仰を得ることはできない。
   過去の仏に供養をした者たちが、
   世の主の行いを学ぶことができる。(3)

  暗闇の中で目の見えない人が道を見つけられないように、
   すべての声聞たちが仏の智慧を知らないならば、
   他の人々はなおさら知らないだろう。(4)

  仏のみが仏の徳を知ることができる。
   神々や龍、阿修羅、夜叉、声聞たちは知らない。
   独覚者たちでさえも、仏の智慧の前では道が見えない。(5)

  もしすべての生きとし生ける者が悟りを得、
   清らかな智慧を持ち、最上の智慧を持っていたならば、
   彼らは幾千万もの大劫にわたって
   一人の仏の徳を語り続けるだろう。(6)

  その間に彼らは涅槃に至るだろうが、
   幾千万もの大劫にわたって語り続けても
   仏の智慧の限りは知れない。
   それが仏の行いの広大さである。(7)

  だからこそ、賢明で洞察力のある人は
   私の言葉を信じ、
   完全なる仏の智慧を証明し、
   その言葉を広めるべきである。(8)

  人間として生まれることは稀であり、
   仏の出現もまた稀である。
   信仰と智慧を得るのも長い時間がかかる。
   だからこそ、意味を理解し、努力を尽くさなければならない。(9)

  このような教えを聞き、仏を思い出して喜びを得る者たち、
   彼らは過去において私たちの友であった。
   彼らは仏に対する願いを持ち、
   悟りを目指して努力する者たちである。」(10)

45

この教えが説かれている間に、世尊の言葉によって、十二の無数の生きとし生ける者が煩悩を離れ、清らかで無垢な智慧を得て、法の眼が清められました。また、二十四の無数の者が無間の果を得ました。八百の比丘が煩悩を断ち切り、心が解放されました。二十五の無数の菩薩が不生法忍を得ました。また、四十無数千の天と人々の心が無上正等覚を目指して生じ、極楽浄土に生まれ変わるために善根を植えました。彼らは阿弥陀如来に会いたいと願っています。

彼らは皆、次々に「マーンジュシュリー(文珠)」と呼ばれる如来のいる他の世界に生まれ変わります。八十無数の者は、燈明如来によって忍耐を得て無上正等覚に至る不退転の者となり、阿弥陀如来によって導かれ、過去に菩薩行を実践し、極楽浄土に生まれ変わって過去の誓願を成就します。

46

このように説かれた後、世尊は歓喜し、アジタ菩薩摩訶薩、そして尊者アーナンダ、全ての集会、天、人、阿修羅、乾闥婆といった全ての者たちが、世尊の説法を喜んで受け入れた。

阿弥陀如来の功徳を讃えること、菩薩たちの不退転地への入場、阿弥陀如来の極楽浄土の荘厳を説いた法門がここで完結した。

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