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楞伽経梵文現代語訳

楞伽経梵文現代語訳

Laṅkāvatāra Sūtra ランカーヴァターラ・スートラ

サンスクリット写本(南條文雄校訂「梵文入楞伽経」参照)

https://ia601208.us.archive.org/9/items/MN40145ucmf_2/MN40145ucmf_2.pdf
現代語訳(ページ数)は南條写本による

楞伽経は、大正新脩大藏經のうち経集部第16巻にその漢文訳が収められている。
南條文雄博士が明治から大正にかけてオックスフォード大学においてかのマックス・ミュラー教授のもとで多くのサンスクリット経典の写本や翻訳に取り組まれたうちの「Laṅkāvatāra Sūtra(楞伽経)」のサンスクリット写本から現代語に翻訳を試みた。
この経典の名が真宗で取り上げられるのは、決まって龍樹菩薩の懸記について。つまり釈迦が大乗仏教の祖である龍樹の出現を予言したのだ、という節が最後の章に触れられていて、それが「入楞伽経(十巻)」や「大乗入楞伽経(七巻)」という漢文訳にも取り込まれ、これをして浄土の七高僧に続いているという文脈があるからで、釈迦正統の仏教の流れの証左としても取り上げられている。
南條文雄博士が残したネパール伝の梵文写本P286がその懸記に当たる。
下から3行目にある"नागाह्वयः"(Nāgāhvaya)と名が見られる。

べダリの南部に最も輝かしく秀逸な比丘が現れる。彼の名は龍猛という。 彼は有見や無見といった偏向した論旨を打ち砕くであろう。


サンスクリット写本には龍樹であるナーガージュナ(Nāgārjuna)ではなく、ナーガーヴァヤ(Nāgāhvaya)となっており、この名は漢字で龍猛(りゅうみょう)と訳される。七高僧というよりは、真言八祖に上がる名前ではある。菩提流支訳による「入楞伽経(十巻)」では以下のように記される。

如來滅度後 未來當有人 大慧汝諦聽 有人持我法。
於南大國中 有大德比丘 名龍樹菩薩 能破有無見。

これが正信偈に反映されている。
その190年後に実叉難陀によって訳された「大乗入楞伽経(七巻)」にはこの部分は次のように記される。

大慧汝應知 善逝涅槃後 未來世當有 持於我法者。
南天竺國中 大名德比丘 厥號為龍樹 能破有無宗。

漢訳では、いずれも「龍樹」とされる。
訳文がどうあれ、龍樹こそが我が法を正式に継承するであろうという釈迦の言葉があることこそのちの大乗仏教にとっては重要であったろうし、正信偈にもあるとおり釈迦以来の正統の系譜として先行した他宗から異端のように見られた浄土教の正当性の依拠するところにもなった。
「Laṅkāvatāra Sūtra」が西暦350~400年ごろにできたとすれば、龍樹は既にその100年以上前に実在した人物であり、この懸記の信憑性は揺らいでしまう。一方で最後の章にある釈迦の予言のうち、グプタ王朝が北の野蛮人に滅ぼされるであろうという予言は、この経典が作られた後の史実であり、北西の遊牧民エフタル(Hephthalites)による侵攻で滅ぼされている点は、釈迦の超能力というよりは、むしろ当時の地政学的な繁栄もあってか興味深い。
この楞伽経は古代インドの神話や叙事詩、ヒンズー教の影響も色濃く、またサーンキヤ学派とヴァイシェーシカ学派といったインド哲学の否定もふくめ、釈迦の言説の言い伝えもあるだろうが、龍樹や世親の思想影響を濃厚に受けたこのSūtraの著者が釈迦をして語らせた、または釈迦とラーヴァナ王の問答を創作したのかと思われるほど、前記のインド哲学への批判や唯識の解説は『倶舎論』はじめ種々の論註とも共通している。また、著作当時の背景にある土着の常識や文化を前提にしたほうが、現代的な観点からよりは深く理解ができる。



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