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ごきげんトリプルパンケーキ歌会録

「トリプルパンケーキ」のメンバーが主宰した歌会の記録です。

【参加者】
青柳しの、雨宮真由(かばん)、井口可奈(小説家)、斎藤見咲子(かばん)、坂中真魚(神保町歌会)、中村みち子、なぞの歌人るね(白い虹の民)

【ルール】
・司会(坂中)のみすべての歌の作者を知っている。
・この歌会でいう「しりとり」とは、自分の前の人の歌から単語をひとつ選んでお題とし、自分の歌に詠み込むこと。
そのため、しりとりのスタートの歌の作者以外は、一首だけ事前に目にしている。しかし、その歌の作者が誰なのかはわからない。
・自分の前の歌の作者はもちろん、自分の歌が誰にパスされるのかも事前には明かされないため、使われた単語から作者を推測することもできない。

【詠草】
▪題詠「パン」からのしりとり
ゆるされて暮らしたかったものの影濃くなる日々をパン屋の街で
取る前にきみはトングを二度鳴らすその癖にリズムめいてくパン屋
はずかしい話なのかな癖のある前髪をまた指は流れて
すずしくてねむたい夏の樹の陰よ製氷皿へ親ゆびがある

▪題詠「ケーキ」からのしりとり
確信を持ってあなたを甘やかす振り向きざまにくらわすケーキ
甘やかさないでください溶けるから角砂糖の訓練はたいへん
ふんすいの出る落ちるを見るたいへんの家族の帰る家をさよなら
粘り気のあるさよならを押し流すいわゆるゲリラ豪雨であった

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すずしくてねむたい夏の樹の陰よ製氷皿へ親ゆびがある

斎藤:この歌のいちばん好きなところは「製氷皿へ」の「へ」。「に」と言うこともできるのに「へ」を選んでいることで、絵画の描写のようになっている。
置かれているのはたぶん主体の指だと思うんだけど、自分がそれ(製氷皿)を持っていると明示しないことで、作中主体も背景の一部になっている。
一般的には自分自身の視点や気持ちを入れて詠みたくなってしまうものだけど、この歌のいいところは思い入れや感情がないところ。

井口:私も下句が好き。読みかたがいくつかあるなと思って。
たとえば氷を作ろうとして製氷皿を持ってきたところなのか、もうできている氷を製氷皿ごと樹の下に持ってきたら「すずしくてねむたく」なっちゃって溶けているような感じとか。
いま斎藤さんのお話にあった「自分自身の興味のなさ・客観」が私には不穏に感じられて、それが気になって採りました。すごく柔らかいトーンなのに、不穏さがあるような。

坂中:どのへんに不穏さが出ていますか?

井口:「製氷皿を持っている」ではなくて「親ゆびがある」と指の名前で言っているところですかね。

坂中:指をモノ扱いしている。

井口:そうそう。

雨宮:誰かが製氷皿を持っていて、主体がそれを見ている、とも考えられるけど、自分が持っているものを夢の中のように外側から捉えている感覚がします。
私はこの歌の静けさが良くて。主体は静かで涼しいところで、樹の陰に意識がいっている。心ここにあらずで、今現在自分がここにいるという実感から離れている。実際に経験した過去の「樹の陰」を想像しているので、主体は現在から遠い感じに描かれているのかなと思います。静かに思い起こしている全体の雰囲気が好きです。

坂中:「オンブラ・マイ・フ(※ヘンデル作曲のアリア"Ombra mai fù")」って曲ありますよね。「懐かしき木陰よ」って。上の句はそういう懐かしい・親しい感じがあるから、樹の陰がメイン扱いされているという読みになるの、わかります。

青柳:「すずしくてねむたい」が平仮名なのも、夏のけだるさがあるし、製氷皿も夏のアイテムなので季節感があっていいですよね。かつ、つきすぎてもいないし。
「親ゆびがある」は指が切れて製氷皿に入っているとも読めるかな。

坂中:え~! そっか、そうとも読めるから不穏な感じがするのかも?

井口:そうかもしれない。

青柳:その場合は全然「すずしくてねむたい」夏じゃないですけど……。私は実際に起こったことの回想というよりは、空想の世界ととりました。親指にだけ焦点があたっていて、ぼんやりしている。

坂中:句切れの修飾関係ってすぐわかりました? 迷ったの私だけかな……?

雨宮:「すずしくてねむたい/夏の/樹の/陰よ/」と、何パターンか考えられますよね。

坂中:「よ」があるので、ここは確実なんですけど、他にもゆるく切れるところがあって。

雨宮:どれでもいい、と言ったら雑ですが、どれでとっても「いい感じの夏のイメージ」なのは同じかなと。

坂中:景は変わらないですね。

斎藤:わーっと読んじゃってかまわないのかも。どこで切れるか考えなかった。

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はずかしい話なのかな癖のある前髪をまた指は流れて

中村:これ、キュンときちゃいました。主体と相手が話をしていて、相手が癖のある前髪をなぞって、それを見た主体は「はずかしい話なのかな」と思う、と読んだのですが。
いいなと思ったのは「なのかな」の部分。実際の話題は受け手にとっては「はずかしい話」でもないんだけど、話し手にとっては「はずかしい」話題みたいな。「はずかしい話」って色々な種類が考えられるけど、その中でもかなり「はずかしくない」に近い部類の話題だと思う。話し手の照れ屋さんぶりが過不足なく読み込まれていて良いなと。

斎藤:ぱっと見は恋人同士かなと読んだけど……「なのかな」の推測に距離感があるので、主体は話題に参加してなくて遠くから見てるのかと思いました。好きな人を観察していて、話題を想像している可能性もある。

坂中:目の前にいないのかもしれないですね。「なのかな」の言い方に、主体の話し手に対する親密さが表れているというところは、みんなブレなさそうですかね~。
私は「また」が良いなと思って。仕草の再現というか。前にも見たことがあるから「はずかしいときの癖」ということを知っているのかなと。「指で触る」じゃなくて「前髪を指が流れる」という表現にしたのもちょっと面白い。

斎藤:「癖」に引っ張られて「前髪をいじる癖」と思ってしまったけど、「癖のある前髪」ですね。

坂中:確かに、明示されているのは「癖のある前髪」だけなのに、「癖」が歌の中で髪と指の2箇所にかかっているように感じますね。

雨宮:そのイメージがついてきますよね。

坂中:「癖のある」ってワードが歌の真ん中に配置されていることで効果が出ているのかな。

雨宮:「はずかしい話なのかな」と「また指は流れて」の言い方は距離感が違いますね。「また指は~」は確定的なのに、「なのかな」は不確定。上と下のズレによって不思議な感じがするし、作中の「話の聞き手」に対する好感も出てくる。

坂中:そのズレによって、斎藤さんの「遠くから見ている」という読みも出てくるのかな。

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確信を持ってあなたを甘やかす振り向きざまにくらわすケーキ

るね:上の句と下の句にアンビバレントな感情があるのが面白いというか。極端にくるっと変わるキャラクターを持っている主体が面白い。読み手は「甘やかされるんだ、わーい」と思って行ったら、主体にケーキを顔面にくらわされてクリームまみれになってしまうという。
他にも「くらわす」ことができるアイテムはたくさんあるのに、フライパンでも(パンを伸ばす)めん棒などでもなくケーキをチョイスしているのが面白い。今日の8首の中では、主体の口調の面白さがすごく出ている歌だなと。

坂中:キャラが立ってますよね。「くらわす」という語はなかなか出てこない。

青柳:振り向くのは甘やかしてくれる人、でいいですか?

るね:そうですね。くるっと振り向いて「くらわし」てくる。

坂中:あなたの可能性もありますよね。

斎藤:どっちにしろ、くらわされるのには変わりない……。

坂中:「くらわす」=「甘やかす」なんですよね、主体にとっては。

(ここで、木製コースターが冷たいドリンクのグラスにくっついて落下してしまう「ルノアールあるある」現象音が起こる)

井口:私は甘やかしている人が振り返っていると思う。小悪魔的な反転があるから。「甘やかす」と「ケーキ」は似ていて一貫性はあるんだけど、顔にぶつけるような小悪魔性も持っていて好きだな。

坂中:「確信」ってなんでしょうか?

井口:そこは難しいけど……甘やかすと伸びるという確信ですかね。または、伸ばさないように甘やかす。

坂中:スポイルするか、褒めて伸ばすか、どっちかの確信でしょうか。

るね:もしかしたら、主体は「あなた」がかつて甘やかされていなかったという推測があって、だから代わりに自分が甘やかそうという「確信」があるのかも。

坂中:本当は甘え下手の「あなた」なのかもしれない。

るね:「確信」が抽象的で読みどころがあるのが良いバランスかと。

青柳:「確信」は「自分がこの人を甘やかすぞ」という自覚とか意図だと感じました。私は、振り向くのは「あなた」だと思って。あなたが「もうだめかも」と落ち込んだタイミングで「はいっ」とケーキを出すような。相手は「くらわされて」いることに気づかなくて単に「甘やかされている」と感じている。怖い主体だなと。小悪魔感というより大悪魔のような。この人は相手をどうしたいんだろう。

坂中:気づかないうちに砂糖中毒に……。
私もケーキは「パンッとパイ投げみたいにする」より「ハイ、と強めに差し出す」と受けとりました。顔にぶつけるのが思いつかなかった。

斎藤:この人は過激派だから、ぶつけると思う。

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甘やかさないでください溶けるから角砂糖の訓練はたいへん

雨宮:読んで一瞬でなんか好きって思ったんですけど……なんでしょう。現実世界で「甘やかさないでください」って主張強めだしファンタジーじゃない言葉ですよね。初句でこれが出てきたら、ふつう「おばあちゃん、孫にお菓子をあげすぎないでください」って親が言う、みたいな、「甘やかし」の内容について言及されるのかな?と想定する。でも読んでみたら「溶けるから」って。しかも、「訓練はたいへん」。一気にファンタジーになる。
語順もいいです。角砂糖の正体が明かされる前に「溶けるから」で軽く「あれ?」と思わせて最後にわーっとくる形。
構造がすごい上に、内容もかわいい。角砂糖が立派な角砂糖として、手前でバラバラにならず、きちんとカップの中で溶けるように、と。

坂中:雨宮さんは角砂糖を訓練している第三者が発話しているととりましたか?

雨宮:そうですね。角砂糖の訓練をしている側の人が、別の誰かに向かって言ってる。

坂中:私は角砂糖自身の発語かと思いました。「(私を)甘やかさないでください、溶けちゃうんで」みたいな。普通の砂糖から角砂糖になる訓練をしていると思いました。命令形→理由→言いっぱなし、で語尾のリズムもいいですよね。

斎藤:角砂糖ってどうやって作られてるんだろう?

坂中:製氷皿みたいな型でプレスされるんじゃない?ぎゅっと。

斎藤:喫茶店にありますよね。ブラウンと白と。私も訓練の内容はわからないけど角砂糖が喋っていると思いました。甘やかすと溶けるって関係が面白いですよね。

坂中:甘やかすという行為には熱や湿度が含まれている、という表現なんじゃないですか。

斎藤:そうかもしれない。でも角砂糖じゃないサラサラのグラニュー糖だったとしても、溶けることにはかわりないですよね。

中村:そこがすごく気になっていて。可愛いなと思ったんですけど、私はファンタジー世界の整合性には厳しくいきたくて。「泣かせないでください」だと溶けるの自然ですけど。

坂中:「甘やかす」という語には「過剰な行為」という含みがあるので、私は熱や湿度を連れてこられたけど、もっと整合性をつけるなら、いろいろできるかもしれないですね。

中村:「ほどけるから」とかのほうがスッキリするかも。

青柳:私も「甘やかす=溶ける」が疑問でした。

るね:砂糖から角砂糖になる訓練、体幹トレーニングとか必要そうですよね。腹筋・背筋とか。

一同:笑

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粘り気のあるさよならを押し流すいわゆるゲリラ豪雨であった

中村:距離をとっている感じがいいなと。ナレーションっぽい。もう一回よみますね。(ナレーション風に音読)。悲しみを感じている主体が自身で終わらせているのではなくて、第三者が「豪雨であった」と言っている感じ。「さよなら」の外側から「もうここで終わりよ」と区切られている。

坂中:「さよなら」にサラサラとねばねばがあるって面白いですよね。「いわゆる~であった」という口調にナレーションっぽさがあるの同意です。日常の言い方じゃない。「押し流す」もある種、独特ですけど。

井口:これは「泣く行為」の異化かと思いました。さよならを押し流す涙、号泣のことを「ゲリラ豪雨」と呼んでいるのかも。

青柳:私も「いわゆる」が気になりました。「さよなら」って個人的には大切なもの。しかも粘り気があるし、思い入れがありそうなもの。それを、「ゲリラ豪雨」という一般的で何度でも発生する現象として受け手に共有するとき、変換前のクッションとして「いわゆる」を差し込んだことに、主体の強さを見ます。無理やりやり過ごそうとしている強さ。切り替えの語としてすごく効いている。

坂中:すごい良い示唆ですね。さよならの客観視が「いわゆる」に含まれているんだ。

斎藤:個人的なものから、一般的なものになることでさみしさが軽減される。でもそれは周りから言ってもできない。本人しか相対化できない。

雨宮:なんとなくですけど……この主体は本来「ゲリラ豪雨」って言葉が好きじゃないかもしれない。普段は昔からある「夕立」って表現すべきとか思っているんだけど、敢えて自分と距離のある、新しい言葉である「ゲリラ豪雨」を選択することでこの場の「さよなら」を突き放しているんじゃないかと。

坂中:新しいし、かなり強い言葉なので、歌の中にあると目立ちますね。

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ゆるされて暮らしたかったものの影濃くなる日々をパン屋の街で

青柳:何かすごい抱えているのかな。「夏になる」という季節の移り変わりを「ものの影濃くなる」という暗いところに着目した捉え方なのが面白いと思いました。「パン屋の街」はわからなかった。パンは日常的に食べる主食で、普通の生活の一部。親しみやすく、あったかくて、いい匂いの街であってさえ、孤独感をもっている主体がよく出ているので良いなと思った。
余談ですが、「パンからのしりとり」4首が夏で始まって夏で終わっているのが面白かったです。

一同:確かに~!

井口:「パン屋の街」としたのは良いですよね。「定食屋の街」だと哀愁が強すぎる。パンの日常使いの感じが出ている。

斎藤:「ものの影」=「物体の影」ってことで、「暮らしたかったものの」ではないですよね?「暮らしたかった」で切れるのかな。

坂中:切れがわかりづらいですね。

雨宮:私は「ゆるされて暮らしたかったもの」=主体、と読みました。結局ゆるされなかった。その地点の取り返しがつかないから、主体の影が暗くなっている。明かりがともっている、あったかいパン屋の街で暮らしている主体の日々ということなのかなあと。

斎藤:「影が濃くなる」=夏と想定できなかった。

中村:季節の変化よりかは、日常の光のことのように思いました。例えば庭付き一戸建てに住んでいる4人家族、みたいな幸せな生活の影には「ゆるされて暮らしたかったもの」たちがいるんだよ、というような。

坂中:それはドラマですね。

るね:「パン屋の街」の解釈について。主体の心に特別に残っている、意味のある店としての「パン屋」がある街かと。本来入れ替え可能なお店のはずなんですが、この主体にとってはどのパン屋でもいいわけではなくて、「あのパン屋」というイメージがあり、際立って好きなパン屋がある街であるために「パン屋の街」という言い方になっているような気がします。

坂中:特定の街かつ特定のパン屋のような感じですね。

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ふんすいの出る落ちるを見るたいへんの家族の帰る家をさよなら

青柳:下句の助詞が面白くて。何を言っているのかはわからないんですけど、「たいへん」は「家族の帰る家」にかかるのかな。ふんすいをぼんやり見ている人がいて、この人は家出をしたのかなぁ。家庭環境とかがものすごく「たいへん」で、去ることにしたけど、特にやることがなくてベンチで噴水をみているような。ひらがなが初句・3句・7句で入っているのもバランスがよくて惹かれる。何か訴えてくるものがあるなぁと。

坂中:表記の工夫はかなり目立っていますね。

雨宮:話半分で聞いてもらいたいんですけど、私はいまアンドロイドが出てくるテレビゲームにハマってて。この歌を見たときにすごくアンドロイドっぽいなと思ってしまいました。人間は噴水を「出る」「落ちる」という切り方はしないんです。だから本質的には人間じゃないものが詠んだ気がする。「たいへん」も含め、言葉が並列で、どこかに何がかかっているとかはないように見える。人間に擬態している主体自身は「たいへん」ってわからないけど、人間は「たいへん」らしい、みたいな。帰る時間になって、「家族」というものがあって、一日の終わりを見送るときには「さよなら」って言うから言おう。というふうに単語を出てきた順に並べた歌のように見えました。

坂中:ぎこちなさや接続の面白さがアンドロイドっぽさに繋がるのかもしれないですね。

斎藤:「ふんすい」が出たり落ちたりしているわけじゃなくて、出るのは水ですよね? 心がここにあらずの人が見たままを並べている感じなのかな。

坂中:「たいへん」だけが見たままの把握じゃないですね。

斎藤:「たいへん」と「帰る」の主語が「家族」なのか、主体にかかるのかがわからないですね。

坂中:いずれにしても、家族に主体が帰属していない感じがします。
「の」が難しいんですよね。1つめは「ふんすいが」で主格だろうと思うのですが、2つめは形容詞っぽくなっているのかな。

雨宮:私の読みだと、「たいへんな思いをして」とか「たいへんな1日をやりきった(人の集合が)家族」

坂中:家「を」さよならも独特ですね。助詞を全部ねじってある気がする。

雨宮:ねじりすぎて、助詞はどれでもいいと思っているアンドロイドに見える。

坂中:なるほど……なにか物語を描けそうな気がするのですが。

斎藤:うまく像を結ばないですね。

るね:雨宮さんが仰っていたアンドロイド説、わかりますね。完成していない言語プログラムが景を描いているように一見、見えるんですけど。人間に擬態しているプログラムに擬態している人間というか。その感じが出ているのは最後の「さよなら」っていうところで。アンドロイドには出しえない人間的叙情性が出てきて、人間だってことがバレてしまう。この手の歌、実はすごく気になって……心のポイントを入れたいです。

一同:笑

坂中:最後に「さよなら」があることで「いわゆる短歌っぽく」なってますよね。

雨宮:ここには意思というか、気持ちがあるような気がします。

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取る前にきみはトングを二度鳴らすその癖にリズムめいてくパン屋

井口:好きなところは「リズムめいてくパン屋」ですね。4句が8音なんですけど、「リズム」を際立たせるために余らせている感じがする。ちょっとひっかかることで、リズムという言葉が引き立っている。あと、「きみがリズムめいてそれに僕がついていく」ではなくて「パン屋」全体がリズムめいちゃうのがいい。

坂中:そこですよね!

井口:人だけじゃなくてパンもトントンって鳴ってそう。

雨宮:3句までは癖の説明だから、癖としては面白くても、表現として面白いものではないのだけど、やっぱり「リズムめいてく」がすごいですね。主体が「きみ」に意識を向けているから、主体が持っている反射のせいでパン屋全体がリズムめくように感じているというよりは、パン屋の空気が全部――例えばレジ打ちの音とか――そういうのが全部、反響してリズムをとっているように感じられるっていうことなのかな。トングの音だけじゃなくて。

坂中:私は最初「リズムめいてく」についていけなくて、言葉としての処理に疑問があったんです。「名詞+めく」で本当はおかしい用法なんだけど、何を言いたいのかはわかります。発明された表現だと思いました。きっと、これはミュージカル映画の始まりのシーンなんですね。雨宮さんの指摘で上句に意味がないとありましたが、「取る」「トング」「二度」でT音を重ねているので、完全に序詞として作られているのかなと思います。具体的にありそうな癖や景を素材にして、マジカルな展開に広げているのがすごいですね。

中村:トングが魔法の杖っぽい。パンを選んでいくと、順番にパンに魔法がかかるような。

【歌の作者】
▪題詠「パン」からのしりとり

ゆるされて暮らしたかったものの影濃くなる日々をパン屋の街で (坂中真魚)
取る前にきみはトングを二度鳴らすそのにリズムめいてくパン屋 (榊原絋)
はずかしい話なのかなのある前髪をまたは流れて (青柳しの)
すずしくてねむたい夏の樹の陰よ製氷皿へ親ゆびがある (るね)

▪題詠「ケーキ」からのしりとり
確信を持ってあなたを甘やかす振り向きざまにくらわすケーキ (雨宮真由)
甘やかさないでください溶けるから角砂糖の訓練はたいへん (井口可奈)
ふんすいの出る落ちるを見るたいへんの家族の帰る家をさよなら (中村みち子)
粘り気のあるさよならを押し流すいわゆるゲリラ豪雨であった (斎藤見咲子)



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