GレコTV版の最終回について

劇場版4、5はTV版から大幅に構成が変わりそうな気がするので、比較と備忘も兼ねて書いてみる

【アイーダさんは月の女王になる】
TV版では戦争を終わらすためにキャピタルタワーに侵攻する母国の軍勢を壊滅させてます。いや、実際に壊滅させるのはラライヤなんだがその行為をアイーダさんは「よくやりました」って承認しているんだよね、実質、自分の手を汚している。

この辺りが同じ月の女王の話を描いたターンAと違うところで、ターンAのディアナは自分の手を汚すことを嫌った結果、返ってギンガナムの反乱を招いて局面を泥沼化させてる。アイーダはディアナの取った態度とは逆に自分の手を汚すことでさらなる破局を防いでいる。この辺りはこれから良き為政者になろうとするものと、1000年間、為政者であり続けたものの精神の違いか。


それにしても御大、女の子にも容赦ないですね。普通のアニメだとこの辺りの「手を汚す役割」というのは主人公格の男の子、Gレコだとベルリのようなキャラクターに全ての責任を負わすのだけど、女の子にも容赦なくその役割を与えている。為政者というのは男とか女とか関係なく、ただ、良きことをする意思を持つもの、そのためには時には自らの手を汚さないことを厭わないものがなるべし、という御大のリーダシップ論が垣間見え、そして、間違いではないんだろうなー。中国史の名君、李世民や朱元璋は優しさと冷徹さという相反する性質を兼ね備えているし。聖なる右手と闇の左手、この二つの相反する心をどちらに傾くことなくバランスを保ち続けることが指導者として必要なんだよねー、歴史上の偉人を見ていると。そんなのは偉人というか変人は歴史上の奇跡だからそんなものに期待するな、凡人の智こそ尊いと言ったのは銀河英雄伝説のヤンウエンリーか
作品が違うな、富野監督は偉大なるリーダが現れてほしいと思っているようだけど。

Gレコの素晴らしさは普通なら圧倒的強者である主人公がなるべきポジションをポンコツ扱いされた女の子にその役割を負わせたことだね
旅を続ける中で知見を広げ、自身を成長させ、女の子だって中国史の英雄みたいな存在になれる、って描いたことが物凄く今風だ。80歳のおじいちゃんが作った作品とは思えないなー。

【ベルリは冒険の旅に出る】
Gレコにおけるベルリというのは主人公なのに感情描写があまりない、少々変わった存在だ。これはアニメ的、というよりRPG的な主人公だ。感情移入する対象というより、アニメを視聴する人がベルリと一緒にGレコの世界を旅する視点を与える存在だ。TRPGのリプレイのPCキャラクターに近い存在・・・、御大、ガンダムにカテゴライズされるアニメにRPGのPCキャラクターのような主人公を出すとか、どんだけパンクなんだよ。私は第一話を見た時点でファンタジー&RPG的な要素を感じてその視点に沿って物語を見てたんで結構楽しめたけど、普通のアニメファンは混乱するだろう(笑)、普通のアニメと作劇の手法があまりにも違うから
で、エンディングでベルリは視聴者と一緒にGレコの世界を旅するという役割から解放されて、ただのベルリに戻る。ベルリの冒険の旅はこれからだ(笑)。いや、煽り抜きにベルリはめちゃくちゃ賢くてイケメンで身体能力も高いけど、腹芸できないとても素直な性格だからそのままアイーダの側にいると、変な政争に巻き込まれて不幸になりそうではある。アイーダもそれがわかっているからベルリを快く送り出したんだろう

【劇場版Gレコにおけるベルリとアイーダの立ち位置】
TV版があまりにもパンクな作りなので劇場版は「ベルリとアイーダの物語」として再編されていてこれはこれで面白い。ビーナスグローブ編がどのように再構成されているか、劇場版4が本当に楽しみです

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