竜とそばかすの姫 母の死とはなんだったのか?

【はじめに】
細田監督も視聴者を楽させない監督だった・・・・
富野監督みたいに喧嘩を売るようなことはしなけど、半ば確信犯的にやっているように見えるのがタチが悪い。
この作品を見た時、賛否両論でるだろうなーと思うくらいに

【親子の肖像を破壊するという行為】
竜の城で「壊れた女性の像」
を見た時、私はサガフロ2の名場面を思い出しましたよ
動画を載っけて置きます

サガフロ2では切り裂かれたのは「兄の絵」の方だったが、「兄」は「弟」から「母」を奪った張本人なんだよね。家族の象徴になっているものが明示的に壊された状態になっていることは、「失ったものに対する悲しみと失わせたものに対する憎しみ」を見ている側にわかりやすく示す、キーアイテムなのだが・・・
竜の城でその場面が出てくるのはほんの一瞬なんだよなー
集中して見てないないと気が付かないことがあるほど。
これはわざとやっているとしか思えない。

【母親の喪失】
サガフロ2だと、「母の喪失」は
ギュスターブの自立とフィリップの「ノール公であることへの執着」
の根拠づけになっていて、その位置付けが明確だ
一方、竜とそばかすの姫での「母の喪失」の位置付けは?
あんまり、はっきり書いていない、なので想像することしかできない。
すずは、母親を失ったのは母親自身の決断なので、母親を憎むしかない。
でも、母親はすでにこの世にいないので、かわりになったのは歌、歌は母親の愛の思い出であるとともに憎しみの対象っているように見える。

【すずはバーチャルの世界でなぜ歌えたんだろう?】
そいういう不安定な状態にあるのですずはリアルの世界で「歌えなくなって」しまっている。歌おうとすると恐らく、心より先に体が反応してしまうんだろう。逆にバーチャルで歌える理由もわかる気がする。歌いたい気持ちに仮初の体である「ベル」は拒否反応を起こさないんだと思う。そして、すずがバーチャルの世界で歌姫になったのはその技量もさることながら、すずの心の悲しみ、母を愛しているけど、憎んでもいる、誰かこの矛盾した気持ちを聞いてほしい、という思いが位置エネルギーみたいな感じになって、<U>の住人の心を打つ、というロジックになっているように見える。
この作品のコンセプトって
「VRもリアルも自分の心を通して繋がっている」
ってことなですかね?
私は事前知識一切なしで見ているんでこの結論でも納得しますが、他の人はどうなんだろう?
だとしたら、後半のストーリがガンダムF91やターンAっぽく見えるのはわかるような気がする。VR=ガンダムみたいなんだよなー、人々の共感力を高めるという意味で、特にF91のバイオセンサーみたい。VR=ガンダムだとすると、後半のすずはガンダムから「人々と共鳴する力を得て、無敵になったカミーユ」にも見えなくもない。カミーユは新訳の方では仲間に守られて精神崩壊しなかったけど、すずもああなったのは仲間がいたからなんだろう。

【最後に】
すずの母の死が持つ意味って、すず/ベルの行動から推測して行くしかないから、非常に掴みにくいように見える。
この手法、どこかで見たことあるなーと思ったらGレコなんだよなー
Gレコはキャラクターの気持ちをその行動から推し量ることを半ば強制したせいで「めっちゃわかりにくい」と言われたんだけど、同じような手法でヒット作を作った細田監督はやっぱりすごい人ですよ・・・


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