神話

ノートを取れ、メモを取れ。一度は言われたことだろう。私も他に漏れず小学校1年から数々のノートを文字でうめてきた。その習慣からか、日本人はノート神話が根付いている気がする。あえて、日本人はとしたのは海外のことはよくわからないからだが、傾向が強い気がするというその直感はあながち間違ってはいないだろう。絶対に見返さない小学生の漢字の練習もノートにしていたのはノート会社の陰謀なのではないかとすら思う。
そんな風によくわからないままノートを取り続けてきたが、大人になるにつれて自己判断でメモをするようになった。それでも自己判断を否定される時はやってくる。それが特に顕著なのがアルバイトだ。作業を教えられ、ふむふむと思いながら聞いていると、「メモを取りなさい」と。時には話を聞いていない扱いすら受ける。いや、その程度のことにメモいる?みたいなタイミングもしばしばあるけれど、もう面倒くさくなって何も考えずに書いているポーズを取る。しかし取らされたメモを見ながら万全を期して作業しようと思うとそれでは遅すぎるのである。結局はそんなもの見なくても自然と体が動くレベルを求められる。そしてメモを実際に振り返った例は非常に稀だった。
結局あのノート、メモは何だったのだろうなと思いながら、今まで消費した紙に追悼の意を込めて黙祷する。

9/23

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