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NHKドキュメンタリー「ノーナレ」 川崎サウスサイドラップ

 2019/8/12にアップしたやつ。

 NHKドキュメンタリー「ノーナレ」 川崎サウスサイドラップ
 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4253/2257094/index.html

 多くの人にとって、南北に長い「川崎市」という町は「点」でしかないのではないかと思う。第一京浜、第二京浜、国道246号、京浜東北、京急、東横、田都。東京都から神奈川県方面へ、東から西へ、繋がる数多い道路や路線の中で、川崎市が占める区間は狭い。それらは川崎市を一瞬で横切っていく。
 一方で川崎市を南北に繋ぐ路線や幹線道路は、最大5輌の南武線と府中街道くらいしか見当たらない。川崎を南と北に繋ぐ交通網は、脆弱ですらある。
 川崎市は南北に分断されていると言うのはよく語られるところで、それはその行政区画の形状と交通網のゆえではないかと、私は思っている。私鉄の中核駅には小洒落たショッピングビル、駅から丘陵地帯に造成された住宅地には整然と戸建てが立ち並ぶ「北部」と、京浜工業地帯の中核をなす工場群とそこで働く労働者を慰める公営ギャンブル場や多くの居酒屋がひしめく「南部」。あまりにもステロタイプな分類だし、ここ10年で「南部的なもの」はつるりと「北部的なもの」に飲み込まれつつある(と個人的には感じる)のだが、しかしそれでも、川崎の南、と言う言葉が想起させるイメージは、工場と煙突から立ち上る煙なのではないかと思う。
 その「南部的な川崎」に生まれ育ち生きるラッパーたちの姿を追ったドキュメンタリーがこの「川崎サウスサイドラップ」だ。
 彼らは言う。「普通じゃないのが普通」。片親の家庭に育ったこと。父親が病気になり生活保護を受けたこと。在日外国人であること。暴力が身近にあること。彼らの町ではみんなそんな感じなのだと。
 それゆえの生きづらさ、社会からの疎外感、重たくて抱えきれないものを、トラックに、リリックに、昇華させている。「涙の数だけ強くなれるなら俺が最強」。「北部の進学校入った すぐわかった胸の葛藤 俺は他の奴と違うと」。
 彼らの環境は彼ら自身が言う通り「普通じゃない」のかもしれないけど、では「普通」とは何なのだろう。同調圧力の強いこの国で「普通じゃなく」行きて行くのはつらい。きっと想像以上に。普通と言う概念は、マジョリティの無言の暴力なのではないか。普通になれないと言うことで多くの人が胸に苦しさを抱えるなら、普通と言う概念などなくなってしまえばよいのではないか。
 私は最近よくそんなことを思う。そしてこの番組を見てもそう思った。
 酒場で、駅前で、ラップしても、毎日のしんどさは変わらないけど、ラップすることで誰かと繋がり、思いを吐き出し、気持ちを新たにし、また繰り返す日常に泳ぎだして行く。願わくばその営みが彼らにとって過酷では無いものであるように。全てのしんどさを抱える人にとって同じであるように。私も必死で日々を繰り返す。彼らみたいに。みんな同じ。私も。彼らも。あなたも。

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