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第11話『ホシノシズク』

——毎日が楽しくて。
——嫌なことも、すぐに楽しみの中に流されていく。
——ずっとずっと、そんな風に世界は続いていく。
——アタシは、そう信じていたんだ。

——これはアタシの、最高で最悪な、あの頃の話し。

"Offline hearts:May's lovely bad memories."

「メイちゃーーん! 待ってぇーー!」
後ろから、ドタドタと言う足音と、アタシを呼ぶ声が近づいて来る。
誰の声かって?
そんなもの、振り向かなくたって分かる。
だって、これはアタシの一番の親友の声だから。
「誰が待つってぇ?!」
アタシは走る。
声はどんどん遠ざかる。
「ちょ、ちょっと、待ってよーー!」
声がもうこれ以上ないってくらい小さくなったところで、アタシは止まる。
すると、今度は足音が少しずつ聞こえてくる。それが大きくなって、吐息まで聞こえるようになったら、アタシは振り返るんだ。
「メイ……ちゃん、速、過ぎ」
振り返ると、そこには肩で息をするシズクがいた。
シズクが呼吸をする度、おさげ髪と、ガラスで出来た、可愛らしい星型の髪留めが揺れる。
アタシは、それを見るのが好きだった。
「昨日、メール返さなかった罰だよ」
「それを謝ろうと思って、早めに家を出たんだけどな……」
彼女は、ホシノシズク。
驚くほど綺麗な響きの名前を持つ、驚くほど可愛い女の子だ。
そして、驚くべきことに、彼女はアタシの親友なのだ。
「謝る前に、メール、返してよ」
アタシはなるべく意地悪そうに言う。
「ええー! 言葉よりメールが大事なの?!」
シズクは驚いたように言った。反応がいちいち大袈裟で可愛らしい。
「当然!」
アタシの言葉に、シズクはおずおずとスマホを取り出した。
「誰も、見てない、よね?」
シズクは辺りを見渡す。
アタシ達の学校、私立御法川小学校は、当然ながらスマホの持ち込みは厳禁。でも、生徒達の多くは、こっそりとスマホを持ち込み、先生の目を盗んでは、チャットやゲームに明け暮れていた。
「誰も見てないって。ヘーキヘーキ」
けれど、シズクは違う。
シズクは、何ていうか、古風? な女の子で、趣味は読書と天体観測。調べ物は大人に聞くか図書館へ行くか。コミュニケーションは会話に手紙と言った具合で、とにかく必要以上にはスマホを使わないのだ。
「本当かなぁ……」
「だいいち、先生に見つからなければ大丈夫でしょ。みんな持って来てるんだから、チクる人なんていないって」
「でも、私、学校ではスマホ使わないから、持って来てるってバレると、色々面倒だと思うんだよね」
シズクの言っていることは、少し分かる。
シズクは学校にスマホを持って来てないというのを理由に、クラスやその他の集まりのグループチャットの返信をしなくて済んでいるのだ。
「何が面倒なのかなぁ。チャット、楽しいじゃない?」
シズクは、スマホで必死にメールを打ちながら答える。
「私、こういうの苦手だし……送ったよ」
アタシのスマホが、ブーっと震えた。取り出すと、シズクと撮ったプリクラの画像が画面一杯に映し出されている。シズクもアタシも、溢れんばかりの笑顔。でもやっぱり、シズクの方が可愛い。アタシは、どんな表情をしても男子みたいだ。
「いいなぁ、シズクは。女子感溢れてて」
シズクは、笑いながら言う。
「そのプリ見る度に落ち込むのやめてってば!」
「アタシも髪伸ばそうかな」
アタシは、アタシの短い髪を引っ張りながら言った。くせっ毛のせいで、あちこちはねている。
「私は、メイちゃんの髪好きだよ。それに、バレーやるのにロングは邪魔でしょう?」
「それは、そうなんだけどさぁ」
バレー。皆に誇れるアタシの特技。でも、この特技のせいでアタシはかすり傷が絶えない。それもアタシを男子らしくさせている気がして、なんだか癪だ。
「そんなことより、早くメール確認しちゃってよ」
シズクに言われて、アタシは「そうだった」と、画面に目を戻す。新着メールには、「昨日はゴメンネ」と書かれていた。ネコが大汗をかきながら土下座している可愛らしい絵文字もある。
「これで、許してもらえるかな?」
スマホから顔を上げると、シズクの大きな瞳がアタシを見つめていた。長い睫毛に縁取られた、真っ黒な瞳。あちらこちらがキラキラと輝いている。宇宙をギュッと小さくしたら、こんな感じかもしれない。
シズクのその瞳を見つめる度に、アタシは、そう思うのだった。
「メイちゃん?」
シズクの声で我に帰る。
「あ、ゴメン。うん、許す」
「軽っ! 軽いよメイちゃん!」
シズクは、腕をブンブンと振り回しながら抗議する。……可愛いなぁ、もう。
「じゃあ、一生許さないし、毎日呪う」
アタシは歩くペースを速めた。
「えーー!」というシズクの声を背中に受けつつ、アタシは通学路を歩いていく。
毎日がこうで、そして、だから、毎日が楽しい。それは、これから先ずっと続いていく。シズクと一緒にいると、アタシは、そう思うんだ。

学校に着くと、アタシとシズクは分かれた。アタシ達は親友だけれど、今年は別々のクラスなのだ。小学校生活最後の年がシズクと別々だというのは、少し、いや、かなり残念だ。
教室に入り、アタシは退屈な授業を受ける。時折、スマホで仲のいい友達とチャットをしながら。
チャットの内容は、昨日観たテレビがどうとか、あの漫画の最新話がこうとか、授業や親兄弟の愚痴など、他愛もないものだ。
でも、心なしか、今日は話の流れが遅いように感じる。

3時限目と4時限目の間の5分休みの時、クラスメイトのリンカが話しかけてきた。
「メイちゃんてさ、シズクちゃんと仲良いよね?」
アタシは、当然という態度で大きく頷く。
「うん、最高の友達だよ」
リンカは、けたけたと笑った後、「見てて分かるよ!」と言った。そして、
「でもさぁ、シズクちゃんて学校にスマホ持ってきてないから、休み時間くらいしか話せないよね?」
と訊いてきた。
アタシは一瞬だけ答えを考えてから、「そこがネックなんだよね」と答えた。
みんなの中では、シズクは学校にスマホを持ってきていないことになっている。だから、アタシもそういうことにしておいたほうがいいと思ったのだ。
「なるほどねー! でもさ、逆に良かったんじゃない? もしシズクちゃんがスマホ持ってきてたら、メイちゃん、シズクちゃんとばっかりチャットしちゃいそうだもん。そしたら、他の皆とお話ししなさそうだし!」
そう言って、リンカは、またけたけたと笑う。
アタシは、ちょっと想像した。
もし、シズクがチャット好きだったら、アタシはシズクとばかりチャットをしているだろうか。

うん、きっと、そうに違いない。

「かもね。そしたらアタシ、浮いちゃってたかも」
「だよだよ! 現に、シズクちゃんはちょっと浮いてるし」
そう言われて、アタシはドキっとした。
もちろん、シズクは浮いている。それは確かだ。でも、それを口に出して言われると、なんだか嫌な感じがしたのだ。
「でも、そこもシズクのいいところだよ」
アタシは、知らず知らずのうちにシズクをフォローしていた。
「はははー、それはそうかもねぇ!」
リンカは、けたけたと笑う。
でも、その目は笑っていない。
アタシには、そう、見えた。
「みんなー、席に着けー! 4時限目始めるぞー。これが終わったら飯だぞー。先生はもう腹ペコだぞー」
担任のナメカワ先生が、教科書とプリントを抱えてやって来た。4時限目開始の合図だ。
リンカは、軽く手を振ると、「じゃ、またあとで!」と、席に戻っていった。

なんだかよく分からないもやもやを抱えたまま、アタシは午前中を終えた。
昼休み。
アタシは、北側校舎と南側校舎を繋ぐ連絡通路にいた。
ここには椅子と丸テーブルが置かれ、休み時間には、女子がおしゃべりをしたり、男子が定規で遊んだり、そして、時には、誰かが誰かに告白するのに使われる場所となっている。
アタシはもちろん、シズクとおしゃべりするためにここに来たのだ。
「ごめーん! お待たせぇ!」
シズクが、朝と同じように駆けて来た。
アタシは、そんなシズクに「廊下を走っちゃあ、いけません!」と注意する。シズクの担任、カドノ先生の真似だ。
シズクは、「はい! ごめんなさい!」と頭を下げる。
アタシ達はそのまましばらく固まったあと、同時に笑い出した。
「メイちゃん、最高! カドノ先生のモノマネやらせたら一番だね!!」
「まぁね。コツは、"走っちゃあ"と、"いけません"の間に一拍置くことだよ」
そんなやりとりから始まったアタシ達のいつもの時間。
ああ、やっぱりこの時間が好きだ。
アタシは、午前中のもやもやを徐々に忘れていった。
シズクは、午前中にあった様々なことをアタシに話す。カドノ先生がまた机につまずいただとか、サトウくんの宿題を忘れた理由が今日もメチャクチャだったとか、そんな、他愛もないこと。でも、シズクの声を聞いているだけで、アタシは幸せだった。

しかし、楽しい楽しい昼休みも、あと5分となったところで、シズクが声のトーンを落とした。

「でもね、なんだか今日、変なの」

「変?」
アタシがそう聞き返すと、シズクは頬に手を当てて、首を傾げた。
「なんだかね、皆、いつもよりそっけないっていうか、よそよそしい感じがするんだよね。……私、また何かしちゃったのかなぁ」
シズクは、おっちょこちょいなところがあるから、たまにとんでとないミスをする。でも、それらは大抵笑えるもので、だから寧ろ、皆それを楽しんでいるところがある。
なので、アタシはこう言った。
本当は、他に引っかかっていることがあるのに。
「シズクが何かしたなら、皆よそよそしくなるんじゃなくて、爆笑するでしょ。だから、気のせいだよ」
その言葉に、シズクは、ぱあっと笑顔を見せる。
「そっかぁ、そうだよね!! ありがとう、メイちゃん!! お陰で気が晴れたよ!!」
シズクは目一杯の笑顔でアタシに礼を言うと、「そろそろ戻らなきゃだね」と言って、席を立った。

——ああ、ダメだよ。
——ダメだ。気にさせなきゃダメだ。
——ここから全てが崩れるんだ。
——言うんだ。午前中に感じたもやもやを言うんだ。

「そうだね、じゃ、戻ろっか」

——そうすれば、シズクは死なずに済んだかもしれないのに——

#小説 #青春物語

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