閑話休題その3『帰還不能点』
「それじゃあ、二学期も元気で会いましょう! ……カズキぃ、宿題、楽しみにしてるからねぇ」
担任のミキヤ先生がそう告げると、カズキくんはニヤけながら、「そう言われると、出すしかないのねん」と言った。
あたしはすかさずツッコミを入れる。
「いやいや、宿題は出す以外の選択肢ないから!」
クラス中に、どっと笑いが起きた。
「タマキさんの言う通りよ。よろしくね、カズキ!」
カズキくんの「ふぁーい」と言う気の抜けた返事と共に、一学期が終わった。多分、あの様子では、カズキくんは今回も宿題をサボるだろう。
そんなことを思いながら、あたしは帰り支度をし、友人であり、同じ部の仲間でもあるリコと帰路に着いた。
あたしはタマキカズミ。
自分で言うのもどうかと思うけれど、駒玉中学校陸上部のエースで、この2年3組のまとめ役。
毎日楽しく過ごしているし、友達だって多い。あらゆる面で、恵まれた境遇だとは思う。
——でも、気にくわないこともある。
「タマキ、夏休み入っちゃうけどさぁ、例の写真、どうする?」
リコは、早速そのことを尋ねてきた。
あたしが決めかねている、そのことを。
「そうねぇ……」
例の写真——。
これをしてしまったら、後へは戻れない気がする。
——ここが、最後の一線だ。
そうして、あたしがどうするか考えあぐねていると、リコが素っ頓狂な声を上げた。
「あー! ナルちゃーん! 今帰りぃ?!」
リコが声をかける先には、ナルちゃん——あたしの妹——ナルミがいた。
ナルミは、振り返って答える。
「リコ先輩! ……と、お姉ちゃん……こんにちはぁ」
ナルミは、あたしの顔を見た途端、露骨に嫌な顔をした。
「帰るんなら、一緒に帰らない?」
リコが尋ねる。しかし、ナルミは首を横に振った。
「せっかくですけど、友達と帰るんでぇ!」
そう言って、ナルミは走り去っていった。
「なぁんだ、つれないね」
リコの言葉と、ナルミの態度が、あたしの胸に突き刺さる。
ナルミは以前、あたしにべったりだった。
あたしが歩けば、ナルミは並んで歩いた。
あたしが髪を結べば、ナルミも結んだ。
だから、あたしが陸上部なら、ナルミも陸上部へ入る……はずだった。
けれど、中学に入ってからは、段々とあたしとの距離が離れていった。
それが、あたしは気に食わなかった。
思春期という言葉で片付くなら別に構わない。
——けれど、理由は他にあった。
「ま、ナルミも日々成長してるってことでしょ」
口ではそう言って分かったふりをしているが、あたしの心中は穏やかではない。
「タマキぃ、お姉ちゃんとしては、寂しいんじゃなぁい?」
リコはからかっているつもりだろうが、あたしにとっては、まさに図星だ。
「何バカなこと言ってんのよ。さ、行きましょ」
下駄箱へ向かい、靴を取る。下駄箱を抜けると、そこは吹き抜けになっていて、大きな階段がある。 階段を下りながらあたし達は、さっきの話の続きをした。
「写真は流石にやり過ぎかな」
言いながら、あたしは、アイサンの画像フォルダから、以前リコに送ってもらった画像を表示する。
肩にかけられたバスタオル。
真っ白な背中。
突き出された小さなお尻と、びっしょりと濡れた、脱ぎかけの水着。
引き締まった脚は、女のあたしから見ても魅力的で、それが癇に障った。
後ろ姿ではあるが、特徴的なショートヘアで分かる。
これは確かに——ホリキタメイだ。
「しかし、何度見てもムカつくくらい綺麗に撮れてるわね」
「写真家の腕がいいから」
そう言って、リコはニタァっと笑った。
この写真は、つい最近の体育の時、あたしがリコに頼んで撮らせたものだ。
吹き抜けを出て、掲示板を過ぎる。
「綺麗過ぎて、なんか芸術作品みたい」
「モデルがいいから」
あたしがムッとしてリコを睨むと、リコは口笛を吹いて視線を逸らした。つかみどころのない娘だと思う。
「でも、後ろ姿でも誰か分かるのはマズいわよね」
少なくとも、普段から彼女を見ている人は絶対に分かる。そういう写真だった。
「タマキでもそういうの気にするんだ?」
言いながら、リコがあたしの顔を覗き込む。
ホリキタメイの後ろ姿と、リコの顔が重なった。
「じゃ、やっぱやめとく?」
「うーん」
あたしは逡巡する。
写真の扱いを考えながら、何の気なしに体育館の方を見やる。
——その時、そこに、嫌なものが、見えた。
「あれ、ナルちゃんだねー。隣にいるのは、えーっと、一年のコと……ホリキタちゃん?」
そう、ナルミがホリキタメイと一緒にいたのだ。
だからあたしは、どうしてもそのことを思い出してしまう。
可愛いナルミが、あたしから離れていった理由。
——それは、ホリキタメイだった。
ホリキタメイがバレー部だったから、ナルミはバレー部に入った。
ホリキタメイがショートヘアーだから、ナルミも髪を切りたがった。
そして、ホリキタメイが帰るその道を、ナルミは並んで歩くのだ。
——ホリキタメイがいるから、ナルミはあたしから離れていったのだ。
許せない。
許せない。
許さない。
——許さない。
「リコ——」
リコが振り返る。
「ん?」
あたしはついに、その言葉を口にした
「——写真、使お」
瞬間、リコは驚き、それから、ニタァっと笑った。
「悪いんだぁ、タマキってば」
明日から夏休みだ。
大事にはなるまい。
とはいえ、誰かの目には止まるだろう。
ホリキタメイ。
あたしからナルミを奪った女。
せめて、誰かの頭の中で辱めを受けるがいい。
——そうして、あたしは、一線を、越えた。
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