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【ケーキ七不思議】ケーキ屋は誰のものか

高円寺編の『ラレーヌ』の謎の続報。店の人に直接聞いてみたところ、東高円寺のラレーヌ跡と現ラレーヌは、特に関係はないのではとのこと。ほんとかなぁ。ラレーヌをめぐる時系列も調べてみた。

①2007ラレーヌ設立(本間シェフ)→②2008週刊文春ロールケーキランキング1位→③2011ジュンホンマ吉祥寺開店→④2012ラレーヌ三越恵比寿進出→⑤2013ラレーヌ、泉屋(クッキーの老舗)傘下入り→⑥2014ジュンホンマ高円寺進出→⑦2014ラレーヌ新チーフシェフ就任→今ココ
うーんこの。

『ラレーヌ』はフランス語で"女王"。洋菓子の女王を目指したネーミングとのこと。とはいえ、本間シェフはあくまで雇われシェフの身だったらしい。ラレーヌ設立時のインタビューでは、"安心安全"とか"様子を見つつ"とかの手堅い単語が並ぶ。もっと自分の手腕を気兼ねなくふるいたい葛藤があったんだろうか。袂を分かった真の理由はわからないけど、少なくともオーナーシェフとして本当の意味で自分の店をもちたい気持ちが本間シェフにあったのは、間違いないと思う。オープン4年目、人気を博していた2011年の時点でのスピンオフは、のるかそるかの決断だったのかもしれない。

雇われシェフからオーナーシェフへの転身といえば、なんといっても、自由が丘の『ラヴェイユフランス』の金子シェフが白眉だと思う。この店は尖ってるけど王道。問答無用でお客の舌をねじ伏せにくる名店だ。2003年に、オフィスコーヒーやリゾートを手がけるユニマット社資本でオープン。きっかけは、当時パリで修業中だった金子シェフの手紙。帰国後にオープンしたいケーキ屋に関する熱いプレゼンの手紙。これにユニマットがのっかった。ハイライトは、その6年後の2009年。金子シェフは店をユニマットから買取って、オーナーシェフの座を手にするのだ。当時はまさにリーマンショックの余波の最中。キャッシュを確保して事業をスリム化したいユニマットと独立したいシェフ、両者の思惑が合致したんだろうか。絵に描いたような成功談だと思う。

パリセヴェイユの値段はどうやって決めたのだろう。シンプルに将来キャッシュフローで試算したのか。あるいは、投下資本に利息分がのれば御の字、くらいの状況だったのか。はたまた、独立したい金子シェフが、ユニマット側の言い値をえいやで呑み込んだのか。

将来キャッシュフローは、どうやって想定するのか。構成はシンプルだろうけど、売上の想定がしんどそう。客足は水物だ。雑誌の効果でロールケーキが評判になったとても、その神通力も5年は続かない。設備投資して回復するというものでもない。安定した売上には、味に加えて、人目を惹く商品開発力と巧みな情報発信力が欠かせないと思う。大手資本であれば、それこそ定期的に雑誌にとりあげてもらったり、旬のシェフを取っ替え引っ替えしたりできそうだ。そういえば、雇われシェフ業界では、どのくらいサラリーの格差があるのかしら。ケーキは見た目とかを模倣しやすいし、厳密に勝ち負けがあるわけでもないことを考えると、スポーツとかお違い、一部のスターシェフ以外はあまり差がないと思われる。ならばということで、やっぱり皆、独立志向になるのかも。相応のリスクを背負うことになるけども。

手紙ひとつでチャンスを開拓するのは、そうそうできることではない。ならば、例えば、はじめから土地や建物、設備があれば、相当のアドバンテージだろう。

秋津と江古田に店を構える『ロートンヌ』は、先代は和菓子屋だったらしい。これを洋菓子に鞍替えして、職人さんも引継いだようだ。浮いた分の資金を贅沢に使えたからか、2ヶ店目の江古田の店は、駅徒歩30秒、外装も内装も凝ったオーダーメイドで、羽振りいいよなぁと思う。(都心から離れてるからこそ、かもしれないけど)。ぱっと見ケーキ屋に見えないクールな外観、ズンズンBGMが鳴り響く天井の高い店内は、まさに一国一城という単語がしっくりくる。

ちなみに、ラレーヌの現チーフシェフは、昔ロートンヌで働いていたことがあるらしい。だからなのか、両方の店で供されているチーズフロマージュは、わりとそっくりだ。見た目とか中にパインが入ってる構成とか、少しだけ塩もきかせた味つけとか。

両者のストーリーに想像をめぐらせながら食べるチーズフロマージュは、なんというか、実際以上に塩味を感じる、ような気がする。

(2016/7/30)

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