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暴力

夜中の出来事

ある深夜の事だった。
俺は寮の部屋でパイプのロフトベッドで寝ていた。

基本は部屋の鍵はかけていないのだがドアが開くとNさんがそこに立っていた。
俺は気配に気がついたけど嫌な予感がしたので布団に潜り寝ているふりをした。
平日の夜中の1時だ。翌日には早朝から仕事がある。
そんな時間に「おい飲みに行くぞ」と言うNさん。
行きませんよと断ったのだが既にベロベロに酔っ払っていたNさんは俺を掴み起きろとグラグラ揺すった。
この日はいつもより酔っていてしつこかった。
するとNさんは反対側を向いて寝ようとする俺の髪にライターで火をつけた。
酔っているとは言え、度が過ぎた行為に俺は怒り「止めてくださいよ」と言ってNさんを睨んだ。
「なんだ怒ってるのか?」と逆ギレするNさん。
少しの間、睨み合いになったのだがNさんは「もう来ねぇよ」と怒ってバーンとドアを閉め去って行った。
帰ってくれたのでホッとして寝ようとしたのだが外からガシャーンと音が聞こえた。

まさかなと思ったけど気になって仕方なかったので起き上がって外に出た。
寮の目の前に停めていたGSX-Rが蹴られて倒れていた。
GSX-Rは俺の命の次に大事なものだ。
倒れたバイクは元に戻したけど怒りは収まらずにその夜は全く寝れなかった。

翌朝仕事には絶対来ないだろうと思っていたNさんだったけど早朝から来ていた。
会ったら怒ろうと思っていたけど時間が経ってピーク時よりも俺の怒りは収まっていた。
何もなかったように振る舞うNさん。昨日は酔っ払ってて何をしていたか憶えていないと周りには言っている。
俺は許せなかったのでNさんを無視した。

同僚の若手達にその夜の事を離すと災難だったなと慰められたのだが怒りの収まらなかった俺は社長にあった事を話してNさんとは一緒に働きたくないと伝えた。
社長はNさんについては「しょうがないな〜」と一言だけで片付けてしまっていたが、自分が真面目に働いている事は評価してくれていたようで他の仕事が出来る職人さんの現場に移動させてもらう事になった。

自分の変化

その夜の出来事から自分を変えなければと思った。
仕事で下っ端だからと言って何でもハイハイ言うのはやめようと。
一、吾々は礼節を重んじ長上を敬し 粗暴の振舞いを慎むこと
高校の時からずっとこれを思って生きていた。しかし現実はもっと残酷で言葉など糞だ。この世は弱肉強食、食われるなら食ってやろう。
年上だからと言って偉いわけではない。
要は仕事が出来るか出来ないかだけが現場の中での上下であって19歳だろうが60歳だろうが何年やっていただろうと出来ないヤツは出来ないし、仕事を始めてまだ一年も経ってない俺より使えないような人は問題外だと思うようになった。
アル中やら嘘つきやら癖の悪い人達が多い会社だった。
俺は今までと違って理不尽な事や違うと思った事には反抗するようになった。
それによって爺さん軍団は俺を他の若者と同様に敵対視するようになったのだが俺はそれで十分だった。
それから若い連中との結束は強くなっていったものの一部の出稼ぎ爺さんとはちょいちょい揉めるようになった。

寮の隣部屋はドケチな出稼ぎ爺さんのSと言う奴が住んでいた。
食堂に置いてあるマヨネーズは俺のものだから使うなとか言い、仕事帰りのバンでは若者が買ってきたビールは遠慮なく頂くけれど自分が買うことなど一切ないような男だ。
そんなドケチでも故郷の東北には孫までいる。
SとはNさんの現場で一緒にペアを組まされていた事もあったが一切良いイメージがなく嫌いなヤツだった。

とある夜中に歩いて近所のセブンイレブンに行ったのだが帰ると目を疑う光景がそこにあった。
寮の目の前には俺のバイクとバンが置いてあったのだがバンに向かってSが当たり前のように立小便をしていたのだった。
暗闇から「おい」と後ろから声をかけるとSは慌てて小便を車じゃない別の方向へ向けて逃げようとした。
俺はSの禿頭を思い切り叩いた。
さらに逃げるSの背中に蹴りを入れたのだがSはダッシュで部屋に逃げ帰った。
部屋まで追いかけてボコボコにしてやろうとも考えたけど相手は酔っぱらいの老人だ。
怒った俺は部屋に戻り怒り狂って叫んだ。
「マジで殺す」とか叫んでいたのだが、時間が経つと信じられない事に空気の読めないSは怒る俺にうるさいですよと壁をノックしてきたのだった。
「殺すぞ」と叫び思い切り壁を叩いたら石膏ボードの内壁にはデカい穴が空いた。
この日もNさんが襲撃してきた夜と同様に全く寝れなかったのだが朝になると社長に電話をして「今日の仕事が終わったら話があります」と伝えた。

退社表明

現場から帰ったくらいの時間に社長が部屋に来た。
まず初めに壁を壊した事を謝罪し昨晩の出来事を話した。
前のNさんとの出来事も話していたので、この2件を理由にもうこの会社は辞めますと伝えた。
入社からちょうど一年くらいは経っていた。
「なんだ長南、これからだって言うのに残念だ」とこっちは決意を持って伝えたのと反対に軽い感じで社長は了承してくれた。
12月末までは働く事を伝えて、俺の初めて勤めたD建設は退社する事になった。

退社について納得してくれなかったのが先輩だったタカヒロ君達だ。
「何であいつが辞めてそれで引き止めもしないんだ?」タカヒロ君は涙を流しながら社長に訴えていた。
その話し合いは寮の中でも1番広い大部屋で行われていた。その部屋の住人が俺を呼びに来た。「タカヒロが泣いているよ」
俺が大部屋に行った時は社長は帰っていた。
タカヒロ君は一年一緒に働いていてプライベートでも仲が良かった俺がいなくなるのが辛かったようで確かに涙を流し俺に「辞めるなよ」と言う。

仕事自体はキツくてもいくらでも我慢できた。
ただ10代だった俺には就職してから、これが真面な大人達なのか?と幻滅させてくれた奴らが沢山いてこの会社でこれ以上我慢して働く必要は無いと思った。
自分に直接何かやってくるのであればまだ解るのだが自分には何も出来ないくせに自分が大事にしているものに危害を加えるような卑怯者とは一緒に働く必要など無い。

それから何度もタカヒロ君達と話し合って俺の決意が揺るがない事は解って貰えた。

地元にいた時は好きな事をやって生きてきた人生だった。
上京して人にこんなに必要とされたのは生まれて初めてだった。
自分を必要される事の嬉しさと、別れの悲しさ、大人というものへの喪失感、さまざまな感情が俺の中に入り乱れていた。
入社して一年が経ち俺は20歳になっていた。
たった一年だけどとても長く感じた一年だった。今になって思い返すと初日に寮の部屋でメソメソ泣いていた俺はたった一年で別人のように成長できたと思う。

リベンジ

最後の2ヶ月は浅草の河童橋のマンションが現場だった。
Aさんと言うテキパキ働く職人さんが頭で争いもなく平和に仕事の事だけ集中する事が出来た。
たまに請け負いで仕事をしているIさんと言う人のところへ応援に行ったりしてその人も仕事が出来る人なのでとても勉強になった。
これが普通なんだよなと辞めると決めてから解った。

Nさんの現場は相変わらず騒がしくしているようだった。
雑な仕事をするNさんと細かいタカヒロ君は仕事のやり方が全く合わなかった。
仕事終わりにタカヒロ君達と飲みながら話すとだいぶストレスが溜まっているようでそれは爆発寸前だった。

ある日の事だ。
寮の部屋にタカヒロ君の弟のジュンジ君が来て「今からNさんを呼び出して俺がやる」と言う。
ジュンジ君は襲撃用にトラックから鉄パイプを用意していた。
随分物騒だなと思ったけどタカヒロ君を始め現場でのNさんに対して不満がある人間が大部屋でNさんを待ち構えた。

ジュンジ君が呼び出しの電話をすると「今から行ってやるよ」と怒りY32を飛ばしてきたNさん。
鋭い眼光でジュンジ君を睨み「話って何だよ?」と怒っていた。
その後はタカヒロ君兄弟とNさんは現場のことで言い合いになっていた。
Nさんが親方なのに仕事に穴を空けるから代わりに現場を引っ張っていたのは当時23歳のタカヒロ君だった。

その言い争いに自分が関わる必要はないので黙ってそれを見ていた。
会話は平行線を辿っていたがタカヒロ君達が俺のバイクを蹴飛ばした件について話し始めた。

するとNさんは「何だそれは?知らねぇよ」と言いこいつが辞めんのに俺は関係無いみたいな事を言った。
俺の気持ちはあの日の夜に戻った。

先輩達に俺の事で代わりに怒ってもらうのはダサいと思い、俺は立ち上がるとNさんに近づき「おめぇは酔っ払って俺のバイクを思い切り蹴飛ばしてるんだよ」
と言ってNさんの胸ぐらを掴んで座っていたNさんを引っ張り上げた。
Nさんは90kg以上はあるのでかなりの力を出した。Nさんは驚いた様子で怒る俺の目を見ながら俺の両肩を掴んで抑えていた。

俺はNさんを殴った。
高一で極真を始めてから拳はずっと封印してきたので空手以外で人に本気で攻撃をするのは久しぶりだった。
Nさんが掴んでいたからクリーンヒットはしなかったもののその後に追撃しようとしたら周りのの全員に抑えられその後、顔が少し腫れたNさんは床に手をつき俺に謝罪した。

バイクを弁償すると言うけどレバー曲がってウィンカーの付け根のところが穴が空いて傷がついたくらいだったのでお金とかはどうでも良かった。

謝るNさんはいつも横柄で怖くてデカかったのにとても小さく見え虚しかった。
俺は殴っているし「もういいですよ」と言い虚しくなって自分の部屋に戻った。
一層逆切れでもしてくれて寮が壊れるくらいの大乱闘になれば良かったのに。
話し合いが終わり後から俺の部屋に来たジュンジ君もクールダウンして冷静になっていた。
「お前殴ってたな〜」と笑うジュンジ君。
あなた鉄パイプ用意していたのにと思ったけど、ぽっかり心に穴が空くとはこんな時のことを言うのだろうか?

Nさんを殴った話は寮内で一気に広まった。
出稼ぎ達の俺に対する見方が一気に変わっていた。
あいつを怒らせるとヤバい。
人生で初めて武力行使と抑止力について学んだ。
もっと早く暴れておけば細かい事で悩まずに済んだのかも知れない。

それから年末までしっかり働きバンに荷物もバイクも全部積んで実家に帰った。
関越トンネルを越えると雪国だ。それをロングボディーの2WDで北上していった。

お金は少々あったけど人生再びノープランになった。

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