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宮古島ウルトラマラソン(大嶧)

どうも。空白の1年を終えて、社会人を楽しんでいる大嶧です。

会社で100キロ走ると豪語したのに、75キロでリタイアした宮古島マラソンのレポートを書きます。鮮度は落ちましたが、気持ちは熱々です(?) 長文です。




宮古島に上陸し、気温差に驚く。
到着後、少し時間があったため来間大橋を観光する。
早速、市役所で大会の受付をした。大会Tシャツのデザインが良くて嬉しい。ドンキで当日の朝食等の買い出しを済ませた。
ホテルにチェックインをして、地元の定食屋さんで晩御飯。シンプルなメニューだったけど、宮古そばも食べることができ満足。お風呂に入って、準備をして、21時過ぎには消灯。23時ぐらいまで寝つけなかったけど、あまり気にせず2時50分に起床。たぶん人生でいちばん早くめざましかけた(笑)
朝食は軽めに済ませて、大会会場へ。大城さんと会って、歓談しているといつのまにかスタート時刻が迫ってきた。ほとんど緊張することもなく、スタートラインに並ぶと雨をわずかに感じる。防寒着もカッパも無いことを不安に思いながらも、ぬるっとスタート。

5:00
最初は小林、大倉、佐竹、うのっきーと6:20前後で走る。次第に雨が強くなってきて、足元の水たまりが気になる。歩道が狭くてぬかるんでるところもあり、走りづらかった。こんなにも早朝なのに、沿道に応援してくれる方がいてありがたい。

10キロ地点に行くまでに本降りの雨となり、防寒具やカッパなしで走り始めたことを後悔。市街地に入り、スーパーかコンビニに入るか入らないか迷っていたら、佐竹から「ビニール袋買いましょう」の一言を受けて、一緒にファミマに入店した。あとあと振り返ってみると英断だった。

ここから伊良部大橋に向かう途中で濱畑と合流。たくさん余ってたビニール袋を渡す。まだ辺りは暗い。伊良部大橋に入ると暴風と横殴りの雨に最初はテンションが上がる。だんだんと心が無になるぐらい強い風に嫌気がさしてきた。橋はアップダウンもかなりあり、走っているうちに左膝に違和感が生じた。ゆっくりペースを守れば痛くならないと信じていたが、現実は厳しい。橋の折り返し手前では走れないぐらい痛みがでてきた。何とか折り返しまで走り、まきちゃんとあおいちゃんの応援で元気を貰う。補給食や痛み止め(イブプロフェン)を飲んで、ゆっくり5分以上は止まっていただろうか。Gaia関係者全員に抜かれて、最後尾を歩み始める。辺りも明るくなり、綺麗な海が橋から見える。

少し歩いてみたが、全く痛み止めは効かないし、走ろうとすると数歩で激痛が膝にはしる。20キロ地点から走るのは諦めて、競歩をすることにした。序盤も序盤なので、完走も遠のき気持ちが折れる。

本格的に競歩で歩くのは高校生ぶり。正式な歩き方ではないが、接地の時に膝を曲げないので、痛みを感じずに進めた。気を抜くと8分を超えそうになるが、ストライドを意識して着実に歩くと7分半前後と悪くないペース。腰や臀部の筋肉が持つか分からないけど、いけるところまでは行こうとひとり旅を続ける。

いっとき歩いていると、給水所で大城さんに追いつく。やっぱり一緒に参加する仲間に会うと元気も出てくる。膝は変わらず痛いが、抜きつ抜かれつ大城さんと前に進む。

9:30 スタートから4時間半
第一関門かつ炊き出し地点にいた松本と遭遇する。まだ半分行ってないのやばいっすよと言いながら足軽に走る出す松本をすごいなぁと見送る。まだまだ3分の1ぐらいだ。再び歩きだすと、向かいからくる小林、大倉に遭遇。濱畑にもここで追いつく。やっぱり一緒にいる仲間に遭遇すると元気がでる、最初はすぐリタイアかなと思ったが、47キロまでは頑張ろうと再度思い直せた。爆風の池間大橋も渡り切ると、応援2人が待っていてくれた。最初の伊良部大橋でどれだけ足が痛くても次会えるとこまでは頑張ると宣言していたので、有言実行できて良かった。ほぼ同じタイミングで大城さん、濱畑と橋を折り返し、第一関門を目標に歩き始める。またGaia最後尾となっていたが、いっとき歩いていると内臓が疲弊している濱畑に会った。何も食べれないと言っていて、エネルギー切れでしんどそうだった。ウルトラマラソンでカロリーを摂取できないのは致命的だ。本人の大丈夫という言葉を信じ、先に進んだ。

11:10
それから1時間後、第一関門に到着。50分前に何とか辿り着いた。目標より30分以上遅いが、たどり着けただけ良かった。
ゆし豆腐、おにぎり、ぜんざいを全て食べ、泥だらけで濡れている靴と靴下を変える。そして、個人的に最強だと思っているジクロフェナクナトリウムのローションを膝と足首に塗る。競歩で25キロ歩いたこともあり、いつもと違う筋肉や関節にも疲労がきていた。しかし、心身共にリフレッシュし、次の67キロ関門まで必ず行くと決めた。大城さん、濱畑と写真を一枚とり、エイドを出た。

第一関門で一枚


ペースはキロ7分半でギリギリ。今までのペースで行くと間に合うか分からない。ここから、ギアを入れ直して走ることに決めた。


走り出すと激痛が膝に走るが、だんだんと痛み止め(ローション)が効いてきた。少し競歩をはさみながら、怒涛の追い上げをする。自分に勝つと言い聞かせて、キロ6分台で着実に走る。何度も心が折れそうになったが、67までは必ず行くと決めた。

13:00
65キロを過ぎたとき、何とか貯金もできて間に合いそうだと分かったのも束の間、想定より1キロ以上手前に関門を見つけた。拍子抜けをして、エイドのボランティアの方に、ここは第二関門ですか?と聞いたほどだ。緊張の糸が切れた。エイドで果物やコーラを飲んで、ゆっくりして再び走ろうとしたが、身体が動かない。次の80キロ関門までは、今と同等以上のペースで行かないと間に合わない。ここで、俺のウルトラマラソンは終了した。制限時間までは歩けるところまで歩こうと思い、ゆっくり一歩ずつ歩く。どんどん抜かれていき、もはや後ろに人はいないのではないかと思った。

14:30
1時間半ほど、歩いていると70キロ地点に到達。もう前も後ろも誰もいない。そんな中、トボトボ歩いていると、後ろから見たことのあるTシャツを着た人がきた。なんと濱畑が追いついてきたのだ。しかも、足取りが軽い。理解できなかったが、梅とオレンジだけのエネルギーでここまで来たらしい。一緒に歩き始める。67キロの関門はギリギリ通過し、俺と同様に80キロ関門は諦めているようだ。その割に元気であった。75キロまで行くと、関門の時間を超えた。ちょうど大倉が80キロ関門に間に合わないという連絡をしており、いっとき歩くと合流した。そのまま、回収のバスを待ち、ゴール地点まで運んでもらった。

意外と気持ちはスッキリとしていた。練習不足、膝が痛い割には頑張った気がした。ただ、もう少し頑張れたのではないか、追い込めたのではないか、と思う。常にリタイアを選択肢に入れていたが故に、負けてしまった。

小林の軽やかなゴールを見届けて、元気をもらった。練習量からするとポテンシャルがあったのは間違いないが、それでも完走者3人/8人に入ったのは、努力と気持ちと天候などの運をバランス良く持ち合わせていたからだろう。
西川と松本に関しては、経験と練習量を見ると頭が上がらない。強さをみせつけられた。

意外と終わった直後ぐらいであっても、もう絶対走りたくないとはならなかった。俺は並々にならぬ準備をしないと完走できないのが分かった。人生の中で1回ぐらいは100キロ完走したいと思う気持ちの方が強い。人生における大切なことを取捨選択して、チャレンジすると決めたなら、入念に準備をして挑みたい。

ウルトラマラソンの結果自体には満足していないが、大学を卒業してもみんなで集まって大会に出れる喜びを多いに感じた。

ゴール後、集合写真


同じ釜の飯を食べ、語らう。大学時代から振り返ってみても、寝食を共にすることで深まる関係性を痛感した。冬の宮古島まで、自分が走るわけでもないのに応援に来てくれたまきちゃん、あおいちゃんには心より感謝している。相変わらずギリギリまでスケジュールを決めないGaiaの民ではあるが、みんな社会で頑張っているから、サボりどころが分かっているのだろう。

今後の話として、Gaiaだけではなく九州沖縄学連(もしくはさらに規模を拡大した組織)として新しく団体を作りたいと思っている。OBOGとして、みんなで大会にでれたら嬉しい。その第一段階としてこのnoteを作成した。トライアスロンを学生時代にしていた人であれば誰でも投稿できるようにするので、大会に出てブログを綴りたい人はぜひ大嶧まで連絡を。



以下、メモ

【当日の装備など】
補給食
・マグオン×6
・アミノバイタルショット(赤)×4
・スポーツ羊羹×2
・アミノサウルス×1
・エネもち×1(大城さんより頂く)
・ミニサラダ煎餅

1時間で補給食、給水と合わせて150〜200kcal摂取するよう心がけた。
バナナやオレンジはほぼ全てのエイドで食べた。アクエリを中心にとり、水やコーラは気分でとった。

装備
・Gaia Tシャツ(エアリズムの上から)
・半パン
・靴下① tabio 5本指
・靴① on cloud monster
・アームウォーマー ミズノ
・手袋 ミズノ
・リュック 2013年のフェスタのやつ
・帽子
・サングラス(使わなかった)

47キロ地点での着替え袋にいれたもの
・着替え(Tシャツ、半パン、下着)
・靴下② tabio 5本指
・靴② ホカ リンコン3
・塗る痛み止め(ローション)
・胃腸薬、痛み止めなど
・補給食(買った半分)
・充電器


【練習量】
昨年春先から調子がいいときは月間100キロ、故障しているときは月間50キロ。8月の猛暑日に24キロ走。10月は30キロ走のつもりが膝激痛で23キロ走に。11月は福岡マラソンでフルを走る(膝痛い)。12月はいすみ市ハーフもハイペースで走り、タイムは良いが膝痛い。年末に横浜まで37キロ走をしたときは、気温も高くゆっくり走ると痛みが出なかった。年明けは、腰や臀部に疲労としびれがでたため、練習をやめて本番に臨んだ。


【DNFの要因】
・怪我をしない身体作り
今年の夏ぐらいから長い距離(およそ20km以上)を走ると、左膝が痛くなる症状にかなり苦しめられた。O脚やランニングフォーム、柔軟性などが原因だと思われる。本格的に改善策を講じなかったため、大会当日も症状がでてしまった。他にも、腰から臀部の筋肉の神経痛、足首などちょこちょこ痛めて、走るモチベーションを下げていた。ウルトラを完走するにはまず怪我をしないように、コンディショニングや身体の使い方を学び、継続的に努力し続けたい。

・事前準備
フルマラソンの延長レベルで考えており、レースのイメージができていなかった。給水、補給食をとるタイミングから、天候に合わせた服装など、もう少し調べて置く必要があった。特に今回は当日は雨で強風の予報であったため、暴風雨の中でのレースに合わせた準備もするべきであった。

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