見出し画像

呼吸の温度。

ついていない。
それが男の口癖だった。
今年に入ってからというもの、財布を落とすし携帯は無くすし彼女には振られるし、仕事はなくなる。
どっからどう考えても、いいことが何もないのだ。
「ハァ〜・・・ついてねえなあ・・・・。」
男は公園のベンチに座ってうなだれながら、自らの不運に肩を落とした。
もう空は幾分茜色に染まりつつある秋の深い頃。ヒュルルと吹き荒ぶ風の冷たさが、余計に男の心を寂しくさせた。

「やべえよなあ・・・。もうそろそろ家賃払わなきゃなんねえのに、もう金がねえし、仕事もねえし・・・。どうすりゃいいんだ全くもう・・・・。」

ずいぶんと長い間床屋にも行っていない男は髪が伸びすぎてボヤけた頭を抱え込みながら、そういって近くのゴミ箱にコーヒーの空き缶をガムシャラに投げた。

が、「ガンっ!!!」とゴミ箱の縁に当たって戻ってきた空き缶が、男の額を直撃した。

「あいたっっ・・・!!!!」
ドサッとベンチから転げ落ちて、茜色の美しい空をのぞむ。

「ハァ〜、ついてねえ・・・。ついてねえなああ・・・・・。。。。」
気がつけば目尻から涙が滲んでいた。
公園のそばを通る高校生や小学生の楽しそうな声が嫌に耳につく。
自分にもそんな時期があったのかどうかすら、今の男には思い出せなくなっていた。
あるのは焦りと絶望、ただそれだけだ。
上着のポケットに手を突っ込むと軽い小銭が少しあるだけ。
百円玉の気配すらなかった。

男の目の前を、枯れた葉っぱがヒュルリと弧を描いて飛んでいく。それは、人生のジャンプアップの様子にも見えた。

その瞬間、男にはひらめきが走った。

「あ・・・そうだ。盗みに入りゃいいんだ。」

それはもう冷静さを失った男にとって、この上なくいいアイデアに思えてしまっていた。

「そうだそうだ・・・。町の外れに偉えデカい洋館があるじゃねえか。あそこはすんごい金持ちの爺さんだか婆さんだかが1人で暮らしてるって、聞いたことがあった・・・。」

男は公園のベンチのそばに寝転がったまま、湯水のように湧いてくるアイデアと成功の確信にどんどん気分を良くしていった。
「そうか・・・こうしちゃいられねえ。もう早速行かねばなるめえ。」
ムクっと起き上がった時、男の顔には一瞬前までの浮かない表情ではなくギラリと煌めく悪党の表情が浮かんでいた。

「なんか、道具はいるか?いやいや、まずは下見のつもりで、だな。」
などと独り言を言っている間に、男は自分の町を飛び出し、踏切を越えてあまり賑やかではない町の外れにまできていた。
大きな幹線道路に面した場所に、大きな洋館が立っているエリアへの入り口がある。
夕方ごろの車が賑わう道路を背にして、男は軽やかな足取りでその薄暗い入り口へ入っていった。

ここから先は

6,472字

¥ 2,000

読んでいただきましてありがとうございます。サポート、ご支援頂きました分はありがたく次のネタ作りに役立たせていただきたいと思います。 皆様のご支援にて成り立っています。誠にありがとうございました。