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暗闇の来訪者。

 神谷信介は帰路についていた。

独身で35歳。若くして製薬会社を立ち上げたやり手の男は憔悴していた。
秋の夜風がヒュルリと脇を駆け抜けていく。
ふとした寂しさを喚起する温度ではあったが、それ以上に男は孤独であった。見上げる気にもならない夜空には今夜も星が光っていて、それでもやはり俯いた視線は綺麗に舗装されたアスファルトに注がれていた。
遠くで電車が走り抜ける音がする。ガタンガタンと、線路の継ぎ目を踏む音が心地のいいリズムを刻んでいる。

今日、片腕と言っていい男、中村が死んだ。
中村は若い頃から様々な事業を展開する時、常にそばにいた男であり
神谷と中村は二人で一つと言われるほどに得手不得手を補い合える無二のパートナーだった。その中村が死んだ。
警察は状況判断から自殺だと断定したが、神谷はそうは思っていない。
おそらく中村は殺されたのだろう。
いつかは見に危険が及ぶことを、神谷も中村もはっきりと自覚してはいた。しかしいざ目の前に迫るその危機をどんな精神性を持ってしても克服することはできそうになかった。神谷信介は中村の死を恐れた。

神谷は製薬会社を立ち上げるときに、中村と誓いを立てていた。

それは「これまでの利権体制を壊す。」というものだった。
もっと本当に体にいいものを作り、健康をしがらみなく目指す。
というのを掲げて、神谷と中村の試練ともいうべき旅路は始まった。
西洋医学的な薬によるパワープレイへのアンチテーゼはありとあらゆる局面で否定された。これで成立しているものをわざわざ壊して新しいものを取り入れる危険を犯したくない。というのが本音だろう。社会というのはそうだ。合理ばかりを突き詰めていては生きていける人間の数が減る。
彼は彼らで生きていくための道を幅広く残しておかなくてはいけないのだ。

地道な活動は一年以上に及んで続いた。
そして、研究所との密な連携の果てに神谷は癌の特効薬を作り出すことに成功した。抗癌剤や放射線治療といったリスクのない治療薬の登場は界隈を一気に震撼させた。歓迎されて然るべき新しい薬が排除されようとする風潮に神谷と中村は恐ろしい思いをした。

そんなある日、神谷に一通の手紙が届いた。
差出人の名前のない手紙には「やめろ」とだけ書かれていた。

「なあに、そんなの気にすることはない。どうせ前時代的な奴らが自分たちの食い扶持を必死になって守ろうとしているだけだよ。淘汰されていくべき人種だ。」

中村は、不安げに手紙を見せる神谷にそう言って豪快に笑って見せた。
いつもそうだ。
神経質になりがちな神谷に豪快な中村。
神経質に事業の行く末を見守り、微妙な采配で成功を治める神谷と、
大胆な営業、豪快な人付き合いでその航路を順風満帆に仕立て上げる中村。

その関係性はこんなところでも発揮された。

「そっか・・・・。そうだよな。」

神谷も中村が笑ってくれれば気が軽くなる。
くしゃっと丸めてその手紙をゴミ箱に捨てた。

気にならなくなれば、気も軽い。
翌日からまた二人は従業員を従えて懸命に働いた。
そうこうしているうちに、神谷と中村の理念に賛同してくれる医者がポツポツと現れ始め、数こそ少ないが日本全国あらゆるところから「話が聞きたい。」という依頼が増えてきた。中村も神谷も明らかに草の根を分けていくような活動が身を結び始めていることに喜んでいた。

その合間も、脅迫状のような手紙は届き続けていたが
神谷はもうそれを開けることもしなくなっていた。

そして、中村が唐突に会社に来なくなった。
連絡もつかないので心配して家まで見に行っても反応がない。
中村は都内に一戸建てを借りて住んでいた。中村もまた独身だった。

そして今日、警察から連絡があり
中村は自殺体で発見された、と聞かされた。

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