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真夜中の虚。

 夏だった。
ひどく蒸し暑い夏で、景色は真っ青な空、そして気が狂いそうなセミの声が世の中の全てだった。

萱野秀樹は趣味で続けている柔道の夏合宿に参加していた。
周りを見れば白い柔道着に身を包んだ子供がワイワイとはしゃいでいる。
広い広いこの道場は、秀樹の故郷でもある。

「あ〜、俺もこんなだったのかなあ・・・。」

際限なくはしゃぐ子供たちの姿を羨ましくも疎ましく眺めながら、今年で23歳になる秀樹はそう独り言を言った。

「う〜ん、先輩はどっちかっていうと静かな方でしたよ?」

そう言って独り言に参加してそれを会話に仕立てたのはこの道場で知り合ってもう15年にもなる後輩の桃子だった。

「おお、桃ちゃんも来てたんか。」
懐かしい顔に、秀樹は顔を綻ばせる。

「たまたま大学の練習も夏休みになったんでね。久しぶりに懐かしいお顔も見れて嬉しいです。」

ふふふ。。

と笑う。桃子は秀樹の2つ下で今年大学3年になった。
最後に秀樹が彼女を見たのは高校生の頃だったか。

至近距離で見る彼女を秀樹はぼんやりと『綺麗になったもんだよなあ。』と心の中で呟いた。

「ん〜?私の顔、なんかついてます?」

大きな瞳をキュルッと輝かせて、桃子がそう秀樹の目を見つめる。
ショートヘアーがよく似合う小顔の彼女の、その顔面を構築するパーツの並びはもう芸術的に綺麗だった。

「いや、あれだな。桃子、小さい頃はそんなふうに思わなかったけど大人になってみると、お前結構可愛いのな。」

秀樹は妹のように思っている彼女に、何気なくそんなふうに言った。
「また〜、からかわないでくださいよぉ。」
桃子は恥ずかしそうにもじもじしながら肘で秀樹の脇腹をゴスゴスとこづいた。猫のような桃子の綺麗な顔が、少し赤くなった。

練習が始まると、秀樹も桃子も子供たちの面倒を見ることに駆り出されて、忙しく走り回っていた。秀樹も桃子も、昔の自分を見ているような優しい目で汗をかきつつその日を終えた。

道場の近くにある合宿所で全員揃って夕食を終えて、秀樹は1人で自分の部屋に居た。
「いやあ・・・なかなかタフな合宿だよな。」練習の内容のしんどさではなく子供たちが怪我をしないか、とか、運営上のトラブルが起こらないかということにまで気を配る。OBとして合宿に参加するのは思いの外気苦労が多いものだった。

ピコン♪

ベッドでゴロンと天井を眺めていると、携帯が鳴った。
「んん?」と何気なく表示を見てみると桃子からのメールだった。

「今道場で飲んでるんですけど、先輩も来てください!」

という無邪気なメールに1日の疲れも忘れて、秀樹は顔をにやつかせた。

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