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堕落。

 夏がゆっくりと春を焚きつけて、自分の世界に塗り替えようと画策している頃。梅雨が終わって、その鬱蒼とした湿気の森を抜けたようなさっぱりした感覚が僕らをしっかりと暑い季節に向けての道に載せた頃。

僕は彼女のことを知った。
友人の中にも、彼女のことを「あの娘すっごく可愛くない?」とはしゃいでいる向きがあったが僕はもうあえて気にしないフリをしていた。
実際、彼女はとても可愛くて、小さくて、明るかった。
150センチ少々のその身長にとても少女性の高い目鼻のくっきりした顔立ち。そして、いつもふわっとしたガーリーな服装をしてまるで人形のような格好で彼女はいつもニコニコと笑っていた。春風のように穏やかで暖かで可愛らしい人だった。

名前を篠原美里と言った。

僕はおもむろに彼女に可愛い可愛いと言って憚らない友人たちとは違って、少しばかり斜に構えたスタンスで彼女を眺めていた。諦めて言ってしまうと僕だって彼女にお近づきになりたかった。

少なくとも、僕の周りの友人たちは彼女の話題で持ちきりになった。
高校生の頃までと違ってクラスが同じ、という感覚が希薄な大学生たる僕らにはあまり気になった人と合法的に(?)話をする機会というのはない。
自分から作らなければ、その機会は永遠に逸されてしまう。
だからこそ我が友人たちは夏休みの近づいたこの季節にこそ、盛りのついた猫のように彼女を目指しているのだろう。

彼女の周りの友人から攻めようとする者もいれば、
彼女の過去を探ろうとする者もいる。直接声を掛ける気概のない奴らばかりだというのが実に情けない。

そして、誰も気がつかない中で僕だけが気づいた彼女の特徴があった。
彼女はとてもフワフワした格好をしている。ロングスカートか、少しダボッとしたパンツ。上も、体のラインが出るような服は極力着ないようにしているらしかった。大体、そういう格好を好む子というのは個人的な経験から行って運動神経が鈍い。例えば小走り一つとっても、物を拾う動作にしても、もっと言えば椅子から立ち上がる動作にしても。
その体の中に筋肉がないことを主張するような、バランスを欠いた動きになることが多い。

が、彼女はそうではない。
身のこなしの軽やかさは、陸上部とか、体操部とか。そういうレベルで体を鍛えている人の様子を彷彿させる。
なんてことがわかるのも、僕には柔道の経験があるからだ。
ほんの一年間だけだったがそこでしか分かり得ない運動という特殊性をいろいろ学んだ。体の動かし方ひとつにしても、知っている人と知らない人、やっている人とやっていない人では全然違うものだ。

そんなわけで篠原美里のその身のこなしは明らかに何かのスポーツをしている動きじゃないかと僕は見抜いたのだ。すごい。しかし実際のところはどうかわからない。もしかすると思い過ごしで、とても運動神経がいいだけかもしれない。

ある日何気なく家でパソコンを開いてネットサーフィンに興じていた時、
そんなことを思い出して俺は彼女の名前で検索をかけてみた。特に期待もしていないし、もしかすると自分はむっつりかもしれないという疑心暗鬼に駆られながらも検索エンジンが引っ張り出してきた情報に僕は驚きを隠せなかった。

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