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死神の方法。

 会場はうだるような熱気に溢れていた。
誰も口を聞きはしないが、その空間に充満する人熱はあまりにも自由を渇望していた。

薄暗い会場の真ん中にはオクタゴンリングが一つ照明に浮かび上がっている。
そのリングの中には男が1人立っていた。
上半身裸の熊のような大きな体。あぶらぎった顔には生気がなく、落ち窪んだ暗い瞳は淀んでいて何を見透かすわけでもなくじっとして動かない。
何か一つのきっかけで爆発してしまいそうな会場全体のボルテージは、しかし刑務官たちの厳しい眼差しにおいて制圧されている。

男は、死刑囚だった。
凶悪犯罪を重ねて、なお反省の色をおくびにも出そうとしない。男は名前を田島と言った。

日の光を浴びることすら憚られる死刑囚であるはずの田島がなぜスポットライトを浴びているのかを説明するには一週間ほど時間を遡らなければならなかった。

田島は入ったことのない部屋に連れられた。
薄暗い刑務所の中で、もう何年も過ごしてきた田島にとって、しかしそれでさえ新鮮な喜びはない。
目の前に座っているいかにもエリート官僚っぽい男たちの顔を見ると、田島は無性に腹が立った。
自分がこんな場所に閉じ込められていることへの逆恨みなどという立派なものではない。
ただ、単純に田島はそういう人種が嫌いなのだ。

落ち窪んだ目で、田島は彼らを睨みつけた。

「まあ、そう気色ばむな。死刑囚。今日はお前だけにいい話を持ってきたんだ。」
いつも対外的にどんな態度を取っているのかを測り知ることはできないが、
明らかに田島に対して横柄で、見下した言い方を、そのスーツ姿の男たちのうちの1人がした。

ギロリと田島の黄色い目がその顔を追う。

男は田島の目を見ることもできないらしく睨まれたと見るや視線を虚空に泳がせた。

「今日はお前をここから出してやれるかもしれないと、そんな話を持ってきたんだ。」
隣の男が口を挟む。
「とある企業の提案でね、リングの上に30分、お前が立ったままでいられたら無罪放免。釈放だ。」
田島は疑問を抱いた。この社会の中に、この国が自分のようなものを放り出すとは到底考えられなかったのだ。

「なぜ・・・・。なぜ、私なんです。」

田島は地の底から湧き上がるような低い響きの声で、単純にそう尋ねた。
「まあ、これは上からの決定だし、何しろお前のこの刑務所の中での態度が認められて訪れたチャンスだ。」
背広の男はそう言って言葉を閉じた。

まるで、詮索して自分からチャンスを拭いにするような真似はするな。と、諭されたようでもあった。
田島は静かに息をして、誰も言葉を作らないその部屋の中に満ちていく奇妙な満足感を彷徨った。

田島がこの刑務所に来て、もうかなりの年月が経っている。
この中で出会う男たちは皆犯罪者ばかりだった。
だから、という言葉で結ぶのが適当かどうかはわからないが、田島を中心とした連帯感というのがこの高い塀の内側にはあった。


当日、刑務官の案内で「見に行きたいものは入っていいぞ。」という声に、ほとんどの受刑者は会場に入っていった。

刑務所の中にある体育館が、その会場だった。
目張りがされて、外からの光は一切入らない。
異様な空間が出来上がっていた。

そして、会場にはうだるような熱気が溢れていた。
もし田島が釈放されると慣れば次は自分かもしれない、もしくは恩赦が全員に言い渡されるかもしれない。
そんな期待が熱気の正体だった。
声を出すことを禁じられている受刑者たちは、その期待を熱気に変えてただ何が起こるかわからないリングの上に立つ田島をじっと見つめた。

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