月よりも。
ガチャ・・・・。
と、鍵の開く音がする。
僕は真っ暗にしたまま夜を迎えたベッドの上で
ぼんやりとその音を聞いていた。
この1日はまるで生産性のない日で、
全く人生を無駄にしたという自覚がある。
奇妙な罪悪感と、何かできたのではないか、という自責。
全く健康に悪い気がする。
枕元に飲みかけのお茶があって、それを口に含む。
こんな僕にだってそのお茶の味がわかる。
人間としての機能は完全に備わっていて、何も欠落していない。
それがまた僕の罪悪感を増長させた。
ぱっ・・・。
と電気がついて、
彼女と目があった。
「ただいま。」
普通の、なんでもない声色だ。
そこに僕のこの不精を、怠け切った様子を責める色味はない。
僕も、「おかえり。」と今日初めて発する声で応対した。
がざっとビニール袋の音がする。
彼女は鞄を置くと、冷蔵庫にそれを詰める。
「あー、またたこ焼きだけ食べたんだね。」
彼女はその冷蔵庫の中の減っているものを見て僕の世話を焼くのが好きだ。
「粉物ばっかりだと体に悪いよ?たまにはほら、お野菜も食べないと。」
咎める、というよりは世話を焼く、という表現が滑らかに当てはまる。
僕はその声に返事を返すこともなく、まだ夢と現実の境目を探してうろうろとしている。本当は、こんなことをしていてはいけないはずなのに。
「はー、今日も疲れたっっ!」
アパレル関係で働く彼女の帰りは、日によってまちまちだ。
すごく遅くなって日付が変わることもあれば、夕方には帰ってくることもある。間を取る、という意味で今日はとても平均的な時間に帰ってきた。
「ご飯より先にシャワー浴びちゃおっと。」
彼女はいそいそと、僕に笑いかけながら洗面所へ向かった。
綺麗な顔立ちがうけて、店でも服を買いに来る、というよりは彼女にお客がついていると聞く。
男女問わず、彼女を訪ねてくる客は多いという。
「今日も絢ちゃん来てさあ、なんか妹みたいだよね。あはは。」
彼女が向こうのほうでそう言って明るく笑う。
とても優しくて面倒見が良くて、綺麗な彼女はそりゃあ、人気者だと思う。
異論はない。シャワーを浴びながら彼女は機嫌よさそうに歌を歌う。
僕はもうとっぷりと日が暮れた街を、マンションの窓から眺めて
他人事のように浮かんでただそこにある月を羨ましく思って、
そして彼女の歌をぼんやりと聞いては、この上なく憂鬱な気分になる。
窓は鍵に鍵がついている。
この部屋の扉は内側からは開けることもできない。
たった数ミリの窓ガラスの向こうにある外の街は僕にとって月よりも遠い。
僕は飼育されているのだ。
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