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エリート。

 ほんの数日前まで、そこは僕にとっての安住の地だった。
友人たちと楽しく練習し、次の試合にむけてあーだこーだと作戦を練る。
その作戦が功を奏する、ということはほとんどないが
しかしまあ、それでも十分僕たちは楽しめていた。
結果を求めない柔道部、それは緩く楽しいクラブ活動だった。

先代からずっとこの流れは続いていて
緩くて楽しい今谷中学柔道部は2年の僕を入れて6人の部員で成り立っていた。
先月3年生が引退して、2年4人と1年2人。
相変わらず楽しい日々が続いていた。

でも、ある日突然この楽しくて平和な時間は壊された。

僕らの柔道部には監督らしい監督がいない。
柔道経験のない国語の先生が一応顧問として名前を貸してくれている。
おかげでゆるふわの柔道部が存続できているわけだけど、
そんな国語教師「加藤春雄」先生が滅多に出さない顔を道場に出した。
「おいみんな!いい知らせだ!」
禿頭をピカピカさせて、加藤春雄教師はそう言った。

「なんですか先生、給料上がりましたか?」
僕らは畳に寝転びながら、そう言って上半身をおこし先生に対する最大の敬意を払いキャハハと笑った。

「柔道部の監督してくれるという先生がきたぞ!」
加藤教師がやけに朗らかなのは、自分がこの柔道部の責任者から外れることができるという喜びから来るものなのだろう。
「明日から来てくれるそうだ!」先生はそう言うとハハハと笑って早速道場を後にした。
僕らは先生の背中を視線で追ったまま、ボケッとキョトンと入り口のドアが閉まるのを見ていた。

「え・・・・監督っつった・・・・?」

誰かが心底ダルそうにそう言った。
監督というと、もう鬼監督とか名コーチとか、そういう張り切ったクマみたいな柔道経験者を想像したからだ。
この楽しくて朗らかな柔道部の存続が危ぶまれる。
それは大変な事だった。この安住の地が、損なわれるというのはひどく悲しい事だと感じた。

でもまだその時はそれがどれほどのことなのかを、僕は理解していなかった。


翌日。


「なあ、今日から監督来るんでしょー。だりいわー。」
清原、という同い年の友人が下駄箱で声をかけてきた。
清原は柔道部の中でも一応強い方で、市の大会でも三位に入るくらいだった。
ほとんどの部員が一回戦負けになる中で彼の活躍はなかなかのものだったが、
しかしほとんどの部員の中で、一番練習が嫌いなのも清原だった。

「でも、先生の中で柔道やってそうな人いたかなあ・・・。」

僕はうんざりしながら昇降口を出て武道場までの道のりをそう独り言を言いながら歩いた。

そして何事もなく部活の時間は始まった。
「なんだ、案外誰も来ないんじゃないの?」
清原か誰かがそう言った。

体操が終わって、みんなで回転運動をしているところだった。

ぎいぃっ・・・。と、武道場の戸がひかれ音がして
みんながそっちを向いた。

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