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徳川まつりのミッシングリンク

先日、ISF11に行ってきました。

お目当てはもちろん徳川まつりで、漫画から小説、イラスト集までたくさん収穫がありました。それぞれ拝見させて頂いて、みなさんの熱量や解像度に改めて感動すると共に、まつりに対する理解度(もちろんそれぞれの作者さまの解釈ではありますが)も深まったと思います。
まつりは理解や解釈が特に難しいキャラクターです。第一印象が強烈な一方で何が本音で何が演技かもよく分からず、誤解されやすい側面もあります。過去のこと、家族のこと、提示された謎が多く、また何気ない発言のなかに深い意味や哲学を見出すこともできます。

先日、私はミリシタ対応の徳川まつり台詞botを作りました。

作成した理由や経緯は上記記事に書いていますが、大きな理由のひとつが、こうしてまつりの台詞をまとめ直すことでまつりへの理解を少しでも深めたい、知りたいと思ったからです。
そういう意味で分からないことそのものがまつりの魅力であり、同時に二次創作を求める原動力なんだと思います。分からないからこそ、知りたくなる。
そのなかでも私が一番知りたいと思っている謎が徳川まつりのミッシングリンクです。本稿ではそのことについて書いていきたいと思います。

2023年のまつりの公式供給

今年2023年を振り返ってみると、特にまつりの供給が多かった年でした。スーパーまつりイヤーは伊達ではありません。

  • Decidedイベント

  • MC(キャスティング投票企画)

  • ひなたまつり(髪色変更限定)

  • エイプリルフールイベント

  • でらますコラボ

  • ミリアニ

  • SFYおよびメインコミュ2周目

  • 書店コラボ

満を持して公開されたミリアニでもまつりの扱いは想定以上に大きく、担当である私がむしろ困惑すらしています。
しかし、ミリアニを見ても、待望のSFYおよび連動メインコミュの2周目を見ても私にとっての一番の謎に迫ることはできませんでした。それどころか、むしろ謎は深まったと言えます。

待望のSFYおよび連動メインコミュの2周目

その謎とは、なぜ徳川まつりは姫になろうとしたのかです。そのことについては以前にも記事を書きました。

上記の記事では、主にSFY1周目や既存のメインコミュ、グリマス時代の遺産をもとに、徳川まつりという聡明で気配りができてスポーツ万能で正統派美少女で完璧超人な徳川まつり(褒めすぎですがすべて事実です)が、なぜ姫になるという重大な決意をしたのかについて、まつりの家庭環境や過去に対する推測を交えながら考察しています。(もちろん解答には至れていません)

姫になろうと決意した過去がなぜそこまで重要なのか

話を始める前提としてまつりが姫を目指した理由という過去がなぜ重要なのか、なぜ拘る必要があるのかという点について私見を述べたいと思います。
たしかにプロデューサーという視点に立ってみれば過去を知る必要はなく、今のキラキラ輝いている姿だけ知っていればいいでしょうし、本人が知られたくないと思っている過去を詮索するなどもってのほかです。
しかし、我々はプロデューサーと完全に同化しているわけでないプレイヤーです。プレイヤー視点で見れば、ドラマ性のある過去が公式できちんと描かれることは、そのキャラクターの理解度をグッと高めてくれます。
なぜ姫でなければならないのかは、現在のまつりの根幹にあたる非常に重要なファクターです。そこが明らかになることは、アニメから入った新規プレイヤーはもちろん、他担当に対しても強く推す材料になります。

ミッシングリンクとは具体的になんのことか

なぜ徳川まつりは姫になろうとしたのかという謎をもう一歩深掘りして考えると、それは徳川まつりが姫になることを決意するに至った決定的なエピソードの欠落です。
私はそのエピソードを少なからず衝撃的なものであると考えています。その詳しい理由や経緯は後述しますが、前提としてまつりは姫になったことで、それまでの人生を捨てたと言っても過言ではありません。まつりにとって姫はアイドルに先立つのです。だからこそ、プロデューサーの前でも仲間の前でもON/OFF問わず常に姫として振る舞っています。
普通に考えたら順序が逆でしょう。アイドルになりたくて姫という手段を採る、というのが常人の理解のおよぶところです。そのことに気付いたとき、私は姫とはいったい何なのか、三日三晩考え続けるハメになりました。
常識人にか見えない過去のまつりがそのような大路を選んだのだとしたら、よほどのことがあったに違いありません。

SFYから読み取れること

ミッシングリンクに迫るにあたり、まず先日追加されたまつりのSFY2周目の覚醒前イラストおよび四コマから読み取れる内容について考えます。

まつりの高校時代

あ……この服、お姫様みたいで可愛い……。キラキラしたドレスを着たお姫様は、白馬の王子様が迎えに来るのを待って……。ふふっ、素敵。……このドレスを着たら、私もお姫様になれるのかな?

ミリシタ シャル・ウィー・ダンス? カードボイス

加えてXで同日公開された四コマが以下のポストです。

上記のイラストおよびカードボイス、四コマから以下の内容が読み取れます。

  • 高校生か少なくとも中学生で、現在とそれほど年齢の開きがないこと

  • 真面目で浮ついた感じがなく、おとなしい性格であること

  • お姫様への憧憬はあるが、自分がお姫さまになるという具体的な行動に移す積極性はまだ見られないこと

  • アクセサリ類がなくオシャレに気を遣っている様子がないこと

  • 勉強や家事など、日々の雑事に追われていること

  • (今のまつりと比較して)強そうに見えないこと

根っこが真面目で努力家なところを除けば、総じて今のまつりとかけ離れていることは明白です。もちろん優劣を論じたいわけではありません。ただ、当時のまつりは、私には重い荷物をたくさん背負って生きているようにみえます。それは簡単に捨ててしまえるようなモノではないはずです。

メインコミュ2周目から読み取れること

プリンセスミュージカルに挑むまつり

メインコミュの二周目では、まつりがとあるプリンセスミュージカルのお姫様役に挑みます。このお話を通して私が読み取れたのは以下です。

  • まつりには理想とする具体的なプリセンス像が以前から明確にあった

  • そのプリンセス像はプリンセスミュージカルの初代公演によって形作られたものだった

  • かつてはそのプリンセス像を妹と共有していた

まつりのプリンセス像が監督に認められた決定的瞬間

では、理想のプリンセス像とは具体的にどのような特徴を指すのでしょうか。

……まつりが知っているこの物語のプリンセスは、ただ待っているだけの女の子じゃないのです。 自分で夢を叶えにいく強さをもっているはず…… そう思ったから、なのですよ♪

メインコミュ 第138話 私とあなたのプリンセス

上記台詞から考えて、ポイントは三つあると思います。これらは独立したものではなく、相互に関連していると言えるでしょう。

  • 主体的であること

  • 自由であること

  • 強さをもっていること

自分の方から王子様を誘う主体性のあるお姫様を理想としていた点については、初代のSSRカードからも読み取れます。

きらきらびゅーりほー!な馬車で、白馬の王子様がいるお城へと向かう…… まさに、姫にびったりなシチュエーションなのです♪ 王子様、いい子で待っているのですよ?

ロマンティックランド
自由なお姫様の演技を模索するまつり

自由さについては普段のまつり姫の自由奔放な振る舞いや言動にもよく表れています。既存の型やステレオタイプに囚われない自由なお姫様の表現については、他のメンバのプレゼンでも表現されていました。

私たち

自由で主体性のあるプリンセスへの憧れを共有した私たちというのが自分と妹であることは、最初のふれあいの台詞から推測できます。また、ここで昔の公演を見ていたという事実が、後に合格を貰える際の伏線になっています。

もちろんなのです♪ みんな知ってるおとぎ話、プリンセスミュージカルのリバイバル公演なのです! 昔の公演も小さい頃に妹と一緒に見たのです。リバイバルのお姫様役は当然エントリー済みなのです♪

メインコミュ 第138話 ふれあい

自由なお姫様と不自由な高校生まつりとの対比

なぜまつりは自由なプリンセスに強く憧れ、理想と考えたのでしょうか。それは当時のまつりが端的に言って不自由だったからだと思います。SFYで描かれたとおり、当時のまつりは真面目で、重い荷物を背負って生きていました。そんなまつりにとって、姫とは自由の象徴のように映ったのかもしれません。SFYでは覚醒前と覚醒後とで不自由と自由が対比的に描かれています。
ですが、自由、主体性というのは聞こえはいいですが、自由には大きな代償が、主体性には大きな責任が伴います。同時にそれらを引き受ける強さが求められます。
自由な振る舞いはときとして周囲の反感を生みます。人は本質的に他者の自由が嫌うものです。だから、それらを跳ね返す強さが必要なのです。

嫌いなものは、どうしたら気にならないか…ですか?まつり的には、粉砕しかないと思うのですよ?

特番!生っすか!?サンデー×50 Lv20〜29 大成功
つよい

それに背負っている荷物、勉強や家事、妹のこと、将来のこと、それらは前述の通り安易に捨てられるものではありません。そして荷物は大人になるにつれて増えていくでしょう。それが人生です。
そういう意味で大人になる直前である19歳というのは、自由と不自由どちらを選ぶかを決める最後のチャンスだったのかもしれません。そしてまつりは土壇場で自由な姫の道を選んだ。

なぜまつりは姫を選ぶ決意ができたのか

前項までで、まつりが自由の象徴としての姫に強く憧れるようになった経緯と背景について考えてみました。
ですが憧れが強くなればなるほど、対象は自身から遠ざかっていきます。にも拘わらずまつりが最終的に姫を選び取る決意ができたのはなぜでしょうか。
前項で説明した通り、自由な道には強さや覚悟、自信が不可欠ですが、高校時代のまつりにはまだそれらは備わっていないように見えました。
当時のまつりはミリアニの最上静香と同じです。静香は春日未来と運命的な出会いを果たすというエピソードによって一歩を踏み出すことができました。
まつりにとっての春日未来にあたるもの、それが冒頭で挙げた欠けているエピソードであり、ミッシングリンクです。
そのエピソードを衝撃的と表現したのは、それは取りも直さずまつりが決断できるだけの強さを獲得するエピソードだからです。
まつりが相応の強さを身に付け、葛藤の末に理想のプリンセス像を自身で引き受け、体現する決意を固めるエピソードは、まさにサナギが蝶になる瞬間と言えます。

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