岡口事件から考える弾劾裁判
こんにちは。
令和6年4月4日、世間では仙台高裁岡口基一判事に対する弾劾裁判が注目を集めていました。多くの人は、そもそも弾劾裁判って何だ?と思ったのではないでしょうか。そこで、今日は、弾劾裁判所について徹底解説してみたいと思います。
1 弾劾とは?
弾劾という聞きなれない言葉に戸惑いますが、罪や不正を暴くことを弾劾と言います。つまり、裁判官が何かの罪を犯したり、不正を働いたときに問題となります。ちなみに、アメリカのトランプ元大統領も弾劾裁判にかけられていますね。
2 憲法と弾劾裁判
公正な裁判を行うために憲法では、司法権の独立だけでなく、裁判官の独立を保障しています。裁判官は、内閣や世間の多数意見などに拘束されず、単に憲法と法律のみに従って判決を下すことができます。
また、最高裁判所の裁判官は70歳、高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所の裁判官は65歳、簡易裁判所の裁判官は70歳になれば退官し、途中で報酬を減額することもできません。
しかし、裁判官が国民の信頼を裏切るような行為をした場合でも、クビにできないとなると困ったことになります。
そこで日本で裁判官をクビにする場合には、公の弾劾裁判の判断によって裁判官を辞めさせることができるとしています。
弾劾裁判は、通常の裁判所で行われるのではなく、国会が設置した弾劾裁判所で行われます。ちなみに、弾劾裁判所は、国会議事堂の中にはなく、参議院第二別館という建物の中にあります。
このように弾劾裁判所は、国会に設置されている機関で、公務員を採用したり辞めさせたりすることは、国民から選ばれた代表によって行うという考え方を元に運用されています。また、三権分立の観点からは、国会が裁判所をチェックするという役割も果たしています。
3 裁判官弾劾法
弾劾裁判については、裁判官弾劾法に詳しい定めがあります。
まず裁判官を辞めさせたいと思ったときは、まず裁判官訴追委員会に対して、罷免の訴追をするように請求する必要があります。国民からの請求がなくても、最高裁判所が裁判官訴追委員会に対して、罷免の訴追をするように請求することもできます。この請求を受けて裁判官訴追委員会は、弾劾裁判所に対して罷免の訴追をするのかどうかを調査して判断します。
裁判官訴追委員会は、衆議院議員と参議院議員の中から10名ずつ選ばれます。
罷免の訴追により、弾劾裁判が開始します。弾劾裁判では、裁判員が衆議院議員と参議院議員からそれぞれ7名ずつ選ばれ、裁判官をやめさせるかどうかについて裁判をします。ちなみに、刑事裁判の「裁判員」とは別なので注意が必要です。
弾劾裁判で裁判官を罷免することができるのかどうかの判断基準は、職務上の義務に著しく違反した、または職務を甚だしく怠ったとき、もしくは裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったことです。
裁判官の罷免には、3分の2以上が「やめさせる」という意見に賛成する必要があります。
4 罷免された裁判官
弾劾裁判所の判断は1度限りです。通常の裁判のように三審制となっていないため、判決内容に不服を申し立てることができません。しかも、弾劾裁判で、辞めさせられた裁判官は、裁判官だけなく、弁護士や検察官になる資格も失うことになります。
ただし、弾劾裁判所に対して資格の回復を求める裁判を請求することは可能となっています。
これまで、罷免判決から5年が経過し、資格を回復させても良いという相当な理由により、資格を回復した裁判官がいました。ただし、やめさせれる理由がないという新しい証拠が見つかった場合により資格の回復が認められた例はこれまでにありません。
岡口事件以前に、過去の弾劾裁判で罷免された裁判官は7名でした。どのような行為をしたのかというと、事件記録を放置して395件の略式命令請求事件を失効させた、調停の申立人から接待を受けて隠ぺい工作した、検事総長を装って首相に電話し虚偽の捜査状況を報告した、破産管財人からゴルフセットなどの提供を受ける、3人の少女に対する児童買春、裁判所職員の女性に対するストーカー、電車内で女性のスカート内の盗撮でした。このうち、4名は後に資格の回復が認められています。
5 裁判官弾劾裁判所令和6年4月4日判決
岡口基一仙台高等裁判所判事に下された罷免判決の内容は以下の通りです。
刑事事件投稿等行為群を構成する各行為は、個別的に見た場合でも、いずれも遺族の感情を傷つけたものと評価できる上、全体的に見た場合でも、いずれも遺族の感情を傷つけたものと評価できる上、全体的に見た場合でも、岡口氏としては、積極的に遺族を傷つける意図をもって投稿したわけではないが、結果として何度も執拗に遺族を傷つけることになったと評価できる。
したがって、刑事事件投稿等行為群は、それら行為を行うに至った経緯、それら行為が社会に及ぼす影響等全ての事情を考慮し、健全な常識に基づいて慎重に判断しても、「一般国民の尊厳と信頼を集めるに足りる品位を辱(はずかし)める行為」であると言わざるを得ないから「非行」に該当する。
犬事件投稿行為群については、行為を行うに至った経緯、行為が社会に及ぼす影響等すべての事情を考慮し、健全な常識に基づいて慎重に判断したとしても、「一般国民の尊厳と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」であることは否定できず、「非行」に該当する。
以上のとおり、本件各行為群がいずれも「非行」に該当するとしても、その「非行」が「裁判官としての威信を著しく失う」程度に達したと評価できなければ、弾劾法2条2号の弾劾事由は認められない。
ここで「裁判官としての威信」とは、「裁判官に寄せられる国民の尊敬や信望」などと言い換えることができ、これを前提とすると「裁判官としての威信を失う」とは、「裁判官に寄せられる国民の尊厳や信望を失う」ことと同義である。一方、既に述べたとおり、裁判官における「非行」とは「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」であるから、「裁判官の威信を失う」という要件は、「非行」該当性を検討する際に同時に検討されていると見ることができる。したがって「非行」が「裁判官としての威信を著しく失う」程度に達したかどうかの評価は、「非行」が「著しい」かどうかの評価に帰着する。
そして、「非行」が「著しい」かどうかの評価は、それが裁判官の身分に直結するだけでなく、「著しい」という文言が非常に抽象的で幅広い解釈を許すものであるが故に、極めて重く困難な作業となる。そこで、この評価をより的確に行うために、「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。」という憲法78条前段の趣旨に立ち返って考えることとする。
同条は、憲法第6章の「司法」に属するが、この章では76条1、2項において、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」と規定して「司法権の独立」を認めると共に、81条において、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」として裁判所に「憲法の番人」としての役割を与え、「司法権の優位」を認めている。
このように現行憲法が、「司法権の独立」と「司法権の優位」を認め、裁判所に「憲法の番人」としての役割を与えている以上、司法権の行使を委ねられた裁判官は、裁判をするに当たって、何人の指示にも拘束されず、完全に独立して職権を行使する必要がある。それ故、76条3項において、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定している。そして、この裁判官の職権行使の独立を実効あらしめるために、裁判官の身分を手厚く保障しようという趣旨が78条前段に込められているのである。と同時に、民主主義国家においては、公務員の選定罷免権は究極的に国民に存するのであるから、裁判官についてもこの理念を具体化するなんらかの措置を講じる必要があり、その要請にこたえるという趣旨も78条前段には含まれているのである。
このように裁判官への手厚い身分保障という趣旨と裁判官に対する民主的統制という2つの趣旨を78条前段とそれに含まれる裁判官弾劾制度が有していることに鑑みれば、国民の代表たる国会議員によって構成される弾劾裁判所において、裁判官に対し不信任の意思を表示してこれを弾劾すべき事由とは、憲法によって、国民が裁判官に与えた負託に背反する行為と解すべきであり、かかる「国民の信託に対する背反」が認められる場合に限り、「非行」が「著しい」ものと評価すべきである。
現役裁判官が自身の意見や主張はもとより、思っていることや、感じていることを表現することは、憲法の保障する表現の自由によって保障されていることは言うまでもない。本件では主としてSNSを用いた岡口氏の表現行為が問題となっているため、裁判官がSNSを利用して憲法上の基本的人権である表現の自由を行使する場合、それを「国民の信託に背反する」と評価できるかという、前例のない重要な問題に直面していることにも留意なくてはならない。
これを検討する前提として、SNSの特性に目を向けると、SNSは、「社会的なネットワークを築くためのサービス」であり、インターネットの普及に連れて急速に社会に浸透してきた。SNSは、従来の通信手段に比べて情報伝達の速度が飛躍的に高く、時と場所を選ばず、インターネットを介した新しい形の交流を可能としている。SNSの種類も多様であり、利用する目的によって発信の手段や対象を選択することもでき、利便性は極めて高い。
他方、それ故に従来の手紙や電子メールなど特定の者に向けられた通信手段と異なり、不特定多数の人が瞬時に認識し得るという特性があるため、発信者が想定していた趣旨が特定の人には伝わるような内容の投稿であっても、それが不特定多数の人に拡散し、その過程で、発信者が想定していた趣旨とは全く異なる趣旨に受け止められる危うさを孕んでいる。そして、SNSのこうした特性により、発信者の意図に反し、他者を精神的に傷つける投稿が社会に広く拡散するという事態が往にしてみられる。
岡口氏は、平成9年頃からホームページを作成し、法律に携わる人に有益な情報提供をするための媒体にしていったが、一度は中断したものの平成20年頃から本件ツイッターや本件フェイスブックを始めて長年にわたって多数の発信を続けていたのであるから、このようなSNSの特性は熟知していたはずであり、表現の自由を行使する手段としてSNSを利用する場合には、その危険性を踏まえて他者を精神的に傷つけないよう配慮すべきであった。
岡口氏がこの配慮を怠り、結果的に刑事事件の遺族に精神的苦痛を与え続けてきたことは、たとえ岡口氏に悪意がなかったとしても、裁判官による表現の自由の行使手段として甚だ問題があったと言わざるを得ない。
その上で、裁判官が「憲法の番人」として権力の暴走に歯止めをかける役割も期待されていることを考慮すれば、裁判官が司法府内部や行政府、立法府などの国家権力に対し、批判的見地から物を申すことについて萎縮するような状況を招くことのないよう細心の注意を払うべきである。
その見地から、改めて刑事事件投稿等行為群を検討すると、刑事事件投稿等行為群のうち、司法府内部を批判する意図があったと認められる③東京高裁批判投稿と立法府にある裁判官訴追委員会を批判する意図があったと認められる⑩遺族担ぎ出し投稿については、「国民の信託」に完全に違背するとまでは言い切れず、裁判官としての岡口氏の表現の自由を尊重すべきである。
しかしながら、この点を考慮して③と⑩を除く投稿等だけで岡口氏の行為を評価したとしても、執拗かつ反復して犯罪被害者の遺族の心情を傷つけ、結果として遺族の個人の尊厳やその威厳にふさわしい処遇を保障される権利及び名誉感情を侵害し、平穏な生活を送ることを妨げたことは否定できない。
しかも、岡口氏は、自身も犯罪被害者の支援のために講演をするなど犯罪被害者支援について非常に重視してきた立場にあると当公判廷でも供述していたのであるから、投稿する際にはその経験を踏まえて、慎重に投稿するべきであった。にもかかわらず、遺族からの抗議等を受けても、真の反省や改善がなく長期にわたって断続的に同様の表現行為を繰り返してきたことは、表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱したものといわざるを得ない。したがって、岡口氏の「非行」が「国民の信託に背反する」程度に達しているという当裁判所の判断を変更する余地はない。以上により、刑事事件投稿等行為群は、「非行」が「著しい」ものと評価できる。
犬事件投稿行為群の悪質性については、岡口氏の意図としては、原告の飼い主を傷つけるつもりはなく、単に面白そうな事件や他人の投稿を紹介し、裁判の内容や犬事件投稿等に対して分限裁判の申し立てられたという自分の状況を風刺的に捉え、読者に考えてもらう契機として親しみやすい表現を用いたものに過ぎなかったとしても、当事者を傷つけたものと認められる。この点においては刑事事件投稿と類似している。
しかし、先に述べたとおり、犬事件の原告の民事訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価を示したことや、原告の社会的評価を不当におとしめたことまでは認められないことに加え、犬事件の原告は犬事件投稿については、東京高裁に抗議しているものの、犬事件掲示板URL投稿、犬事件再投稿については抗議等をした形跡はないことからすると、犬事件投稿行為群に関しては、刑事事件投稿を端に発する刑事事件投稿等行為群と比較して悪質性は低く、岡口氏の「非行」が「国民の信託に背反する」程度に達しているとまでは認められない。
以上により、犬事件投稿行為群については、岡口氏に保障される表現の自由との関係を論じるまでもなく、「非行」が「著しい」とまで評価できない。
結論的には、岡口氏による刑事事件投稿等行為群につき、弾劾法31条2項但書に基づき、本件審理に関与した裁判員の3分の2以上の多数意見により、同法2条2号を適用する。
よって、岡口氏を罷免する。
6 SNS投稿で罷免
今回のケースは、過去に有罪判決を受けた行為や職務上の不正行為が問われたわけではなく、SNSに投稿するという法廷外での表現行為が罷免に値するとされました。裁判官の表現の自由について、今後も議論の行方を探っていきたいと思います。
では、今日はこの辺で、また。