見出し画像

四畳半襖の下張事件

こんにちは。

 大正時代の文豪永井荷風は、20代のときにフランスとアメリカに留学し、30代で森鴎外の推薦で大学教授になったのですが、40代で父親が死ぬとタガが外れてしまします。離婚して、大学教授を辞め、隠居生活を送るという、今でいうFIRE生活に入りますが、東京大空襲で本や資産を失うという壮絶な人生を送っていました。

 そんな永井荷風が書いたとされる小説の掲載が裁判で争われた「四畳半襖の下張事件」(最判昭和55年11月28日裁判所ウェブサイト)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 株式会社面白半分を設立した佐藤嘉尚(さとうよしなお)は、月刊雑誌「面白半分」を発行し、そこに人気作家の野坂昭如(のさかあきゆき)と共に金阜山人戯作「四畳半襖の下張」を掲載して販売しました。ところが、その内容が刑法175条のわいせつ文書販売罪(現行刑法ではわいせつ物頒布罪)にあたるとして、逮捕、起訴されました。

【刑法175条】
① わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
② 有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

2 検察側の主張

「四畳半襖の下張」の有するわいせつ性の程度は、軽度であるとはいえず、社会一般の良識の許すものでないことが明らかである。被告人両名は、いずれも「四畳半襖の下張」の内容を熟知しながら、これを掲載した「面白半分」昭和47年7月号を販売したことは、被告人らの自認するところである。なので、刑法175条のわいせつ文書販売罪を成立させるものといわなければならない。

3 佐藤と野坂の主張

 そもそも、わいせつ文章の頒布と販売の処罰を規定した刑法175条は、憲法21条が保障する言論、出版その他の表現の自由に制限を加えているので、無効である。また、「四畳半襖の下張」は、古語や死語となっている言葉が多く使用されているので、普通の人には読解ができず、わいせつ性は存在しないはずだ。

【憲法21条】 
① 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

4 最高裁判所の判決

 文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうったえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」といえるか否かを決すべきである。今回の事件についてこれをみると、「四畳半襖の下張」は、男女の性的交渉の情景を扇情的な筆致で露骨、詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めており、その構成や展開、さらには文芸的、思想的価値などを考慮に容れても、主として読者の好色的興味にうつたえるものと認められるから、以上の諸点を総合検討したうえ、今回の文書が刑法175条にいう「わいせつの文書」にあたると認めた原判断は、正当である。
 よって、被告人らを有罪とする。

5 わいせつの判定も時代によって変わる

 今回のケースで裁判所は、永井荷風の作とされる「四畳半襖の下張」を月刊雑誌「面白半分」に掲載することが刑法175条に規定されたわいせつ文書販売の罪にあたるとして、佐藤さんに罰金15万円、野坂さんに罰金10万円の有罪判決を下しました。当時、被告人の野坂さんを応援するために第一審の証人席には、五木寛之さんや井上ひさしさん、開高健さん、有吉佐和子さんなどが立っていたことでも注目が集まりました。これだけ盛り上がった「四畳半襖の下張り」裁判ですが、現在では紙の書籍や電子書籍として合法的に入手可能となっています。刑事罰の判断のあり方にも一石を投じた裁判だったかもしれませんね(ちなみに当時は、大阪空港訴訟が行き詰まっていて今回の事件を大法廷に回すことができなかったという話もあります)。

では、今日はこの辺で、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?