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原告氏名の公開事件

こんにちは。

 インターネットが当たり前となっている時代ですが、同時に過去の行いや裁判記録を絶対に忘れさせてくれない時代にもなっています。若気の至りでやらかしたことについて「忘れられる権利」が主張されることもありますが、その対極となる「知る権利」や「表現の自由」、「裁判の公開」との関係が問題となっています。今日はこの点を考える上で、「原告氏名の公開事件」(さいたま地判平成23年1月26日判例タイムズ1346号185頁)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 株式会社曽根工具製作所の元従業員は、「油圧作動型カッター」の考案について実用新案の登録を受ける権利を有していました。曽根工具が育良精機製作所に合併されたことから、その元従業員は育良精機製作所らに対して、実用新案の登録を受ける権利を会社に譲る対価として、約5億円の支払いを求めたところ、裁判所はその一部の支払いを認める判決を下しました。この裁判について、法曹関係者向けの雑誌である「判例時報」の記事では、原告欄のところに元従業員の氏名が実名のまま掲載されていました。これについて元従業員は、プライバシー侵害と名誉毀損を理由に、判例時報社に対して約50万円の損害賠償を求めました。

2 元従業員の主張

 判例時報1857号に、私の実名入りの判決文が掲載されたが、氏名は個人情報の最たるものであり、かつ実名の掲載そのものには公益性はないから、本人の承諾を得ないまま実名を無断で掲載することは許されないものというべきである。私が元勤務先の会社を訴えた事実、敗訴率95%の屈辱的結果の事実、その他、私の個人情報が詳細に公然と知られるようになった。すると、無言電話などの嫌がらせ電話、ホームページの掲示板へに度重なる不正アクセスや不正な書き込みがあったり、税務署からの不審な税務調査があったりするなど、多大な精神的な苦痛を受けた。プライバシー侵害なので、民法709条の不法行為に該当し、精神的損害について賠償を求める。

3 判例時報社の主張

 公開の裁判所に提訴する者は、氏名を含めて公表されることも自認すべきであり、そこにはプライバシーの問題はなく、雑誌に判決文を掲載することは憲法32条の裁判を受ける権利及び憲法82条の裁判の公開により保障された正当なものであるので、判決文の掲載に際し氏名を除く理由はない。また判決の公開は、氏名を含むものであり、知る権利により公益性がある。さらに、元従業員は自身のホームページ上で、氏名、住所、電話番号等とともに判決文を公開していたのであるから、自らが実名による公表を承諾しているともいえる。そもそも、我々の雑誌は、購読者が法曹関係者に限られ、一般の書店では流通していない。

4 さいたま地方裁判所の判決

 氏名のみがその個人を離れて独立した意味を持つものではないので、氏名が公表されることにより個人の私生活上の平穏が害されるのは、氏名がその他の情報と相まってその個人の平穏を害することになるからに他ならない。
 そのような情報は、元従業員個人の私生活上の事実又は情報であること自体は否定できず、一般人の感受性を基準としても、他人に知られることにより心の平穏が害されることがあることは否定することができない。
 しかし、裁判の公開の原則に照らせば、元従業員はいったん訴訟を提起した以上、一定の限度でこれを他者に知られることは当然受忍すべきものといえるし、元勤務先に対する訴訟は知的財産に関する訴訟であって、経済的活動としての性質を有するものであり、私事性、秘匿性が低いといわざるを得ない。元従業員自身、ホームページ上で控訴審判決の判決文を実名とともに公開していることからも、その秘匿性は低かったといえる。
 また判例時報社による判決の掲載行為の目的は、判決文を紹介することにより法曹界の学問的資料を提供することであって、公益性があり、また、掲載態様に関しても、元従業員の請求が認められた事例として判決文をそのまま掲載したに過ぎないものであり、元従業員が訴訟を提起したことを暴露したり批判の対象とすることを目的としていないことは明らかである。判例時報は法律専門誌であって、一般人が見る機会は新聞やインターネットに比べて低く、開示の相手方はある程度限定されているといえる。
 判決文を判例時報に掲載するに当たり、元従業員の氏名を実名で掲載する必要性はなく、仮名処理をすることも可能であったことを考慮しても、なお、プライバシーの性質と侵害態様とを総合的に考慮すれば、一般人を基準として私生活上の平穏を害するような態様で開示されたとは認められず、判例時報社による掲載行為に違法性はないというべきである。よって、元従業員の請求を棄却する。

5 私事性と秘匿性

 今回のケースで裁判所は、プライバシー権が、他人に知られたくない(秘匿性)私生活上の事実または情報(私事性)をみだりに開示されないという権利であるとした上で、元従業員自身がホームページ上で判決文を実名とともに紹介していたことなどから、プライバシー侵害はないと判断しました。
 逆に、他人に知られたくない事実が、私生活上の平穏を害するような形で開示されていた場合には、違法なプライバシー侵害として不法行為責任を負う場合がありますので、十分に注意する必要があるでしょう。

では、今日はこの辺で、また。

※別件訴訟の東京高判平成16年9月29日についてはこちら


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