見出し画像

東京地方裁判所厚生部事件

こんにちは。

 今日は、東京地方裁判所とは無関係の東京地方裁判所厚生部の未払い代金が問題となった最判昭和35年10月21日を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 繊維製品を販売している又一株式会社は、東京地方裁判所厚生部との間で、フラノ生地などについて売買契約を締結し、商品を納品しました。ところが、代金が支払われなかったことから、又一株式会社は国を相手に売掛代金の支払いを求めて提訴しました。これに対して国側は、東京地方裁判所厚生部と東京地方裁判所とは法令上、全く関係がないものだと反論しました。

2 最高裁判所の判決

 原判決の確定するところによれば、東京地方裁判所厚生部は、要するに、戦時中から同裁判所職員の福利厚生をはかるため、生活物資の購入配給活動をつづけて来た一種の組織体であつて、いわば自然発生的に一般に「厚生部」と呼ばれるようになったものであり、その運営も専ら同裁判所の職員によってなされて来たものであるが、昭和23年8月下級裁判所事務処理規則の施行にともない、東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれることになったので、同裁判所では、従来前示「厚生部」の事業にたずさわっていた職員天野徳重らをそのまま厚生係にあて、同裁判所の事務としての職員の健康管理レクリエーシヨン等厚生に関する本来の事項を分掌させ るとともに、従前どおり「厚生部」の事業の担当者としてこれを継続処理することを認め、天野らは同裁判所厚生係室にあてられた同裁判所本館一階の事務局総務課厚 生係の表札を掲げた一室において「東京地方裁判所厚生部」という名義で他と取引を継続して来たものである。そして、「厚生部」の事務に従事する職員らは、又一株式会社ら第三者と物資購入等の取引をするにあたっては、発註書、支払証明書というがごとき官庁の取引類似の様式を用い、これら発註書や支払証明書には、庁用の裁判用紙を使用し、さらに、発註書の頭書には「東地裁総厚第号」と記載し、なお、支払証明書には東京地方裁判所の庁印を使用する等の方法をとっていたものであり、本件取引は、いずれも、東京地方裁判所総務課に厚生係がおかれた後、厚生係である裁判所職員により、「厚生部」の名義で、なされたものである。
 以上の事実関係に徴すれば、「厚生部」は又一の主張するようにこれを法律上東京地方裁判所の一部局とすることはできず、又同じくその主張のように同裁判所の事実上の一部局とも目すべきでないとする原判決の判断はこれを肯認することができるのである。しからば、「厚生部」のなした取引につき、東京地方裁判所はなんらの責任を負うものではないと云いうるであろうか。 およそ、一般に、他人に自己の名称、商号等の使用を許し、もしくはその者が自己のために取引する権限ある旨を表示し、もってその他人のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出した者は、この外形を信頼して取引した第三者に対し、自ら責に任ずべきであって、このことは、民法109条、商法23条等の法理に照らし、これを是認することができる。本件において、東京地方裁判所は、「厚生部」が「東京地方裁判所厚生部」という名称を用い、その名称のもとに他と取引することを認め、その職員天野らをして「 厚生部」の事務を総務課厚生係にあてた部室を使用して処理することを認めていたことは前記のとおりである。
 ところで、戦後、社会福祉の思想が普及するとともに、当時の経済事情と相まって、会社銀行等の事業体は競って職員のための厚生事業や厚生施設の拡充に意を用いるにいたった。これは当時の一般的社会的風潮であったと云ってよい。官庁においても、遅ればせながら、当然その影響を受けたのであって、前示のごとく昭和23年にいたり東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれたのも、この影響の一たんを示すものに外ならない。このような社会情勢のもとにおいて、一般に官庁の部局をあらわす文字である「部」と名付けられ、裁判所庁舎の一部を使用し、現職の職員が事務を執っている「厚生部」というものが存在するときは、一般人は法令によりそのような部局が定められたものと考えるのがむしろ当然であるから、「厚生部」は、東京地方裁判所の一部局としての表示力を有するものと認めるのが相当である。
 殊に、事務局総務課に厚生係がおかれ、これと同じ部室において、同じ職員によって事務の処理がなされている場合に、厚生係は裁判所の一部局であるが、「厚生部」はこれと異なり、裁判所とは関係のないものであると一般人をして認識せしめることは、到底難きを強いるものであって、取引の相手方としては、部と云おうが係と云おうが、これを同一のものと観るに相違なく、これを咎めることはできないのである。 原判決は、多数の従業員を使用する事業体において、その事業体の名称の下に、「厚生部」その他類似の名称を附するときは、その名称は、全体として、当該事業体の一部局たることを示すものと云い得る場合の存することは否定しえないであろうと云いながら、少くとも国の機関である官庁についてはこれと異なる旨判示している。すなわち、原審は、「厚生部」その他類似の名称はおうむねその事業体の職 員のための物資の購入等の活動にあたる組織であることを示すものであるとした上、官庁職員のための生活物資購入の事務が当該官庁自身の事務であることは通常ありえないところであるから、たまたま「厚生部」なる名称の上に当該官庁の名が冠せられたとしても、一般にその官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足るものということはできないとする。しかし、一般に、厚生という言葉は、 ひろく健康を維持しまたは増進することという意味で用いられているのであるから、「厚生部」その他類似の名称の付された組織体があるときは、その活動範囲は、職員のための生活物資購入等にとどまるものではないのが普通である。したがって、 職員のための物資購入の事務が官庁の事務であることは、原判示のごとく、通常ありえないとしても、このことからただちに、「厚生部」が一般に官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足りないものということはできない。また、 原審が、裁判所というだけでなんびとにもその職務権限事務内容のおうよそが理解されうる官庁については、「厚生部」という名の存在がその名の示すような事務内容をもって、裁判所の一部局としてあり得ると解する如きことは、通常人の注意を用いる者にはおこり得ないと解しなければならないと判示したことは、少くとも、事務局総務課に厚生係がおかれていることを忘れたものと評せざるをえない。
 されば、前記のごとく、東京地方裁判所当局が、「厚生部」の事業の継続処理を認めた以上、これにより、東京地方裁判所は、「厚生部」のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出したものと認めるべきであり、若し、「厚生部」の取引の相手方である又一株式会社が善意無過失でその外形に信頼したものとすれば、同裁判所は又一株式会社に対し本件取引につき自ら責に任ずべきものと解するのが相当である。
 もっとも、公務員の権限は、法令によって定められているのであり、国民はこれを知る義務を負うものであるから、表見代理等の法規を類推適用して官庁自体の責を問うべき余地はないとの見解をとる者なきを保(ほ)し難いが、官庁といえども経済活動をしないわけではなく、そして、右の法理は、取引の安全のために善意の相手方を保護しようとするものであるから、官庁のなす経済活動の範囲においては、善意の相手方を保護すべき必要は、一般の経済取引の場合と少しも異なるところはないといわなければならず、現に当裁判所においても、村長の借入金受領行為につき、民法110条の類推適用を認めた判例が存するのである。  
 次に、原判決は、本件取引の経緯に照らし、又一株式会社が当初から「厚生部」を東京地方裁判所の一部局と信じて取引に当ったものかどうかはむしろ疑わしい旨、および仮に又一株式会社が厚生部を東京地方裁判所の一部局と信じたとしても、それはひっきょう又一株式会社の不注意によるものといわざるをえない旨判示している。なるほど、本件取引の目的物件、数量および代金支払の方法等から見るときは、東京地方裁判所自体の取引でないことは、注意を用いれば判明しえたと思われるふしがあるけれども、一面、原判決の認定にかかる前示事実関係および厚生部の内部にいた職員川名清らですら「厚生部」が東京地方裁判所の一部局であると信じていた事実は、むしろ又一株式会社の善意を窺わしめるものといわなければならないであろう。  要するに、東京地方裁判所は、本件取引につき自らの取引なるかの如き外形を作り出したものと認めうるのであるから、原審としては、よろしくこの前提に立つて、又一株式会社が果して善意無過失であったか否かをさらに審理判断すべきものであって、 原判決は法令の適用を誤つた結果、審理不尽理由不備の違法をおかしたものというべく、論旨は理由あり、原判決は破棄を免れない。  
 よって、本件を原審に差し戻す。

3 東京地裁は第一審で責任を否定

 今回のケースで裁判所は、一般に官庁の部局をあらわす「部」と名付けられ、裁判所庁舎の一部を使用し、現職の職員が事務を行っていた「東京地方裁判所厚生部」は、東京地方裁判所の一部局としての表示力を有するものと認めるべきであり、東京地裁がその事業の継続処理を認めた以上、「厚生部」の取引が自己の取引のように見える外形を作り出したのであれば、善意無過失の相手方に対し、「厚生部」のした取引について責任を負うべきだとしました。
 民法109条1項では、「第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した者は、その代理権の範囲内においてその他人が第三者との間でした行為について、その責任を負う。ただし、第三者が、その他人が代理権を与えられていないことを知り、又は過失によって知らなかったときは、この限りでない。」と規定され、代理権を与えたかのような表示をしたのであれば、代理人がしたことについて責任を負うべきだと考えられています。ただ今回は第一審の東京地方裁判所が、東京地裁に責任がないとの判決を下していた点に注目すると、より面白いでしょうね。

 では、今日はこの辺で、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?