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母の認知事件

こんにちは。

 今日は、結婚していない男女間に生まれた子について母の認知が必要なのかどうかが問題となった最判昭和37年4月27日を紹介したいと思います。


1 どんな事件だったのか

 早川久は、大正5年ごろから杉本東造と妾関係を継続し、東造との間に子である寿一が生まれました。ところが、寿一は、杉本家の事情で、杉本東造の戸籍に入ることが許されず、さらに久の養父母らの反対で、久の戸籍にも入れなかった。そこで、久の養父母の知人である山田夫妻の嫡出子として出生届がなされました。その後、久は寿一を自分の下で養育するために、寿一と養子縁組を結びました。しかし、寿一に東造の家業を継がせるために、久と寿一の養子縁組が解消され、改めて昭和6年1月21日に、杉本東造夫婦と寿一との間に養子縁組が結ばれました。寿一は、出生以来、久の下で養育されていましたが、最近になって寿一は久が自分の親ではないと言い張るようになったので、久は寿一との間に親子関係が存在することの確認を求めて提訴しました。
 第一審では、久の主張する事実を覆すに足りる的確な証拠がないと認定し、寿一が久の子であることがまことに明らかであるとして、久の請求を認めました。その後、寿一が控訴しましたが棄却  されたので、さらに上告しました。

2 最高裁判所の判決

 早川久が杉本寿一を分娩した旨の原審の事実認定は、その挙示する証拠に徴し、首肯するに足り、これに所論のような違法は認められない。所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を争うに帰し、採用するをえない。
 なお、附言するに、母とその非嫡出子との間の親子関係は、原則として、母の認知を俟たず、分娩の事実により当然発生すると解するのが相当であるから、早川久が杉本寿一を認知した事実を確定することなく、その分娩の事実を認定したのみで、その間に親子関係の存在を認めた原判決は正当である。
 よって、寿一の上告を棄却する。

3 分娩の事実と母子関係

 今回のケースで裁判所は、母と非嫡出子との間の母子関係は、母の認知をせずとも、分娩の事実によって当然に発生するとしました。
 「お前なんか俺の母ちゃんじゃない」と否定する子どもに対して「私が実の母よ」と裁判が提起されたという珍しいケースですが、親から子どもに対して扶養請求をする場面で問題になる可能性があることに注意が必要でしょうね。  
 では、今日はこの辺で、また。



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